毎日出てゐる青い空

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この日を迎えるために、ワクチンの有効性が長い間にわたって宣伝されてきただろう

私は、風邪を引いて熱を出したときに、市販薬を飲む習慣を身に着けていた。

およそ寒気を感じ、鼻水が出て、風邪を引いたと自覚した時点で薬を買い、規定通りに飲むと、数日で収まり、一週間ほどで完全に良くなるという経過をたどっていた。

 

結婚後、自然療法を勧める妻に従い、市販薬に頼ることをやめ、熱さましのために小松菜を使うなどしながら過ごしてみると、まったく同じような経過をたどって治癒したのだった。

 

自分の体に病気を治す力があることを感じてうれしくなると同時に、風邪薬には、本当に効果があったのかどうか、疑問を持つ結果となった。それどころか、精製された純度の高い化学物質を体内に当たり前のように入れていた自分のそれまでの常識にも疑問を持つことになった。少し考えてみれば、市販薬を飲むということは、とても恐ろしいことのはずであった。

 

この自覚は、輸血について考え直すことにもつながった。輸血はある意味臓器移植のようなものであり、本来簡単に考えてはいけないはずのものであり、副作用について相当の覚悟を必要とするものであるはずだった。けれど、献血の大切さや、輸血がどれほど役立つかという情報だけが目立つ世界にあって、輸血の危険性を考える機会はそれまでの私にはなかったのである。

 

ワクチン接種についても、同様のことがいえる。体内に注入されるワクチンは、市販薬を飲むこと以上に危険であり、輸血にも相当するほどの危険性を秘めたものであるかもしれない。しかし、私たちが生まれてからワクチンについて受け取る情報は、ワクチンのすばらしさや有効性を喧伝するものばかりである。ジェンナーの名を知り、天然痘が克服されたことを知り、みずからもワクチン接種を受けさせられる中で、ワクチンの危険性について考える機会は訪れない。

 

こうして作り上げられたワクチン信仰者たちに、もしかすると危険な仕掛けが施されているかもしれないワクチンが送り届けられている可能性があるのだ。しかも、多くの人に複数回注入されてしまった。

 

人間の本来の生き方について考えていったときに見えてくるのは、農耕にせよ、電力の利用にせよ、医療行為にせよ、不自然で危険なものであるという事実である。こうした発明のせいで、人は仕事に縛りつけらで、コンピューターに管理され、自然から切り離された挙句に、毒物を体内に注入されてしまう危険性と常に隣り合わせになっているのである。

 

 

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