毎日出てゐる青い空

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自然(生)と人工(死)

〇弱い命は死んでいく自然

×弱い命も生き残る人工

 

〇虫や獣に囲まれて危険な自然

×虫も獣も排除していく人工

 

〇直接かかわる周囲との関係が行動や考え方を決める自然

×法律やカネなど作られたものが行動や考え方を決める人工

 

〇会社も資格も法律もない自然

×金のために会社に勤め、法律に従うしかない人工

 

未開民族や山深い寒村の人々が、現代の暮らしに組み入れられていくということは、それまで、自分たちの持っていた自由を法によって制限されていくということであった。

獲物を取ることや、民間医療を施すことや、自由に山野に分け入って火を焚き、水を飲むことができなくなった。

 

電灯は夜も働かせるためにあり、計算機は人に番号を付け、カメラやスマホがヒトの行動を監視する。

 

金利の害悪は古代から知られていたにもかかわらず、人類は金利に支配される結果となり、特定の集団にカネを集めるシステムが全球を覆って、カネのために言葉を発し、行動を変える人びとだけが中心を囲み、アクターとなって、嘘をまき散らす。

 

人工の世界は金に支配された死の世界であった。

おかしいな

環境保護活動のために、ビン類の回収が義務付けられた。そのとたんにあの有名なグローバル飲料企業はビンからペットボトルに切り替えた。この行為を批判するマスコミ記事を見た覚えがない。

 

いま、多くの公共施設には、このグローバル企業の自販機がおかれている。どうして良識のない企業の製品だけが、公共施設で扱われるのか不思議である。

 

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本はもともと定価で販売することになっている。「再販制度(=再販売価格維持制度)」があって、値引き販売は禁じられている。しかし、あのみんなの大好きな熱帯雨林は、本の販売価格を変えないまでも、送料を無料化することによって、事実上、割引販売を開始した。その結果として、マーケットシェアを得た。けれど、やはりグローバル企業が批判されることはなく、かえって、宣伝するような記事ばかりが書かれたのであった。

 

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インターネットが普及し始めてネットリテラシーということが言われ、本名や顔、経歴を明らかにすることは、危険な行為として警告されていた。そんな折に、なぜだか、一転して、個人情報を公開するあのゆうめいグローバルSNSが頻繁に取り上げられ、利用が推奨されるようになってしまった。昨日までの話はどうなったのかという感じだった。今も残っているが、当初ほど人気を得てはいないように見える。

 

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同じようにSNSの一つとして普及し始めた当初、危険性を指摘されていたのが、グループを作りメッセージを交換できるアプリである。これもどういうわけか、自治体などにまで採用されて普及してしまっている。

 

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こうしたおかしさに答えを与えてくれるのがコロナ騒動で一体となってワクチン接種を推奨する勢力である。

 

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正当な疑問や、批判はすっかりと消し去られ、私たち自身のメリットのために、ワクチンを打て、グローバル企業を利用せよ、このアプリを活用せよというメッセージが繰り返し伝えられるのである。

 

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他につぶやくことのできるTや、写真を投稿できるI、短い動画を投稿できるTKなどがあるが、いずれも、マスメディアによるステマが繰り替えされている。そしていずれにも共通するのが、条件反射的な反応を助長するということである。Tは思想の偏りを助長し、Iは虚栄心をくすぐる。いずれも、運営者たちによる情報収集にも利用されていることだろう。

 

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こうした世界ができていくのは、この文明世界が少数の勢力の影響を大きく受けているからである。人は軽々しく考え、ブランドにあこがれ、楽しさを求めて、むなしく消費することを要求される。

 

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世の中には、貴族や王と呼ばれる人がいる。

貴族や王は、コツコツ働くことではなく、人を利用することを考える人たちである。

世界の歴史を、貴族の動きという点から見直してみると、こうした人々はどこの世界にも存在し、フランス革命ロシア革命の後も、貴族は貴族として新しい貴族と古い貴族とが手を組んで、人々を支配している。

日本でも幕末に外国との戦争に敗れた後も、貴族たちが新しい日本の支配に協力してきたのである。

 

民主主義といいくるめられた私たちの世界の裏には貴族たちがいて、人々に影響を与えることで、自分たちの欲望を満たしている。

 

その結果、特定のグローバル企業は法に罰せられることも、マスコミに批判されることもなく勢力を伸ばし、なぜか公共団体にも採用されていく。または、危険なワクチンを人々に接種させることもできることになるのである。

 

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アフリカのブッシュマンや北アメリカのエスキモー、アマゾンの先住民など、自立して自由に生きてきた人々が文明に組み込まれていくときに起きることが文明の本質を示す。文明は、自然の中で生きることをできなくして、人工環境に頼り、労働に勤しむのか、そうした生き方に適応できずに(無価値として)死んでいくかを選ばせる。これによって貴族たちは労働力や資源豊かな土地を得るのである。

 

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貴族たちは何をどう考えるかを知らなければ、文明社会の正体は見えてこない。そして、コロナ報道にころりとだまされることになってしまうのだ。

 

 

近代国家は世界規模の経済活動を円滑化するために作られた

生きるということが

すべて貨幣経済の中で行われるという

異常な状態を

近代国家は作り上げた。

 

近代国家が作る法律は

人々の活動を制限し続け

貨幣経済の中に組み込んでいった。

 

税金を納めるために金を必要とする。

仕事を得るために学歴や資格を要求し、

それは子供のためにもっと儲けたいという親の心に影響を与え、

金にならない仕事などしてはいられなくなった。

 

自治法は地方自治を推進するのではなく

地方の独立性を奪うように組み立てられている。

 

地域の共同体を維持したくとも、

人びとは企業活動に縛られて、

地域に生きることなどできず、

地域の活動もまた法律によって自主性・独立性を疎外されている。

 

土地の使い方を決めるのも世界規模の経済活動に合わせて

法律を作った近代国家である。

 

海は漁師や漁村のものではなく、国家のものとなり、国家は

企業活動のために人を締め出し、海岸を独占する。

 

学校で教えることは

世界規模の経済活動の正当性であり、すばらしさである。

 

彼らが歴史上ずっと、奴隷を必要とする文明を築いていたことは

誰も教えず、

まるで先進的な社会を古くから持ち続けていたかのごとく教え込む。

 

競い合い、限られた資源を奪い合い、生命の宿命に従って苦痛を被ることを運命付けられた人の生をできるだけ良いものにしようとする動きは、「逝きし世の面影」が描写するように、この地にこそ存在していたのだ。

 

世界貿易センタービルが倒れ、何故だか無関係な国が滅ぼされていく動きは、

こうした近代国家を作り上げた人々の本性を描き出している。

 

悪事を働いたうえで、自分たちこそが正義であり、この素晴らしい近代社会を作り上げる努力をしているのだと報道を続ければ、いつまでも悪事を繰り返すことができる。

 

その延長線上に今がある。

 

わずかな国が世界を占領していた戦前の地図が、現実の姿である

「世界は少数の支配者たちによって支配されている」という言葉は突拍子もないウソのように思えるかもしれない。しかし、帝国主義の数か国が世界を支配していた頃の地図を見れば、それが事実であったということがわかる。

 

日本の主権について真剣に考えたことがある者であれば、日本がアメリカのいいなりになっていることを痛切に感じ、しかし、敗戦国であるという歴史がもたらした日本の特殊事情がこのような主権を制限されたような状況を生んでしまっていると判断して、他の国々はもっとしっかりとした主権を持っていると考えてしまうことだろう。

 

実際には、戦前の植民地各国の状況は日本と変わるところはない。旧宗主国に不平等な条件を押し付けられたうえでの独立であり、旧宗主国の息のかかった政治家によって政治が行われている。

 

中国やロシアは違うだろうというのも間違いである。これらの国々の成立過程において、資金提供を行った人々が存在しており、そうした人々の影響力が続いているはずである。その点で、日本の明治維新は、中華人民共和国の成立やソ連の成立と通じるものがある。

 

法が守るのは、国家の主権や市民の権利ではなく、支配者たちの活動である。邪魔な政治家を独裁者と決めつけて排除しても罰せられることはなく、父祖から伝わる土地を守ろうとした先住民たちが殺されても、開発が止められることはない。

 

こういう世界に私たちは生きている。

 

 

マスコミが戦争を作ったことを忘れてはいけない

マスコミがコロナ騒動を作り、それを利用して危険な薬物を多くの人々の体内に注入させたことを忘れてはいけない。

検索エンジンも動画サイトも共犯者であったことを忘れてはいけない。

 

支配者の本性は古代から変わってなどいない。

 

自由な動物として生きる「未開人」は、支配者にとって無価値である。未開人は支配者に富をもたらさない。

 

人工環境という少し安全で快適な環境を提供することで、支配者は民をつなぎとめる。しかし、自由をなくした民に、「自然な」幸せは訪れない。

 

支配者の命じるところに従って労働にいそしみ、できるだけ多くの富を差し出すことによってのみ、生存を許される「家畜」となるのである。

 

コロナ騒動は、支配者たちの正体をほとんどあからさまにした。

けれど、まだ民は家畜であるほうを選ぼうとする。「自然」な厳しい生き方よりも、家畜として人工環境の中で生かされることのほうが、野獣や寄生虫や病原菌にさらされたり、気象や気候の影響を直接的に受けたりする「自然」な生き方よりもずっとましだからである。

 

しかし、人工環境に生きることは、無慈悲な支配者たちの作る世界に生かされる家畜として生きることでしかない。

 

支配者たちが所有するマスコミやネットの流す情報によって行動を制限された中で、不「自然」な努力を強いられて、かつての奴隷や中世ヨーロッパの貧しい農民と同じように、ぎりぎりのところまで利用されるというわけである。

 

私たちは生物であり、利己性のほうが利他性よりも勝らなければ子孫を残せない宿命を負っている。そうした生物が、言語能力を発達させ、言語が人工環境を作りあげ、人の生に対する人工環境への依存が高まることで、富を蓄えた者が、人工環境の所有者となり、すなわち人々を家畜にする用意が整った。

 

民は人工環境を象徴するところの「マネー」を得るために、支配者たちの提供する法律、インフラ、金融システム、情報を使って活動し、支配者たちをさらに富ませることになる。

 

コロナ騒動もウクライナ戦争も、地球温暖化詐欺も、SDGsもみな、上記の世界で起きている。

 

政治活動も、宗教活動も、サイエンスも、支配を逃れる術にはならず、人工環境への束縛を高めるだけである。

 

利己的な存在である私たちにとって、言語能力の発達は、人工環境という快適に見えて最終的には家畜として生きることしかできなくなる世界の幕開けでしかなかったのである。

 

マスコミは支配者たちの道具であり、戦争を作ること、コロナ騒動を使って家畜の管理を強めること、支配者の利益につながる価値観を広めることしかできない。

 

人間は幸せにならないようにできている

Yahooニュースを見ていたら、清水ミチコの記事に面白いことが書かれていた。

 

https://news.yahoo.co.jp/articles/72b0cd621c237cd2697dd10aa1134029701b5f23?page=2

ガムのように噛み続ける「人間は幸せにならないようにできている」という言葉

 

この話と関係するのかどうかわからないが、人の本来のあり方を考えてみると、人も含め、生命は、幸せにならないのが当たり前なんだなという結論に行き着く。

 

生命の自然な状態というのは、他の生命とせめぎあい、他の生命を資源としながら、運が良ければ子孫を残すが、基本的に短命であり、幸せであるように思えても、不幸が待ち構えている状態である。

 

この100年ほどの間に、人は乳幼児死亡率をうんと低下させ、老年期になる前に命を落とす人も随分減って、信じられないほど平均寿命が延びた。ただ、これは、生命のあり方としては不自然であり、この先長く続くとは到底信じられない状況である。人類の平均寿命は縄文時代も江戸時代もさほど変わらず、チンパンジーやゴリラであっても、大差ないような状況が続いていた。

 

この部分を除けば、子を亡くす親も珍しくなければ、夫婦のどちらかが若くして亡くなり、再婚相手を迎えるような状況も多かったはずである。70歳を超えるまで生きる人も少なく、生命は、自然な状態であれば、多くの不幸に囲まれており、幸せにならないようにできているといってよいだろう。

 

生命は幸せにならないようにできている。けれど生命は、その事実に頓着せずに進んでいく。

 

「自然」な生き方

動物にとっての自然ということは

・よく遊んで、体の能力を高める

・好奇心旺盛に生きて、生存能力を上げる

・体に備わった能力によって病原菌や害虫に抵抗する

・多様な生物に囲まれて生きる

・ピラミッド型の年齢分布ができる

・老年期に達する前に死ぬ

・労働はない

 

人も動物ではあるが、その生き方は上に述べたような自然なあり方から次第に離れてきた。火を使い、煮炊きすることや、道具を使い、家や衣服を利用することは、肉体を次第に弱めていった。けれど、人の生き方が基本的に他の動物たちと同様であり続けていたことは、狩猟採集者たちの生き方が教えてくれる。

 

狩猟採集者たちは、遊動生活を送り、その都合上、多くの物を所有することはできず、巨大権力も生まれない。そうした社会にあっては、人の暮らしは、他の動物たちと似たものである。もっとも典型的な生き方は、ブッシュマン(グウィ・コイサンマン)らの生き方である。それは、他の動物たちが、厳しい自然の中でも、日々を気ままに生きているのとまったく同じように、気ままな生き方である。『サバンナの動物親子に学ぶ』(羽仁 進)にあるように、死と隣り合わせでありながら、軽やかな生の世界である。

 

人は、つい最近まで、そうした自然な生き方を送ることができていた。けれど、1万2千年前に定住化し、農耕を生み出したことが、人の世界を不自然な世界に変え、人はその不自然さに苦しむことになった。農耕は権力者を作り、権力者の支配する社会に属することによってしか生存の基盤を得られなくなった。文明社会は利便性を提供する一方で、より不自然な生き方を要求する。文明社会の宗教は、そうした人々の苦しみに付け込み、幻想を植え付けて、人々を文明に縛り付けていく。

 

自然な世界は人にとって不都合な世界である。腹が減ったからといってすぐに食べ物が手に入ることもなければ、夜の暗闇を照らす光もない。危険な生き物が身近にいて、肉を得るにも危険が伴う。暑さや寒さを和らげるにも限度がある。

 

けれど、そうした利便性に騙されて文明社会に属してしまうと、人は、生きる基盤を他人に奪われた奴隷になってしまう。

 

その結果

・メディアは支配者たちの都合に合わせたニュースを流し

・教育は侵略者たちを先進文明であると礼讃し

・経済学はでたらめを権威付けし

・たくさんの抽象概念が作られて事実を隠していく

 

フーリガンを生みだすような文明が、紳士であり

経済最優先の企業が環境保護に積極的であると称し

民主的であるはずの国が生み出したサービスが言論を弾圧する

 

定住の開始以来、人工環境を拡大してきた人類は、支配者の影響力を強めてきた一方であり、その最終局面が、コロナ騒動やマイナンバーカードの今である。

 

明るい未来などなく、不自然な生が作り出す苦しみだけが待っている。

 

 

 

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