近代国家は世界規模の経済活動を円滑化するために作られた
生きるということが
すべて貨幣経済の中で行われるという
異常な状態を
近代国家は作り上げた。
近代国家が作る法律は
人々の活動を制限し続け
貨幣経済の中に組み込んでいった。
税金を納めるために金を必要とする。
仕事を得るために学歴や資格を要求し、
それは子供のためにもっと儲けたいという親の心に影響を与え、
金にならない仕事などしてはいられなくなった。
地方の独立性を奪うように組み立てられている。
地域の共同体を維持したくとも、
人びとは企業活動に縛られて、
地域に生きることなどできず、
地域の活動もまた法律によって自主性・独立性を疎外されている。
土地の使い方を決めるのも世界規模の経済活動に合わせて
法律を作った近代国家である。
海は漁師や漁村のものではなく、国家のものとなり、国家は
企業活動のために人を締め出し、海岸を独占する。
学校で教えることは
世界規模の経済活動の正当性であり、すばらしさである。
彼らが歴史上ずっと、奴隷を必要とする文明を築いていたことは
誰も教えず、
まるで先進的な社会を古くから持ち続けていたかのごとく教え込む。
競い合い、限られた資源を奪い合い、生命の宿命に従って苦痛を被ることを運命付けられた人の生をできるだけ良いものにしようとする動きは、「逝きし世の面影」が描写するように、この地にこそ存在していたのだ。
世界貿易センタービルが倒れ、何故だか無関係な国が滅ぼされていく動きは、
こうした近代国家を作り上げた人々の本性を描き出している。
悪事を働いたうえで、自分たちこそが正義であり、この素晴らしい近代社会を作り上げる努力をしているのだと報道を続ければ、いつまでも悪事を繰り返すことができる。
その延長線上に今がある。