毎日出てゐる青い空

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人類の歴史は支配が拡大してきた歴史

現代の日本人には、中国や韓国、北朝鮮は日本に何をしかけて来るかわからない敵であり、そんな勢力に支配されるよりも、民主的で先進的でかっこいい欧米の配下に入ったほうがずっとましであるという印象を持っている人が多いのではないでしょうか。

 

私は今、古い雑誌などに触れる機会を持つようになりました。そうした雑誌を見ていると、欧米にあこがれを持たせるように編集されていることをまざまざと感じます。

 

たとえば、戦後すぐ、昭和25年頃の雑誌に、若い夫婦のための小さな戸建て住宅の間取り図が紹介されていました、玄関と一体化した居間と夫婦の寝室、子供のための小さな部屋があり、風呂はなく、トイレも省スペースのために角に作りつけた、ほんとうに小さな家です。けれどそこに配置された若い女性の姿はまるでプリンセスのようなふわりと広がるスカートをはいた姿なのです。あまりにも場違いです。

 

こうした、西洋へのあこがれを持たせるような編集は戦後に限ったものではありません。戦前のさまざまなコンテンツが西洋をすぐれたものとして紹介しつづけ、あこがれを持たせるような内容になっているのです。

 

描かれた西洋の様子が事実であるなら多少は受け入れることもできるでしょうが、実際には、まったく乖離しています。たとえば、幕末に日本を訪れた西洋人たちは、日本の農民が、母国の農民と比べて幸せそうであることに驚いたような有様です。そうした貧困に基づく西洋文明の進出に伴って蟹工船やら野麦峠やらという労働問題も輸出されました。

 

つまるところ、西洋文明を美化するために作られた物語の一つが司馬遼太郎の竜馬であり、同じような虚構づくりが新聞、雑誌、本、映画、教育などを通じて繰り返し、大量に行われた結果として、西洋礼賛、特亜蔑視、自虐史観というものが作り上げられたにすぎません。

 

中国や日本の芸術作品と西洋のそれとを比べてみると、西洋のそれの軽薄さが浮き彫りになります。小さきものをめでることもできなければ、大自然の懐でひっそり暮らす生き様を描くこともなく、豪華で大規模でリズミカルであればよい、もしくは苦しみを極限に表現するにとどまり、じっくりと落ち着いた中で生まれてくる感情とは無縁のように思えます。

 

なぜ、そんなものが世界を席巻してしまっているかといえば、そんなものを生み出した人々が世界を支配しているからにほかなりません。彼らとは違う良い物は流通を阻害し、彼らの正体をあばくような情報は隠し、人々に流布したい物語を学問の世界も含めたさまざまなレベルで流し続けることにより、世界を貧しさや過酷さや軽薄さの中に埋め込んで、支配者たちの富を増やしてきたのです。

 

私が子供の頃は、キリスト教徒でもないのにクリスマスという催しをなぜやるのかという疑問がありましたが、今はそれに加えハロウィンの大騒ぎがあります。それもこれも、人々が望むから広まるのではなく、支配者たちの広める意思にマスコミが従うことによって広められてきたのです。以前のNHKによる韓流ごり押しやMLB中継ごり押しも同じです。

 

こうして、古い世代の中に、マスコミのごり押しに違和感を持つ人びとがいても、新しい世代はそれを当然のこととして何の違和感もなく受け入れていくことになります。

 

ところで、以上では西洋文明と呼びましたが、もっと詳細に検討してみると、今世界中に広められているのは、西洋文明というよりは、わかりやすい刺激を求め、浮ついた快楽に飛びついて、描かれた「上」を単純に信じ込んで目指すような大衆を作りだすためのコンテンツであることがわかります。

 

未来図を描き、理想的な人生のありかたを提示する一方で、どう考え、どう行動するのが正しいのかをマスメディアを通じて広めて、人は疑問を持つ暇もないままで、描かれた理想像に合わせて自分の人生を送ることになります。その結果、大衆の生き方は支配者たちの望みに合わせて調整され、支配者たちを潤すことになっているのです。

 

人類の歴史は、社会制度が未発達で、人々が社会に依存する割合の低い狩猟採集生活から始まり、社会制度が発達していって、暮らしのために社会に依存する割合が高まる中で、支配者が登場し、人々の生き方に対する支配者たちの影響力が高まっていきという歴史でした。今は、それがほとんど最高潮に達しており、支配者たちが是とする以外のコンテンツは社会に影響を与えるような形では流通できなくなってしまいました。

 

その最たる実例がコロナ騒動だというわけです。

 

今は、ワクチン接種を進めることが命じられて、ワクチンの危険性や、無意味さを主張する声は、社会に影響を与えることのできない場所でしか触れることができません。

 

ユニセフは水を確保することに苦しむ子供の姿を問題としてCMを流しますが、本当に問題であるのは、長期間にわたって同年代の子供たちと一緒にされて、親の関与できないカリキュラムに従い、学校生活を送ることを余儀なくされる文明社会の子供たちです。そうしたことを、支配者たちは見えなくさせてしまうのです。

 

男は男らしく生きることができず、女も、子供も、年寄りも、生命の自然なありかたに沿って生きることができないのが、支配者たちが「理想」として私たちに描いて見せる生き方です。

 

狩猟採集社会に生きる人々は動物に近い生き方、すなわち生命の本来的なありかたに近い生き方をすることができます。社会への依存度を高めた文明人は、社会を作り上げた支配者たちの意図に従って生きることを要求されます。

 

さまざまなコンテンツによって見えにくくされてしまっていますが、現代文明にも支配者は存在し、支配者たちの意図が私たちの生き方を束縛しています。その直近の具体的な実例が、コロナ騒動です。

 

人類は社会への依存を高め、社会が広がるとともに、より一層広く深く支配を受けるようになってしまったのです。

 

進化の産物である体の声を聴く

猫がやってきて、起きて欲しいと、とんとんと私に触る
こんなとき、猫はけっして、バシッと叩くような触り方はしない。
そんな触り方をすれば、頼みごとを聞いてもらえないとわかっている。

オス猫とメス猫が互いの愛情を確認するように、ハトの鳴くような声を出す。
オスはメスを舐めてやり、メスはそれを受け入れる。

このオスは母猫を舐めるようなことをしないが、
母猫は息子であるこのオス猫をいとおしく舐めてやる。

裏口から出ていった猫が玄関からかえってくる。
どちらから入っても、同じ家の中に入れることを猫は知っている。

私たちの体は進化の結果として、こうなっている。
心を持ち、空間を認識し、性や親子の関係をだれに教わらなくとも知っている。

血縁関係がなかったり、種類が違っていたりしても、
同じような進化を辿って作られた体が反応すれば、
仲間になったりすることもある。

それは、心や体が完全体としてあるのではなく、
この世界で生きていくための便宜上の存在であるから、
ある程度の融通が利く(効いてしまう)ことにもなるのである。

ヒト以外の生命の少ない人工環境に暮らし、
体の声を聴くかわりに、言葉によって教え込まれた概念を頼りに思索していると、
ヒトは生命であるという絶対的な事実が見えなくなってしまう。

生命は他の生命を資源として利用し、
利己性を優先させて子孫を作る存在であり、
そうした生き方をし易いように肉体(心を含む)が作られている。

生命の本質は、体の声に従って生きることである。

今、人類は言葉という大きな障害に阻まれて
人工的な環境の中で金を稼ぎ、
特定の人々の金儲けにつながる活動のみに従事して生きるだけの存在に成り下がった。

体の声を聞けば、人はこんなに仕事に追われる生き方など選ばない。
動物たちと同じように、自然と向き合い、子育てに励み、
アドレナリンをたくさん出して短い命を謳歌していたはずなのだ。


言葉に頼るのではなく、
私たちをここまで導いてきた長い進化の歴史によって作られた
体の声を聴くことが、
本当の生き方を教えてくれるはずである。

 

 

昔、エイズウイルスは人工的に作られたという話を聞いた

まだ、私が陰謀論と呼ばれるものを知る前のこと、ネット上のやりとりで、エイズウイルスは人工的に作られたものであるとして、その詳細を記した長文の小説について意見を求められたことがあった。

 

私自身は、もし私がそのような秘密を公にするのであれば、このような小説という形をとらず、簡潔に要点をまとめた資料を作るだろうから、小説化されている時点で、エイズウイルス人造論は信じられないと答えたような記憶がある。

 

しかし、エイズウイルスがどんどん感染を拡大して、性行為自体が行えなくなりそうな印象さえ与えていた当時の騒がれようと、耳にすることも少なくなった現在の状況とを考えると、人造論もあながち嘘ではなかったような気がしてくる。人工的に作られた不自然なウイルスだから、あっという間に弱くなったのではないかと思えるからだ。

 

エイズに続いて、SARSとMARSがあった。これらは一時的に騒がれただけでそれほど大きく取り上げられ続けることはなかったように記憶している。今になってみると、これらも今回の騒動を起こす前の予備調査として作られていたような気がしてくる。

 

今回のウイルスが実在するかどうかはわからないが、ここまで大きく騒ぐことになった背景はある程度推測できる。前回の騒動とは違い、今はネット環境が整ってきており、ある程度在宅ワークが可能になっている。そんなところから、騒動を拡大して、企業に雇用されながら家で働くという状況を生み出すことも、この騒動の目的の一つであったように思えるのである。

 

つまり、数回の予行演習を経て、いよいよ本格的に実施できる状況ができたとして、最初から騒動を大きくするつもりで、各国・マスメディア・国際機関が方向性を合わせ、一部の企業が当初から宅配やネットワーク機器の準備をしていたように思えてしまうのである。

 

何しろ、さほどこわくない感染症を相手に、効力のないワクチンをごり押しし、ワクチンパスポートなるものまで作ろうとしている状況というのは異常というよりほかにない。

 

このような異常な状況を前にすると、エイズウイスル以降の世の中を騒がせたウイルスはいずれも自然発生ではないとしか思えなくなってしまうのが私の感覚である。

 

 

 

集団が大きくなるほど人は搾取されて不幸になる

ピグミーやブッシュマン(サン)のような狩猟採集集団は、概ね家族が単位となっている。そこには支配者や、村のリーダーのような存在はなく、人の暮らしの時間は、チンパンジーやゴリラなどと大差のない、生物として過ごす時間が大半だった。

 

ニューギニア高地人やヤノマミ、ピダハンなど、農耕を始めた集団は、農業に使う時間が増え、農耕による人口増加圧の上昇から集団間の闘争が激しくなるというマイナスの影響を被るようにはなっている。しかし、まだ基本的に生物的な暮らしを続けることができていた。定住性が高まることから、共同体のつながりが強まってはいても、まだ首長という存在は存在していない。

 

農耕でも、米、麦、モロコシなど、保存性の高い主食作物の栽培が主になってくると話が違ってくるようだ。人口が大きく増える可能性が生まれ、土地の重要性が増して、人工環境への依存が高まり、支配者が登場してくる。人びとはもう生物のように生きることはできず、労働にいそしんで納税し、時には使役に耐える必要もある。

 

世界は時代が下るほどに、こうして生まれた支配者たちの影響力を強く受けるようになってきている。それを象徴するのが戦前の世界地図である。互いに血縁関係を持つヨーロッパの貴族たちが作り上げた少数の国家が世界中を支配下に入れてしまったのだ。

 

さて、現代である。

 

人は国際機関による規制に縛られて、まったく非生物的な生き方を強いられるようになってしまった。もう、野山で気楽に生きるような自由は絶対になく、資格がなくての歯にもできず、完全に不平等な条件の下で巨大組織に労働を提供して、支配者たちの懐を潤すように仕組まれたインフラを使い、この人工環境で生き残るために敷かれたレールを必死に走ることしかできない存在になっている。

 

医療の進歩や、さまざまなインフラの整備、技術の進歩、集団間の闘争の激減などが人の一生を長くし、不便を減らし、安全性を高めた。しかし、そうした恩恵を受けるためには、文明社会のルールに従う必要があり、そのルールは、支配者たちの経済活動の都合に合わせて作られている。望むと望まざるとにかかわらず学校に行き、金を稼ぎ、グローバル企業を利するインフラを使って生活する。生活の都合、収入の都合から、マスクをしろと言われればマスクをし、ワクチンを打てと言われればワクチンを打ち、資格を取り、身なりをととのえ、マナーを身に着けて、ようやく暮らしていくことができる。精神を病んで医者にかかれば、それも支配者たちの富を増やすことになる。

 

次々と動画の削除や、検索結果からの排除を行うような民間企業が、ネット上の情報発信の統制をほとんど独占しているのも、こうした歴史の必然である。

 

生物らしい暮らしをできなくさせるものを、人は進歩発展であると呼ばされている。それは進歩発展ではなく、支配の強化にすぎない。そのことをコロナ騒動はあからさまにしている。人を幸せにするのは、生物らしい暮らしであって、文明ではない。支配者のいない社会であって、賢い支配者ではない。

 

私たちが支配者に収めている税金は、実質的に歴史上最高になっているだろう。コロナ騒動も大衆には経済的打撃を与えるが、支配者たちは、あらゆるコロナ対策から利益をえることができるように仕組みを作り上げている。人工環境に依存するしかない暮らしが支配者たちを安泰にしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新型コロナを信じるものは宇宙人によって統治される未来を招く

新型コロナ計画の成功を受けて、宇宙人・UFOに関する報道が頻度を上げてきている。

 

大衆は、身の回りの現実よりも、報道される情報のほうを信じ込み、マスクを着用し、ワクチンを受け入れることが、現在までにはっきりとした。次なる戦略は、人類を超える絶対的な力を持つ宇宙人を登場させ、この宇宙人たちによるものとして、通常であれば受け入れることのできない制約を大衆に課すことだ。

 

オズの魔法使いよろしく、正体のわからない宇宙人が作られ、私たち人類には、歯向かうこともできない存在として描かれる。宇宙人たちが人類に命じるのは、このままの暮らしを続けていては地球環境が破壊されるため、大幅な制約を課される生活を受け入れよというものである。

 

新型コロナ計画は、成功した。これは作られた騒動であると指摘する者はいても、マスコミの力があれば、大衆にマスクをさせ、ワクチンを打たせるのは簡単だった。宇宙人計画も成功するだろう。大衆は、直接目撃することのできない宇宙人の地球襲来を信じて、行動制限に協力するだろう。

 

インディアンが経年した侵略戦争を、日本人もいま経験している。

ただ、その方法は、インディアンの時代ほどあからさまではなくしてある。

まず、教育とメディアを押さえて、侵略者たちに対して、親和的で肯定的な印象を抱かせ、具体的な侵略行為についても、日本という国がよりよくなるために必要な変化であると思い込ませる。

そのうえ、真の侵略者たちを仲間であり、良き人びとであると思い込ませるために、別の敵を作り上げて問題視させるのである。

 

たとえば、外国人が増えることをよいことだと教え込み、排外主義者はよくないと教え込む。中国や韓国による侵略を警戒させる一方で、都市の中央に位置する会社も土地もどんどん外資によって買い取られていっている。日本企業の名前を冠しているといっても、主要企業はほとんど侵略者たちの手の内に入ってしまっている。

 

政治家が日本国民を守ろうとすれば、国際条約違反であるとして訴えられてしまう。

 

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「文明の支配者たちのおかげで寿命は伸び、生活は便利になり、非人道的な扱いを受けることがなくなった。だから、文明を否定するのはばかげたことだ」と、いうかもしれない。けれど、そうした文明の恩恵を人びとが受けようとすればするほど、人は文明の支配者たちに富をもたらし、上に記したような、救いのない状況を強化するために使われるのである。

 

今、起きていることは、こうして真実を口にすることが職を失うことを意味する世界を作り上げた結果として、文明の支配者たちが人々を思いのままに操れるのだという実例である。

 

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死ぬときは死ぬ。老いや病に対して、無駄に抗ってはならない。細菌や野獣など、他の生命とのせめぎ合いに、完全勝利を収めようとしてはならない。

 

狩猟採集者たちや、わずかに農耕を行うだけの未開先住民の世界に触れて、そこに幸せを見出した研究者たちが出会ったのは、支配者のいない世界で、無駄に死や生命の不都合に抗おうとせずに生きることで、生命を実感できた人びとだったのではないだろうか。

 

日々を近親者たちと過ごし、身近な野山から食料を得て、多くの生命に囲まれながら生きる。それ以上の幸せはない。それが私の結論である。

 

 

 

 

 

教育とマスコミは、大きな嘘を信じる国民を作る

鳥類のヒナが最初に目にした動くものを親であると信じ込む刷り込み。それほど強烈ではなくとも、私たちは出会ったときに受けた印象に、その後も長く引きずられる傾向が強い。そのため、何よりも重視されるのが、多数の子供たちに対して一方的に情報を与えることのできる学校教育や、新しい製品や概念を一致団結して紹介して新しいブームを作り上げる力を持つマスコミである。

 

学校で江戸時代はひどかったと教えば子供たちはそう思い込み、時代は進歩して民主的で人権が守られる社会が実現されつつあると教えれば子供たちはそう思い込む。そうした社会を作るために先導してきたのが西洋文明であると教えればそう思い込む。昔は公害がひどかったが、今は対策が取られるようになったと教えれば、下水処理場ばあれば合成洗剤を使っても問題ないはずだと判断するようになる。

 

そうして、いったん知識を植え込まれてしまうと、その知識に反する意見を受け入れることは難しくなる。具体的に検証していけば、教え込まれた知識が誤りであることに最終的には行きつくとしても、通常はそのような検証を行うほどの時間もなく、まあ、学校やマスコミは概ね本当のことを言っているだろうという現実的な判断に従うことになり、結局、最初に情報を与えて、知識を植え付けた者たちが勝つことになるのである。

 

今、起きていることがまさにこれである。

 

学校教育とマスコミによって今の支配体制に都合のよい知識を植え付けられて疑おうとしない人びとは、科学的で現実的で常識的で情報リテラシーの高いのが私たちで、ワクチンが危険だとか、新型ウイルスは存在しないとかいっている奴らは、間違った情報を信じ込んだ馬鹿たちであると判断してしまうのだ。

 

事実は、今の支配体制にとって都合の悪い情報はできる限り隠されたり、嘘の情報によって上書きされたりしているだけである。根気強く検証していくと、だんだんとこのことが見えてくると私は考えるのだが、その際にも、生まれてからそれまでに、嫌というほど植え付けられた価値観のせいでなかなか正しい方向に進めないとは思う。

 

今回の騒動で言えば、当初からおかしな動きは多数あった。あまりにも早く検査が可能になり、マスコミは感染者と死者の数を累計で伝え続けて危機感をあおり、御用学者としか思えない人物が重用され続けている。そして現時点でもっともおかしな動きは、すでに効果がないことがはっきりわかったワクチン接種をまだやめようとしないどころか、さらに強力に進めようとしている点である。

 

教育を親の手に取り戻し、不特定多数の視聴者に向けて情報を発信できるようなメディアを禁止することが、こうした支配から脱するためには必要であろうと私は考えている。

 

 

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