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本来の生き方をする私たちは「使えない」やつである:グローバリズムからみる文明

こんにちは、訪問いただきありがとうございます。

 

私は、子供の頃から社会に溶け込めない性質もあって、社会に適応していく努力をするよりも、この社会の問題について考えることが常になっていました。自然に囲まれた山村で育ち、祖父母とも一緒に住んでいたので、特に祖母とキノコ狩りにいったり、鶏のエサやりを手伝ったりしていました。そうして採集の楽しみを知り、生き物好きになり、自然を壊さないことが大事なのだという考えをもっていました。

 

そんな私なので、子供の頃から経済活動には、ほとんど興味がありませんでした。男の子なら好きな自動車も自分にとっては雨の降る日に道路脇の水田から這い出てきたカエルたちをひき殺してしまう存在でした。とにかく自給自足的な生活さえできれば何も問題はないのに、義務教育があり、社会で仕事を得るにはさらに勉強をする必要があり、自然を破壊するような活動にかかわっていかなくてはいけないということが、本当に疑問でした。

 

そんな私が中年を迎えて、仕事の傍らでライフワーク的に始めたのが、人類の本来の生き方を考えること、そして、自然を破壊し、自給自足的な生活を破壊する社会の根底に何があるのかを考えることでした。

 

私は中学生の頃、本田勝一氏の『ニューギニア高地人』を子ども向けに編集した『生きている石器時代』という本を読みました。そのあと、高校で地理の夏休み課題として、『ニューギニア高地人』『カナダ・エスキモー』『アラビア遊牧民』を読むことになりました。人類学との出会いです。学校なんてなくともよいのになあと考える私にとって、学校の存在しない、これらの本に描かれた社会は、当時の日本社会よりも、ずっと理想的であるように思えました。

 

そんなこともあり、私は、人の本来の生き方を探るために、人類学の本を中心に読み始めました。そうしてわかったのは、人類の長い歴史のほとんどは、狩猟採集生活、それも、定住しないで一定のテリトリーの中で狩りや採集をしながら、遊動する暮らしであったということでした。それまで、定住することが当たり前だと考えていた私にとって、人ほどのサイズの動物は、本来定住などしないで資源を求めて動き回るものだという指摘は、天動説ほどの衝撃を与えてくれました。

 

もはや本当の狩猟採集生活を続けている人はほとんど地上にいなくなってしまいましたが、20世紀には、まだ南アフリカ中央アフリカに狩猟採集生活を続ける人々があり、日本人の研究者を中心に、彼らの社会が調査されていました。日本の生活で疲れたとき、「人はこんな風にも生きられるのだ」と考えることが安らぎになったというようなことが記されていました。彼らの生活は、「こういうことなんだよなぁ」と思わせてくれるような生活でした。

 

特に重要なことは、そうした遊動生活においては、強制力を持って指導できるリーダーは誕生する余地がないということでした。人々は、気に入らないとなればさっさと移動して時が解決してくれるのを待つのです。また、狩猟採集生活では、離乳食を用意できないため、出産間隔が3年から5年という長いものになり、死亡率の高さもあって、人口増加はほぼ見られません。こうして権力者がなく、人口増加圧が低いため、狩猟採集社会は比較的平和であるということができます。縄文時代が長く続いたのも、狩猟採集を中心とする生活だったからでしょう。

 

さて、そうした狩猟採集社会の住人は、基本的に労働力として使えないヤツになります。労働者として働かなくても、自由に生きて、動物に近い生き方を送ることができるためです。未開農耕民の社会もほぼ同じです。自給自足的な暮らしをしているため、わざわざ人に使われる必要などないのです。

 

人類学の本を読んでいると、そんな未開社会が文明社会、特にキリスト教を信じる社会に取り込まれていくケースがよく登場します。そうした場合、未開社会の住民は、ほぼ間違いなく不幸になっていきます。

 

これまで、その理由がわからなかったのですが、ようやく謎が解けました。

 

文明社会とは、グローバリストが作り上げた社会であり、グローバリズムの世界では、一般人は単なる資源として利用されるだけの存在であることが、理由なのです。

 

それまで当たり前にできていたことが、文明社会の法律によってできなくなります。裸族は服を着せられ、伝統医療は禁止され、狩猟や採集もできなくなります。それまでは育てられない子を天に返すことが当たり前だったのに、できなくなり、結婚にも年齢制限が課されてしまいます。暮らしの中で技術や知識を得るだけで十分だったのに、読み書きを習い、祖先の暮らしを否定されて、支配者たちのやり方に合わせなくては、暮らしていけません。十分にあった時間は、たちまちなくなってしまい、娯楽一つにもカネがかかります。

 

グローバリストというと、最近登場したように思えるかもしれませんが、少なくともマルコ・ポーロ大航海時代に船を送り出した人たちはグローバリストと呼んでよい存在でしょう。動物的で本来的な生き方を人々から奪って、法律の枠組みに入れ、世界を統一して、ごく少数のエリートたちが、人を資源として最大限利用できるようにする。そのために、全世界を中央の直轄にしていく。言語もどんどん統一し、生き方も中央が決めて、そうした世界に適応していくことが新しい生き方なのだと教育とマスコミで教え込む。

 

グローバリストは、すでに世界のほとんどの国で中央銀行を握り、国際機関も、各国政府も、教育も、マスコミもコントロールしています。正気の沙汰ではないLGBT法案が通ってしまうのもそのせいです。マスコミに外国人やハーフがたくさん登場し、移民はどんどん受け入れ、学校では日本舞踊ではなくヒップホップを教えるのもグローバリストの意向によるものです。松下がPanasonicになり、コストコの進出がマスコミで宣伝されるのも同様です。そうして、地域を破壊してグローバル企業にとって円滑な市場が作られていくのです。

 

このまま進むと、人は狩猟採集社会にあった本来の生き方をまったくできなくなり、グローバリストの作り上げた世界で資源として最大限利用されるだけの一生を送ることになります。それを防ぐには、グローバリストにカネが回らない仕組みに変えていく必要があります。また、マスコミを利用されないためには、第三者による情報発信を禁止して、当事者の発言だけが許されるようなやり方も必要でしょう。学校教育も、国(グローバリスト)によるカリキュラムではなく、当事者である親が教える形にする必要があるでしょう。なによりも、暮らしの規模を小さくすることが重要でしょう。

 

余談になりますが、私たちが狩猟採集者の暮らしを見る時、文明社会の価値観からすると、とても容認できないように見える要素がふんだんにあると思います。けれど、そうした価値観を植え付けたのは、グローバリストによって準備されたマスコミや教育なのです。そうしたときは、動物たちの生き方を基準に考えると本質が見えてきます。教え込まれたものが本当ではなく、言葉を持たない動物たちの事実が本当なのです。

 

 

人類の普遍的な生き方であった遊動する狩猟採集生活を定住と農耕が変えてしまい、グローバリストを生んで人は単なる資源になった

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