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こんなにも変わってしまった 暮らし

3年間で暮らしは変わってしまった。

常にマスクを持ち歩き、大半の人が短期間で繰り返しワクチンを接種した。

 

マスクやワクチンについて考えはあるだろうが、学校や会社にいき、なじみの店を利用するには、個人の意思に反していても、マスクを外したり、ワクチンを打たないでいたりすることができない人は多かったことだろう。たとえば、介護施設を利用するにも、ワクチンを打ってくれと言われた人があるようだ。

 

まるでほんの短期間のうちに社会はそれまでとは一変してしまったようにも見えるが、実は、そうなる前からもうすっかり変わっていたのではないかと私は思う。

 

大半の人が、家で働き、学校なんてものは存在しなかったのが、150年ほど前だ。150年前というと大昔ではないかと思われるかもしれないが、そこに至るまでの数万年の間、人は学校も会社もない世界で生きてきた。すくなくとも、今のように誰もが学校にいかなくてはならず、多くの人雇われて生きるような世界ではなかった。

 

いや、150年前からそうした世界になったことで、私たちは、文明の恩恵を受けた暮らしを送ることができているではないかという反論の声が聞こえてくるようだ。どちらの暮らしが人として幸せなのだろう。しかし、その答えを知ることはできない。150年前と現在とを共に経験した者はいないからだ。しかし、少し前までは残っていた、国家の支配がいきわたっていない地域に住んでいた人々に、国家の影響力が強まったときに何が起きたのかを見れば、おそらく文明の恩恵など受けない世界のほうが、人は幸せだったのだということはできる。

 

写真を見れば一目瞭然なのだが、同じ人物でも未開社会にいるときは野生の動物と同じように独立した個として、外側の価値基準ではなく、自らの強さによって作られた立派さを思わせる。これが文明人となると、ひげをそり、髪を整えて、単なる会社員の風貌に変えられてしまう。それでも、立派さを打ち出すように装うことはできるかもしれないが、野生の美しさは失われてしまっている。

 

はっきり言うと、文明社会に生きる人は、動物ではなく、経済活動のための道具にされてしまった家畜やアンドロイドのような存在でしかなくなっている。

 

それは、カネが物を言うように構築された人工環境が文明社会であり、労せずして金を生み出す方法をほんのわずかな集団だけが握っているのが文明社会の実態だからである。

 

150年前から私たちの暮らしは、そうした世界を作り上げる中で変えられてきており、マスクをして、ワクチンを短期間に繰り返しうつような不自然な生き方が、強いられるようになってしまっていたのだ。

 

私たちの生活は、金融資本家たちのタクラミによって、こんなにも変わってしまった。

 

2023/1/9追記

西郷隆盛はこんな国を作るはずではなかったといい、

岡倉天心は、茶の本で「日本が平和な文芸にふけっていた間は、野蛮国と見なしていたものである。しかるに満州の戦場に大々的 殺戮 ( さつりく ) を行ない始めてから文明国と呼んでいる」と書いている。

幕末・明治初期に日本を訪れた西洋人たちは日本を彼らの国のように変えていくことについて疑問を呈したりもしている(「逝きし世の面影」)

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