毎日出てゐる青い空

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西洋先進国という幻想を植え付けて人をアンドロイド化していく支配者たち

西洋文明は奴隷の存在を前提とする文明である。

中世の西洋から近代の始まりまで、西洋の庶民がひどい暮らしを続けてきたことは、事実である。

幕末の日本を訪れた西洋人たちは、全部ではないにしても、多くの農民や町民が彼らの祖国の庶民と比べて、非常に幸せであることに驚いたのであった。

 

茶の本を書いた岡倉天心が、西洋人は、日本が平和のおだやかな技芸に耽っていたとき、日本を野蛮国とみなしていたものである。だが、日本が満州の戦場で大殺戮を犯しはじめて以来、文明国とよんでいる。と指摘しているのも、西郷隆盛が、こんな国を作るはずではなかったというしかなかったのも、日本と西洋の文明の本質的な違いを表している。

 

寂しい山の中に小さく人の姿を描いた山水画は、人という存在のちっぽけさ、悲しさを象徴している。そうした前提があるからこそ、日本や東洋の文明は、足ることを知ることを大切にし、欲望に生きることを軽蔑することができたのである。これに対し、西洋文明が広げるのは、人の生命としての本質を隠して、まるで万能の存在になれるかのような言説を広め、人々の欲望を肯定し、競争を後押しするような価値観である。

 

学校教育やマスコミは、世界を支配した西洋文明に牛耳られているため、西洋先進国という幻想を与え続ける。実際には、町民文化をはぐくむこともできなかった野蛮な西洋文明を先進的で民主的伝統を持つ文明であると教え込み、西洋には成熟した市民社会が存在しているのだと思い込ませる。これを信じ込んだ人々は、共同体の失われた社会に自治を信じ込み、個人の発言が意味を持たない社会に民主主義を信じ込み、行動の制限されつくした社会に自由を信じ込み、そうした社会をさらに強める方向に努力することを人類の進歩に貢献したと思い込む。

 

ここまで来て見えてくるのは、私たちの社会は西洋化とかグローバル化という方向へ進んでいるのではなく、マスコミと教育によって、望ましい生き方を教え込まれたロボットのような存在を作る方向へ進まされているという事実である。野山に暮らし、動植物を取って生きるような暮らしは否定されて、衛生観念を持ち、医療を否定せず、体の声よりも知識を重視して、社会の基準に従って生きる。できるだけ軽薄な娯楽を選び、金を中心として生活する。そういう生き方を選べと言われているわけである。

 

こうした動きをつくっているのは、奴隷を前提として発展してきた文明であり、世界各地で残虐行為を働いてきた文明である。この点が、私たちの生きる現代を分析するうえで決定的な重要性を持つ。

 

彼らは、限度というものを知らず、遠慮や共存という言葉も知らない。彼らは利用できるものを利用し、利用価値がなくなれば何の躊躇もなく捨てていく。

 

彼らが世界を支配して文明は進歩したかもしれない。そして文明の恩恵を否定することは馬鹿らしいと思われるかもしれない。しかし、生命としての自分が欲しているのは文明の恩恵ではなく、文明によって劣化されていない環境のほうなのだ。

 

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