毎日出てゐる青い空

日々雑感をつづります。ホームページでは本の紹介などもしています。

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『人間が好き』

人間は鳥のように 静かに地球を 通りすぎていくことができます

どうして 自分の足跡を記念碑などの形にして 残そうとするのでしょう

人間をふくむ宇宙そのものが すばらしく 偉大な創造物なのに 

(95ページ)

 

生と死

死ぬときも 生まれたときと同じように

なにも 特別なことはおきません

生も死も 祖先とつながる川の流れの一部なのです

ですから 死をおそれることはありません(82ページ)

 『人間が好き

 

もう一度 最初をふりかえってみよう

問題は

人が 善いか 悪いかを考え

自然は 善だ いや悪だと争い始めた時から出発した

  自然は 善でも 悪でもない

自然は 弱肉強食の世界でも 共存共栄の世界でもないのに

勝手にきめつけたのが間違いの根だった

人間は 何もしなくても 楽しかったのに

何かすれば 喜びが増すように思った

物に価値があるのではないのに

物を必要とする条件をつくっておいて

物に価値があるように錯覚した

すべては 自然を離れた人間の智恵の一人<ruby><rb>角力</rb><rp>(</rp><rt>ずもう</rt><rp>)</rp></ruby>だ

無智 無価値 無為の自然に還る以外に

道は無い(264ページ)

 

この頃私は、「自分の年は、今百歳、二百歳」と思いこむことにし、元気な内に早く死ねるようにと、心掛けている。そのためには、何も約束ごとをせず、昨日を忘れ、明日を思わず、日々の仕事に徹して、我が足跡を少しでも残さないことだと思っている(266ページ)

 『わら一本の革命』

 

要するに人は<食う>ために生きているのである。山で長く暮らすにつれて、その思いはいよいよ強くなっていった。(115ページ)

山で暮らす年月を重ねるにつれて、<死>というものがずっと身近に感じられるようになり、それはそんなに抽象的で特別なことではなくなってきた。たしかに死は恐ろしいが、生の営みがあるところには、必ず死も遍在しているのである。ならば、今ここに生きてある一瞬一瞬を精いっぱい呼吸して今日一日を生きることができれば、それで充分ではないか。明日のことはわからないのだ。だんだんそう思うようになってきた。(242ページ)

 『山暮らし始末記

 

病気、寄生虫、動物、電通モンサントイエズス会、ゴールドマンサックス、ロスチャイド、藤原氏、狩猟採集者の生き方など、目的意識を持って読書を続けてみた。

私の前に残ったのは、ここに示したような言葉たちであった。たかが1000年を長いと感じ、数百年の枠組みをかけがえのないものであるかのように思いこむヒトにとって、自然界の仕組みは善悪を越えたものであり、逆らうことのできないものであった。

 

私たちに生き方を教えてくれているのは、動物たちであり、耕すことも動物を飼うこともしない人たちであった。そのような人々は、森の中を移動しながら暮らし、家も作らず、人と積極的に会うことも避けるため接触さえ難しく、ほとんど記録に残されていない。記録されるようになった頃には、元の暮らしを失ってしまう。

 

決定的に重要な一つの事実がある。

それは、

私たちがこのような暮らしをしたいと考えても

決して許されないということである。

 

国家は国民に労働を課し

宗教は人に価値観を押し付ける

 

 

そこから抜け出そうとする者には、

厳しい制裁が待っている。

 

 

 

人を本来の生き方から遠ざけているのは

人を強制的に従わせる仕組みである

文明社会である。

 

 

 

 

 

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