毎日出てゐる青い空

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歴史から学ぶ

『20世紀を騒がせた本』という本が実家にあったのでめくってみた。

 

ソビエトで起きたルィセンコ事件を扱った章があり、その冒頭に、人類が誤りを繰り返す理由を象徴するような記述を見つけた。

  二十世紀の開始にあたっては「科学の世紀」ということが叫ばれた。合理主義と文明の進歩が人間の生活を豊かに、実りの多いものにするはずであった。その科学が一握りの権力者や戦争によって利益を得る階層に奉仕し、支配の道具として利用されるような事態は予測できなかった。(107ページ)  

事実はまったく逆であった。一握りの権力者や戦争によって利益を得る階層こそが、新しい技術を支配の道具として利用し続けてきたのであった。農耕や貯蔵の技術を人類が開発したとき、すでにこの新しい技術は支配者の利用するものとなっていた。支配者たちは今と同じように、あるいは暴力によって、あるいは価値観の植え付けによって、あるいは不安をあおることによって、あるいは支配を持続させる社会制度を築くことによって、新しい技術から得られる利益を大きくし、独占することを続けてきた。

 

技術は独占されるに留まらず、人間の生活を豊かにも、実りの多いものにもしてこなかったことも、歴史は語っている。人類学者たちは、文明社会にではなく、文明の「恩恵」の届かない暮らしを選んだ人たちの中にこそ、主体的で確固とした人間らしい暮らしを見出してきた。また、たとえば、農耕は飢餓から人類を解放するどころか、かえって人口増加を招き、異常気象に弱い状況を生んだように、新しい技術はかえって事態を悪化させてきた。

 

歴史から学べば、私たちはこうなることを確実に予測できたのである。むしろこうなる以外の未来を予測することのほうが困難なのである。だが、ほとんどの人々はまだ、夢を捨ててはおらず、科学技術の発達によって明るい未来が訪れるはずだと考えたり、そうではないにしても人にはもっと素晴らしい生き方が可能であると考えたりしている。

 

断じて違う。

 

文明の支配者たちが発する、価値観を植え付けようとする情報を見抜いて、人類の歴史を振り返ってみればわかる。文明とはほんの一握りの人々が他の大多数を支配する世界であり、人々から主体性を奪うものである。それでも、人々は文明社会こそが幸せな社会であると思い込まされている。

 

確かにそのように見えることはあるだろう。

 

たとえば、ピダハンは助からないと見た赤ん坊を安楽死させ、難産で死ぬ妊婦を見殺しにし、墓もあえて川岸に作って流れるにまかせる。

 

しかし、そんな生き方をしなければ、かえって不幸になっていく。

それが動物として生まれた人類の真実である。

 

あなたは絶望するだろうか。

 

その必要はない。ピダハンは幸福感が強く、子どもを溺愛する人々でもある。

ピグミーの暮らしはコリン・ターンブルが精霊にたとえるほど好ましい。

ブッシュマンの暮らしは、地上にこの人たちがいる限り人類は救われると考える者がいるほど、なつかしい。

 

 

私たち文明人の受けている洗脳は根深いのだ。

 

 

 

 

 

 

 

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