視野を極端に限定することで得られる幸福
今日もピダハンについて書きたいと思います。
ピダハンが生物として直面する問題、つまり病や老いや死に対して、不安を抱かない理由として、先のことを考えず、毎日目の前の現実だけを相手に暮らしていることが挙げられていました。
ここに、人間は知れば知るほど不安が増えるから、知らないままで済ませておこうという知恵があると思います。
事故や事件がおきたり、伝染病が流行したり、異常気象が発生したりと、不安の種はつきないけれども、あるがままを受け入れる覚悟を決め、将来を考えることなく日々を送ることにより、他のどの民族よりも笑顔の多い社会が実現されているということです。
実際、テレビを見なくなってから、世界はなんて安全で平和なのだろうと感じることが多くなりました。
また、人間はいずれ真理に到達すると確信して知識を増やせば増やすほど、人間の精神が侵されていっていると実感している人も多いことでしょう。
視野を広げ知識が増えることによって、身近にいたまっくろくろすけたちも姿を消しました。
今の私は、真理を得ようとすること、知識を広げて将来を予測しながら生活することよりも、あるがままを受け入れ、視野を限定し、精霊などを受け入れながら暮らすことが人間本来のありかたであると思えてしょうがありません。
こんな考えはおかしいのでしょうか?