原始生活の夢想
子どもの頃、将来の夢やなりたい職業を聞かれて何も思い浮かばなかった私。
身近で見る大人の仕事は、木工所、製材工場、雑貨屋、山仕事、肉牛の飼育、肉牛の仲買、土木などでした。田舎でしたから。
子どもの頃の私は、中学を卒業したら働くのかなと思っていました。
まだ高校進学率は50%程度だったでしょうか。
中学生になるころには、高校までは出ないといけないのだなと考えるようになりました。どうやら中学卒で就職することはその後の生活を考えると大変そうでしたから。
でも、自分のなりたい職業はやはり身近で見ることの多い、農業や林業、近所の工場で働くといった職業でした。ただ、子どもの頃からひ弱でしたし、専業農家としてやっていくには広い土地がないため難しいと考え進学を選びました。
その後、大学を出て、コンピュータ関係の会社に勤めました。
こうして紆余曲折を経た今思うのは、もしも、今のような社会でなかったなら、私はきっと学校へ行くこともなく、自給自足的な暮らしをしていただろうということです。
おそらく、社会的制約がなければ、今のような暮らしではなく、狩猟と採集を中心とした生活をするほうが、多くの人にとって自然で当たり前の暮らしなのではないかと私は夢想します。
こう考えるようになった背景には、人間にとって科学(自然科学・社会科学)が当たり前ののものでも真実でもなく、架空にすぎないと受け止めるようになったことがあると思います。
人間は、何が事実であるかではなく、何を事実と考えるか、もっと言えば、言語化されていない部分で何を確実ととらえているかに依存して生きる存在であり、科学的な事実がどうであるかは人間の本質にとって無意味であるとわかってきたからです。
今、私たちは、主に西洋文明が生んだ科学知識の上で暮らすことをほとんど強制されて、法治主義・民主主義・人道主義などの言葉に踊らされて生きていますが、本当は、森の縁に十人程度の集団を作って住み、自分自身の力で生きていく充実感を感じながら、学校へ行く代わりに生きるための知恵を身につけながら生きていく存在であるとつくずく感じるのです。