毎日出てゐる青い空

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満州/台湾は中国ではないし、太平洋戦争というよりは大東亜戦争が適切

私は高校で日本史を専攻しなかったので、日本史の知識は中学までしかありません。また、それほど興味があったわけでもないので、常識的な内容も知らないかもしれません。

 

そうした私が軍事郵便絵葉書の存在を知って、大陸の暮らしや、軍事行動を描いた内容について調べていくうちに、これまで知っていた太平洋戦争に関する知識を大きく修正する必要があることに気づきました。

 

また、世界システム論やイルミナティ、シュメール文明、狩猟採集民を中心とする人類史を知ったことも、私が太平洋戦争を見る眼は大きくかわりました。

 

ここでは、浅薄な知識しかないことを自覚したうえで、太平洋戦争に関する私の視点にどういった変化が生じたのかを書き留めておきたいと思います。

 

軍事郵便絵葉書に描かれた中国の庶民の様子や、軍事行動を目にしたとき、私は、太平洋戦争が始まって以降の様子を描いたものだろうと思い込んでいました。昭和16年(1941年)12月8日の真珠湾攻撃によって戦争が始まったのだという印象が強すぎて、それに先行する日中戦争昭和12年(1937)~昭和20年(1945年))の存在はすっかり忘れていたのです。日中戦争という名前くらいは聞いたことがあったとしても、どの時期にあったことなのかは知りませんでした。

 

調べていくと、1901年の北京議定書で中国はすでにイギリス、フランス、ロシア、ドイツの勢力範囲に分割された状態にあり(中国・歴史(1)第二次世界大戦まで)、帝国主義各国の支援を受けた軍閥が割拠する状態でした。これが、列強による侵略のない中国大陸に日本軍が一方的に侵略を進めたというのであれば、現在のように日本が非難されることもしょうがありませんが、こうした情勢を作ったのはむしろ欧米側なのですから性質が悪いといえましょう。

 

さて、私自身は、明治維新後の日本の歴史はほとんど国際金融家たちの命じるままに動いていると考えていますから、日清戦争日露戦争、朝鮮併合などの出来事を、歴史の教科書で解説されているようなストリーでは理解しません。福島原発事故が発生したとたんに、爆発の映像を徹底的に隠したり、癌患者の記録を義務付けたり、プルトニウムは重いから飛ばないというデタラメを解説したりするのが人間ですから、国民向けの説明や教科書に記される物語と、事実とは大きく乖離しているものと思われます。したがって、日本の朝鮮併合や台湾併合、満州国の傀儡化といった政策の意図についても、国際金融家側の視点から見る必要がありますが、ここでは触れないものとします。

 

 

日中戦争支那事変、当初は北支事変)は、盧溝橋事件を発端としていますが、そもそも関東軍のしわざであったのかどうかはっきりとしていません。むしろ問題なのは、当時日本側も中国側も、この事件を拡大しようとはしておらず、停戦協定が締結されていたということです。そうした中で、上海の中華民国軍が日本軍を包囲攻撃したことが戦争拡大へとつながりました(なぜシナ事変が本格的な戦争にならざるを得なかったのか | 渡部昇一 | 10MTVオピニオン)。

 

日本側としては、全面的な戦争に取り組む体力のないなかで、おそらくは列強の武器商人から武器を提供された中国側の勢力との戦いに引きずり込まれてしまったというのが真相なのだろうと思います。これも軍事郵便から知ったのですが、日中戦争中の1938年(昭和13年)には、蒋介石率いる国民党軍が日本軍の進撃を阻止するために水死者100万人という黄河決壊事件を起こしており、蒋介石の目的が中国国民の救済ではなかったことを推測させます。

 

日中戦争開始前の日本は、1895年に台湾統治、1910年に韓国併合、1932年に満州国建国(関東軍の傀儡国家)と領土を拡大しました。こうした地域についても一つ一つ当時の状況を確認していくと、台湾は清国の支配下にあったとはいえ部分的、朝鮮半島は清の冊封国でした。満州は、満州人の地であり、清の時代には漢民族の移住を制限していました。

 

以前の私のように、あまり考えないで新聞やテレビから断片的で一方的な情報ばかりを得ている状態であれば、満州や台湾は中国に返すのが当たり前、朝鮮の独立を奪った日本はひどい国となりますが、事実はそう単純ではありませんでした。

 

日中戦争以降の戦争の話に戻ります。 

 

戦争の全体像を踏まえていくと、盧溝橋事件を発端として始まった戦争は、一方では中国側に投入される武器商人たちの資金によって、他方ではおそらくは日本軍の中枢部にも送り込まれていた、戦争拡大協力者たちの活動によって、どんどん拡大していくことになりました。

 

その戦いの趨勢は、当初から停戦協定を望んでいた日本側の意図を反して中国全土に戦闘が拡大させられた時点で決まっており、その後の真珠湾攻撃からグアム/サイパンなどへの戦線の拡大は、日本敗戦を決定的にするためのダメ押しにすぎません。

 

こうした筋書きを立ててみると、先の戦争の核心部分は、太平洋ではなく、中国大陸にあったことがわかります。これを見えなくさせているのが「太平洋戦争」という名称であると、私には思えます。

 

この記事はるびりん書林統合サイトにものせてあります。

 

【ニート】【少子化】「かくれた次元」を読む意味【ジェンダー】【無差別殺人】【ストレス社会と癌】

ずいぶん前から読みたいと思っていながら、入手してもすぐに手元を離れていっていた 『かくれた次元』 を読みました。1970年発行の古い本ですが、世界中に広まって自給的な暮らしを送っていた人類が、都市生活者になり、住環境が変化する中で発生してきた現在の事態(少子化ニート、草食系男子、同性愛、銃の乱射や繁華街での暴走運転による無差別殺人など)を予見する内容を含んでおり、今だからこそ読む価値のある本であると感じました。

そうした内容は、本書の成果というよりは、 動物学者ジョン・カルフーン(カルホーン)がネズミを使って行った実験(「Universe 25」)の成果です。

この実験では、ネズミを広いケージの中に入れ、十分な食料と巣材を与えて、時には一部の個体を人工的に取り除きながら何代にもわたって繁殖を繰り替えさせました。餌を食べるのに時間がかかるように給餌装置を工夫したり、水の供給方法を変えたりもしました。実験の内容や結果は多くのページで詳しく紹介されているので、ここでは、省略させていただきます。

私が注目したのは、こうした実験の背景と、こうした実験の成果がその後の都市化の中でどう活用されてきたのだろうかというところです。

文明社会とは、ごく一部の資産家たちによって牛耳られている社会であると見る私の視点からすると、この実験は、より多くの富を集めるためには人々を都市に集中させる必要があると判断した資産家たちの要求を背景として、都市化の影響を調査する目的で行われた実験であるように見えます。

狩猟採集者と都市生活者とを比較してみると、狩猟採集者たちが生きるには、広くて自然環境の豊な土地、いいかえれば経済効率の悪い土地が必要です。都市生活者は、あらゆる活動を貨幣経済の下で行い、都市生活者の活動すべてが資産家の懐を潤します。狩猟採集者たちから取り上げた土地やそこに眠る資源も経済活動に利用されます。このため、都市化を進めることは資産家たちにとって必然でした。

けれども、都市化が進んで過密になりすぎれば、不衛生な環境になったり、ストレスから犯罪が増加するなどの影響から、効率の向上を望めなくなることが考えられます。

空間を高層化することでより多くの個体を収容できると本書にあるように、一つの軽減策として、高層化が考えられます。また、空間を閉鎖的にすることによってもストレスを軽減できます。核家族化や、マンション暮らしは、こうした実験の成果を踏まえて推進されてきたのではないでしょうか。

引きこもりや少子化、同性愛の広がり、ストレスが招く病気の増加は、この実験の結果から予想できたことでした。けれども、ある程度統制できていれば、破滅的な状況にはつながらない現象といえるのではないでしょうか。そこで、こうした現象については、都市化と結びつけることなく、あいまいな対応を続けて事態の推移を見守っているというのが、支配者たちの態度のように私には思えます。

『かくれた次元』とカルフーンの実験は、現代社会を理解するうえで大いに役立つものと私は考えます。

 

追記:

この記事は、るびりん書林 新サイト(移行中)にも掲載しました。早急に一本化する予定でいます。新サイトをよろしくお願いします。

 

西アジアとヨーロッパ/日本と中国

人は、特定の情報に触れる頻度が高いほど、その対象は大きな価値を持つと思い込みがちです。たとえば、東京近郊の観光地は、テレビで取り上げられる頻度が高いため、同じような場所が地方にあったとしても、ずっと有名になり、価値のあるものとみなされるようになります。

 

そうした人の性質を利用して、ヨーロッパは実態よりも大きな価値を持つという印象を世界中に広めてきました。ヨーロッパにあるものと同じかそれ以上に価値のあるものが他の地域にあったとしても、そうしたものには極力触れず、ヨーロッパ発の情報をせっせと送り出し、実際以上の価値に見せかけてきたのです。

 

実際のヨーロッパはユーラシア大陸の西半分を占める印欧語族一神教世界(◆ 人類の移動 2: Open ブログ )の中でも面積も小さければ、辺境に属していた期間も長い、後進地域にすぎませんでした。

 

たとえば、日本は小さいといいますが緯度経度の広がりだけをとれば、南欧のスペインから北欧のデンマーク、東欧のポーランドにまで及ぶほど広大です(画像 : 日本の国土の広さ・大きさが世界と比較してよくわかる地図 - NAVER まとめ)。

 

日本とヨーロッパはある意味似ています。西アジア(シュメール)と東アジア(黄河)で生まれた文明の影響を受けながら極東と極西で発展しました。日本ではかつて、越後や伊予、豊後といった地域を国と呼び、それぞれに直接会話することが難しいほどに方言の違いがありました。ヨーロッパの各国は、そうした日本のかつての国を少し拡大したようなもので、住んでいる人も、文化も、言語も、おおよそ似通っています。

 

日本で、縄文人弥生人、渡来人たち、天皇と藤原家が繰り広げたような歴史を、ヨーロッパでは、フン族ゲルマン人ユダヤ人やローマ法王が繰り広げました。日本が印度や中国から学んだように、ヨーロッパもアラブ世界から学びました。

 

 

文学や美術、音楽、宗教、思想に目を向けてみても、実はヨーロッパのものよりも、日本や東洋のもののほうが、生きる命の営みのどうしようもなさを受け入れ、いつくしんでいくという点で、本質的であると感じます。

 

たとえば、フランスは農業大国と呼ばれますが、それは1950年代以降のことでした(

フランスは昔から農業大国だったわけではない: FRENCH BLOOM NET-INFO*BASE

)。コカ・コーラの自販機ばかりが公共施設に置かれていたり、地デジやこしひかりの特許を握られていたり、製品や農産物の購入を迫られたり、首都圏の制空権を抑えられていたりという、日米関係を見ればわかりますが、欧米が豊なのは、あらゆる経済活動の利益を吸い上げることができるような世界を、基本的に無理強いによって作り上げたためです。そうした豊かさを背景として実施された政策によって、自給率を上げたり、福祉を手厚くしたりできるわけであって、実際のヨーロッパは、それほど気候に恵まれていない、豊かさとは遠い地域でしかありません。

 

このような視点から情報を整理しなおして、何が過大評価され、何が隠されているのかを見ていくことで、真実が見えてくるのではないでしょうか。

 

文明人が多忙な理由

かつて、野生動物のように暮らしていた人々。

自分たちの生き方は自分たちで決め、

自分たちの土地は自分たちで守っていた。

理屈ではなく、生きていくことが基本となって、

人々の生き方が決まっていた。

 

 

いま、世界は狂人たちによって支配されている。

狂人たちは、世界をいくつもの国に分け、

国と国とが争っているという幻想を押し付けて、

いつか起こる戦争に負けないためにと、

経済を発展させ、技術を磨き、戦力を確保するよう

人々を動機づけている。

 

 

その一方で、野生動物のような生き方は野蛮で

非人道的で、人権無視で、非文化的な

許されてはならない生き方であると教え込んで、

文化的な暮らしを与えてくれる文明を肯定させる。

 

実際には、

自分たちの生き方を自分たちで決めることができず、

自分たちの土地を守ろうとすれば

自分たちが主権者であるはずの国家権力によって排除され、

自分たちの子供を自分たちで教育することもできなければ、

経済発展に協力しない生き方を選ぶこともできない、

牢獄を与えられたにすぎない。

 

南海の小島に暮らしていた人々も、

河原を住みかとして転々と渡り歩いていた人々も、

焼き畑を作りながら小さな社会を守ってきた人々も、

みな、牢獄に取り込まれてしまった。

 

 

野生動物のように生きてきた人々は、

肉体的な厳しさや、

物質的な限界のきつさはあっても、

文明社会の囚人たちに課された

経済活動から免除されていることから、幸せである。

 

動物たちと同じように生き、動物たちと同じように死んでいく。

動物たちと同じように、

繁殖活動にいそしみ、

単純な遊びを楽しんで、

一生を終えていく。

 

そうした生き方は、

現代社会を支配する狂人たちにとっては

けっして見過ごすことのできない生きかたである。

なぜなら、そうした生き方は、

狂人たちが搾取できる富を生みはしないから。

 

 

文明人が多忙になるのには理由がある。

 

学校教育のカリキュラムを国が決め、

マスメディアが免許制で、

都市に人を集め、

人と動物を厳然と区別することで、

人は牢獄に閉じ込められながら

自己実現」「夢の実現」「社会貢献」などという

虚構を信じ込んで一生を狂人たちの利益のために費やす存在になる。

 

 

私の生まれ故郷は人口3000人ほどの村であった。

その小さな村に、かつては芝居小屋が3つもあった。

村の人々が作った小屋だった。

私が生まれたころにはなくなっていた。

 

私が子供のころ、村の祭りは、決まった日に開催され、

平日であれば学校も休みになった。

学校よりも祭りであった。

いつか、日曜日に開催されるようになった。

 

大正生まれの祖母は、

豆腐、コンニャク、もちを作って正月を迎えた。

準備は何日もかけて行っていた。

 

母が働きに出るようになって、

晦日も夜まで拘束されるようになった。

年取りができないと、祖父母は嘆いた。

 

 

民主主義だ国民主家だ、人権だと言ってみたところで、

実態は、先に挙げたような牢獄だ。

 

誰かが決めた法律に従って、

生き残りのために経済活動に参加して、

故郷を捨て

季節を捨て

自然を捨てて

生きていくしかない。

 

それもこれも狂人たちの存在を否定しているせいだ。

人が富を蓄えるようになれば、人々を食い物にする狂人が登場してくるのは、

他の獣たちの肉を狙う肉食獣が誕生することとおなじく必然なのだ。

 

野生動物のように生きていたころ、

人は富を蓄えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

冬から春へ

秋から冬にかけて、

夜がやってくるのが早くなり

昼間の時間が短くなる。

昼間の時間が延び始めても

まだ朝がやってくるのが遅くなりつづける

(夜の訪れは少しずつ遅くなる)。

そのうち、寒さが厳しくなっていく。

(ただし、朝の訪れも少しずつ早くなって

昼間の時間が延び、日の光が強くなっていく)。

 

こうして、冬がやってきて、春に移り変わる。

 

 

夜が一番早いのは11月の終わりから12月のはじめにかけて。

立冬は12月の中旬と下旬の区切り)。

朝が一番遅いのは大晦日から正月のころ。

一番寒いのは1月の終わりから2月のはじめにかけて。

 

今日は大晦日

でも、暦がなければ、

朝がやってくるのは遅いように思えるけれど

昨日よりも少しだけ夜が遅くやってくる気がする

そんな一日。

 

 

 

魚を捕りに

八郎潟干拓:食糧不足を解消するためにと、琵琶湖の次に大きかった八郎潟を埋め立ててしまって大潟村ができた。2014年に開村50周年を迎えたというから村ができたのは1964年。入植がはじまったのは1967年であったが、1970年には本格的な生産調整が開始されるというチグハグさを見せている。大潟村の収入は秋田県の他の市町村の倍だというが、調べてみると、飼料米の生産に対して国から支給される補助金頼みになっていることがわかる。

 

長良川河口堰反対の世論が盛り上がる中で建設が強行され、本格運用から2015年で20年がたった。治水と利水を目的としていたが、 水位が潮位に支配される河口部での堰による治水は有効でないことははじめからわかっていたと指摘されており、着工時すでに水需要は漸減の傾向にあり、新たな水資源を開発する必要もなかった。

 

諫早湾干拓:こちらも、農地の拡大を目指した点で八郎潟と共通する。構想が建てられて時点での食糧増産という目的が、産業構造や生活様式の変化の中で、有効性を失っているにも関わらず工事はすすめられた。

 

普天間基地辺野古移設:そもそも普天間基地の代替施設はいらないという議論が沖縄からだけではなく、米側からもある。

先日、都内で退役米軍将校と会食をした。在日米軍に長く勤務した元将校は、「米軍の見解ではない」と前置きしたうえで言った。


 「正直に申し上げれば、普天間飛行場は必要ないです。辺野古への移設という問題ではなく、極東アジアの戦略上、沖縄に米海兵隊はいらないのです」

 決して新しい論点ではない。しかし退役したとはいえ、米軍の元将校が海兵隊不要論を述べた点が興味深い。(米国も実は不要と思っている普天間基地 なぜ中南米諸国は米軍のプレゼンスを拒否し続けられるのか(1/4) | JBpress(日本ビジネスプレス))

 

植林事業:「日本の国土面積の3分の2は森林(2508万ヘクタール)であり、その4割(1029万ヘクタール)は戦後すぐに農林水産省が植林事業として推進した「スギ」や「ヒノキ」などの人工林で占められている」(https://toyokeizai.net/articles/-/201820

一方、林野庁http://www.rinya.maff.go.jp/j/kikaku/hakusyo/26hakusyo_h/summary/s02.html)によると、国産材の製材用材供給量は昭和42年にピークを迎えています。

 

 

私たちの暮らしを取り囲んでいた自然。フナやツクシやワラビは、食卓に彩りを添えてくれたはずだ。私の実家は、山村にある割には、野草やキノコ、川魚などの利用頻度が低く、数種類のキノコを食べるくらいだったが、キノコの出る秋になって、山にキノコとりにいくのは祖母や父の楽しみになっていた。ウナギを捕るためにワナを仕掛けてみたり、アケビやヤマイモを見つけて収穫したりもした。

 

 

こうした無意味に自然を破壊するだけの事業には、実は、そのような自然を奪うことが最大の目的になっているのではないだろうか。

 

 

動物たちや未開人の生き方を知っていくと、私たちが大切だと思い込まされている進歩や、社会的な成功などというものは、本当の進歩でも、あるべき人生でもないことが見えてきます。自然に囲まれた中で、厳しくも愉しい日々を過ごして、突然訪れることの多い死に抗わない。そんな生き方の愉しさに気づくのは、やはり、自然の中で遊んで、キノコやクリやウナギを食べた経験があってのものだろう。

 

 

カネがなければ何もできない世界を作りあげて、自然に囲まれた生活を嫌悪させるような情報を流し、自然の愉しさを経験できない環境を作る。それこそが、こうした公共事業失敗の背景にある本来の目的なのではないだろうか。

 

 

 

 

 

 

木霊

 

 

youkaiwikizukan.hatenablog.com

 

「百年の樹には神ありてかたちをあらはすといふ」

 

 

 

私たちの暮らしは、多くの植物、昆虫、動物たちという生命に囲まれた中で営まれてきた。今のように、ほとんど生命のいないような空間に生きることは、実に奇妙なことだ。

 

かつての生命に囲まれた生活の中で、人は、命のあり方を感じ取っていったことだろう。昔からある表現だが、虫をカエルが食べ、カエルをヘビが食べ、ヘビをトビが食べる。そこに命のはかなさがある。

 

命は匂いにも現れる。春の匂い、夏の匂い、秋の匂いが植物の活動を伝える。

 

命はどうにもならないもの。命は、多くの命に囲まれてあるもの。食べ物を与えてくれる命もあれば、危害を加えてくる命もある。多くの命に囲まれた世界は豊かであると同時に、それだけ多くの危険にも囲まれた世界である。

 

 

もののけ姫を描いた宮崎監督は、物語のその後について、次のようにコメントしている。


もののけ姫 in USA 宮崎駿インタビュー (1999年)

 8分36秒あたりから

彼らはずっと良い関係を続けていくだろうと思います。それから、サンが生きていくために、アシタカはいろいろな努力をするだろうと思います。同時に、タタラ場の人々が生きていくためにも、大変な努力を払うだろうと。そのために、アシタカは引き裂かれて、傷だらけになるだろうと思います。それでも彼は、それを曲げずに生きていこうと思って、両方を大切にしようと思い続けるだろう。だから、彼の生き方は、私たちが今の時代を生きていく生き方に、共通するんだと思うんです。

 

もののけ姫の中では、シシ神の倒れた後にも木霊は生き残っていた。けれども、タタラ場として表現された、人が環境を変えながら人にとって都合のよい世界を作ろうとする営みを続けてけば、どうしても他の命を排除していこうとする。そこには、木霊の生き残る余地はないように思える。

 

知性や理性といった概念を信じ込んでいる今の私たちよりも、木霊や天狗といった概念を信じ込んでいた昔の人たちのほうが、まだましだったのだろう。知性や理性を信じ込むことは、命でしかない人という存在を過大評価させて、人の知恵でなんとかなると思い込ませる。木霊や天狗を信じることは、人の弱さ、人の意思の通らなさを教えてくれる。そんなふうに私は思う。

 

 

本日もお付き合いいただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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