毎日出てゐる青い空

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文明人が多忙な理由

かつて、野生動物のように暮らしていた人々。

自分たちの生き方は自分たちで決め、

自分たちの土地は自分たちで守っていた。

理屈ではなく、生きていくことが基本となって、

人々の生き方が決まっていた。

 

 

いま、世界は狂人たちによって支配されている。

狂人たちは、世界をいくつもの国に分け、

国と国とが争っているという幻想を押し付けて、

いつか起こる戦争に負けないためにと、

経済を発展させ、技術を磨き、戦力を確保するよう

人々を動機づけている。

 

 

その一方で、野生動物のような生き方は野蛮で

非人道的で、人権無視で、非文化的な

許されてはならない生き方であると教え込んで、

文化的な暮らしを与えてくれる文明を肯定させる。

 

実際には、

自分たちの生き方を自分たちで決めることができず、

自分たちの土地を守ろうとすれば

自分たちが主権者であるはずの国家権力によって排除され、

自分たちの子供を自分たちで教育することもできなければ、

経済発展に協力しない生き方を選ぶこともできない、

牢獄を与えられたにすぎない。

 

南海の小島に暮らしていた人々も、

河原を住みかとして転々と渡り歩いていた人々も、

焼き畑を作りながら小さな社会を守ってきた人々も、

みな、牢獄に取り込まれてしまった。

 

 

野生動物のように生きてきた人々は、

肉体的な厳しさや、

物質的な限界のきつさはあっても、

文明社会の囚人たちに課された

経済活動から免除されていることから、幸せである。

 

動物たちと同じように生き、動物たちと同じように死んでいく。

動物たちと同じように、

繁殖活動にいそしみ、

単純な遊びを楽しんで、

一生を終えていく。

 

そうした生き方は、

現代社会を支配する狂人たちにとっては

けっして見過ごすことのできない生きかたである。

なぜなら、そうした生き方は、

狂人たちが搾取できる富を生みはしないから。

 

 

文明人が多忙になるのには理由がある。

 

学校教育のカリキュラムを国が決め、

マスメディアが免許制で、

都市に人を集め、

人と動物を厳然と区別することで、

人は牢獄に閉じ込められながら

自己実現」「夢の実現」「社会貢献」などという

虚構を信じ込んで一生を狂人たちの利益のために費やす存在になる。

 

 

私の生まれ故郷は人口3000人ほどの村であった。

その小さな村に、かつては芝居小屋が3つもあった。

村の人々が作った小屋だった。

私が生まれたころにはなくなっていた。

 

私が子供のころ、村の祭りは、決まった日に開催され、

平日であれば学校も休みになった。

学校よりも祭りであった。

いつか、日曜日に開催されるようになった。

 

大正生まれの祖母は、

豆腐、コンニャク、もちを作って正月を迎えた。

準備は何日もかけて行っていた。

 

母が働きに出るようになって、

晦日も夜まで拘束されるようになった。

年取りができないと、祖父母は嘆いた。

 

 

民主主義だ国民主家だ、人権だと言ってみたところで、

実態は、先に挙げたような牢獄だ。

 

誰かが決めた法律に従って、

生き残りのために経済活動に参加して、

故郷を捨て

季節を捨て

自然を捨てて

生きていくしかない。

 

それもこれも狂人たちの存在を否定しているせいだ。

人が富を蓄えるようになれば、人々を食い物にする狂人が登場してくるのは、

他の獣たちの肉を狙う肉食獣が誕生することとおなじく必然なのだ。

 

野生動物のように生きていたころ、

人は富を蓄えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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