毎日出てゐる青い空

日々雑感をつづります。ホームページでは本の紹介などもしています。

ホームページ>るびりん書林別館
Twitter@goone3toshi
「Amazon.co.jpアソシエイト」

木霊

 

 

youkaiwikizukan.hatenablog.com

 

「百年の樹には神ありてかたちをあらはすといふ」

 

 

 

私たちの暮らしは、多くの植物、昆虫、動物たちという生命に囲まれた中で営まれてきた。今のように、ほとんど生命のいないような空間に生きることは、実に奇妙なことだ。

 

かつての生命に囲まれた生活の中で、人は、命のあり方を感じ取っていったことだろう。昔からある表現だが、虫をカエルが食べ、カエルをヘビが食べ、ヘビをトビが食べる。そこに命のはかなさがある。

 

命は匂いにも現れる。春の匂い、夏の匂い、秋の匂いが植物の活動を伝える。

 

命はどうにもならないもの。命は、多くの命に囲まれてあるもの。食べ物を与えてくれる命もあれば、危害を加えてくる命もある。多くの命に囲まれた世界は豊かであると同時に、それだけ多くの危険にも囲まれた世界である。

 

 

もののけ姫を描いた宮崎監督は、物語のその後について、次のようにコメントしている。


もののけ姫 in USA 宮崎駿インタビュー (1999年)

 8分36秒あたりから

彼らはずっと良い関係を続けていくだろうと思います。それから、サンが生きていくために、アシタカはいろいろな努力をするだろうと思います。同時に、タタラ場の人々が生きていくためにも、大変な努力を払うだろうと。そのために、アシタカは引き裂かれて、傷だらけになるだろうと思います。それでも彼は、それを曲げずに生きていこうと思って、両方を大切にしようと思い続けるだろう。だから、彼の生き方は、私たちが今の時代を生きていく生き方に、共通するんだと思うんです。

 

もののけ姫の中では、シシ神の倒れた後にも木霊は生き残っていた。けれども、タタラ場として表現された、人が環境を変えながら人にとって都合のよい世界を作ろうとする営みを続けてけば、どうしても他の命を排除していこうとする。そこには、木霊の生き残る余地はないように思える。

 

知性や理性といった概念を信じ込んでいる今の私たちよりも、木霊や天狗といった概念を信じ込んでいた昔の人たちのほうが、まだましだったのだろう。知性や理性を信じ込むことは、命でしかない人という存在を過大評価させて、人の知恵でなんとかなると思い込ませる。木霊や天狗を信じることは、人の弱さ、人の意思の通らなさを教えてくれる。そんなふうに私は思う。

 

 

本日もお付き合いいただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

話題のダイエット方法