毎日出てゐる青い空

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文明には支配者がいる

古代シュメールから連綿と続くという

人類支配者の系譜。

 

それを信じるか信じないかはともかく、

 

「民主主義」という言葉のまやかしから覚めてみれば、

文明の歴史は常に少数の支配者と大多数の被支配者の歴史であった。

 

多くの人が一顧だにしない陰謀論が暴いているのは、

実はこの一点である。

 

 

農耕が土地の私有を生み、

土地を持つ者が「利子」を取って貸すことで

今と同じように

生きるためには

権力者のいいなりになる

しかない状況が生まれた。

 

 

現代社会も実態は一切変ってはいない。

 

人は次第に進歩していると思い込ませる教育を真に受けている限り

現実に気付くことは難しいが、 

中央銀行の不可解な位置づけや

911テロの不思議

開発への投資を正当化し、国民の目を不満からそらさせるオリンピックの機能など

まじめに向き合って目覚めた目で見て見れば、

文明の支配者の存在をはっきりと認識できるのだ。

 

 

 

 

遊動する狩猟採集者たちを定住させることで、

文明はついに人類史上初めて世界中のすべての人々を

支配下に入れようとしている。

大衆は、どこかに本来の暮らしがあるはずだと気付いたときに

教えを請うことのできる人々を失い、

ついにすべての希望を失おうとしているのだ。

 

 

大規模組織もそれを支える科学技術も否定して

脱文明をめざせと私が主張する理由がここにある。

 

 

参考文献

金融のしくみは全部ロスチャイルドが作った

偽情報退散! マスコミとお金は人の幸せをこうして食べている

人間にとってスイカとは何か カラハリ狩猟民と考える

風邪薬を飲まず、靴下をはかず、扇風機もエアコンも使わないこと

風邪を引けば当たり前のように飲んでいた風邪薬を

妻の薦めで服用しないで過ごしてみた。

服用した場合とまったく同じ経過をたどって完治した。

 

自分の体に対する信頼感が生まれた。

 

 

昨年の冬、靴下なしで過ごしてみた。

一年で足の皮膚が随分厚みを増した。

 

昔、皆こんな足をしていたことを思い出した。

 

 

今年の夏、さすがに夜間は扇風機を使ったが、

昼間はカーテンを引き、窓を細く開けて過ごしてみた

(勝手に中東方式と名付けた)。

今年の夏は酷暑ではなかったこともあり、

いまのところ仕事にも支障を出さず、

問題なく過ごせている。

 

やりすごすことの大切さを学んだ。

 

 

こうして、一つ一つ確認を重ね、

私は鍛えれば快適になり、

保護することで苦痛の増す

肉体の機能を実感していく。

 

 

文明否定とは、このことの拡大解釈でもある。

 

『本当は怖い動物の子育て』

動物の世界は過酷です。

 

豊かな世界を維持したければ個体数を制限しなければならない。

 

自分の子を確実に残したければ、育ちそうにない子、育てられない子の命は救えない。

 

平等に乳を与えることよりも、特定の子を優遇することで、
生き残りのチャンスを少しでも広げたい。

 

 

テレビや学校教育では、ヒトはこんな差別、人命軽視、人権無視はしないと
教え込んでいます。

 

 

でも、先住民の暮らしと私たちの暮らしとを比較してみれば、
動物たちと同じ価値観を持って生きている先住民たちのほうが
資源の保護、人間疎外の回避、充実した生など多くの面で本来的
永続的であることがわかってきます。

 

この本は、今の価値観が完全に誤っていることを知るための
出発点としておすすめできる本です。

 

名著紹介『本当は怖い動物の子育て』

 

 

生物と「豊かさ」

『アボリジナル オーストラリアに生きた先住民族の知恵』より

ボリジナル・グループのほとんどが、介助を必要とする仲間を看護できなかったことは、彼らの豊かな暮らしの欠陥のひとつといってよかろう。だがその比較的高い死亡率は、おそらく彼らの豊かな暮らしを守るために不可欠だったのだ。

 

ボリジナルの暮らしは、豊かであるだけでなく、子どもに対する愛情も深い。
しかし、育てられないとみなされた新生児(双子の一方など)は命を奪われてしまう。

 

同じことは動物界では当たり前のように行われている。

 

これを回避しようとすれば、何が起きてくるのか。
食糧不足、耕地拡大、住環境の悪化、介護の押しつけ、金銭的負担の押しつけと
金銭管理部門の腐敗、不満を貯める養育者、子どもの虐待、
虐待されて育った親が子を虐待する連鎖・・・

 

こうして健康に生まれてきた個体までもが、ストレスと不満に満ちた暮らしを
送らされることになり、豊かな老後の夢だけを見させられて裏切られることに
なる。文明社会では人は文明のいいなりとなるしかなく、自主独立は失われる。

 

 

こうしてみてくると、私たちは大きな思い違いをしているのではないかという
考えが浮かんでくる。捨て猫を拾い続けることができないように、
人も自然の掟に従って生きるしかない存在なのだはないか。
だとすれば、介助のできない状態こそが本来なのだ。

 

陰謀論を中心に文明の正体を知る活動を続けていけば、

甘い言葉の裏には人類家畜化の罠が待っていることが

はっきりと見えてくるのである。 

 

www.asahi-net.or.jp

 

 

名著紹介『アボリジナル オーストラリアに生きた先住民族の知恵』

 

クマから逃げてはいけない理由

一般人の撮影したアフリカの動物たちの動画がアップロードされるようになって、肉食獣たちの素顔を知ることができるようになりました。

 

そのような動画を見て行くと、肉食動物たちは、自分の身の安全をできるだけ保ちながら狩りをし、草食動物たちも比較的安全に助けるチャンスがあれば仲間を助けに行くのだということがよくわかります。

 

肉食動物たちが、獲物の正面から攻撃することはほとんどありません。正面から攻撃していけば、かまれたり角に突かれたりする恐れがあります。体の小さいヒヒが牙をむき出して向かってくれば、ライオンでさえ後退していきます。

 

肉食獣にとって傷を負うことは、エサをとれなくなることを意味し、すなわち死を意味しますから当然と言えば当然です。

 

このため、肉食獣たちは、草食獣の背中に飛び乗るか、臀部に噛みつこうとします。シマウマやキリンであれば、ライオンを蹴ることもあります。しかし、多くの場合、背中から尻、大腿部あたりに噛みつかれてしまったた草食獣になすすべはありません。

 

インドでは、お面を後頭部につけて頭の前後に顔があるように見せるとトラに襲われないと聞いたことがあります。上のように考えれば納得のいくことです。

 

これを知ると、クマと出会ってしまったとき背中を向けて逃げることがどれほど危険なことなのかがわかります。クマも負傷を恐れますから、背中を見せないで後退してその場を離れるか、もし襲いかかってきたら、体を大きく見せて威嚇してみることが一番有効であると考えられます。仮に襲いかかられても必死で抵抗すれば、過度の負傷を恐れる肉食獣は退散してくれるはずです。

 

覚えておくと命拾い出来るかも知れません。

 

「個体数の増えすぎ」という課題

動物たちは限られた資源の中で種を維持するための習性を身に着けている。

 

食べ物や異性という資源を得るために縄張りを持って、

個体数を制限し、資源の枯渇を防いでいる。

冷酷なように見えても、

子どもを追いだし、

侵入者と戦うのは、

そうしなれけば種を維持できないからである。

「仲良くしようよ」といってはおられない。

 

(食べ物を見付けたり、

共同で獲物をとったり、

敵を警戒したりするために

協力し合うことは

また別の側面として存在はしている)。

 

ヒトも同じだった。

 

『アボリジナル』には次のように記されている。

ボリジナルはいつも食糧不足を心配していたわけではあるまい。飢饉の恐ろしさを知らずに一生を終える世代が何代も続くことだったあったにちがいない。それでもアボリジナルの歴史の背後には飢餓への恐れがずっと存在していたのだろう。というのは人口の急増を食い止めるしきたりが彼らのなかに現にあったからだ。そしてたいていのアボリジナルの集団にとってこのしきたりをきちんと守るかどうかが、食糧が豊富に手に入るかどうかの分かれ目となったのだ。(109ページ)

これに続けて、人工流産を起こす方法をアボリジナルたちが知っていたと言う記述がある。

 

ヒトも本来は、縄張りを持ち、個体数の増加を抑えながら暮らしてきた。個体数を抑えることは、共同体にとって常に重要な関心事であり、ヤノマミが行っている新生児をヒトとして抱き上げることなくあの世に返してしまうような行為は世界中で行われていたし、それは平等なものでもあった。

 

 

私たちは、農業革命によって飢えのない世界を作ることができると考えがちであるが、これは完全に嘘である。

・食糧が増えれば個体数が増える。

・タンパク質と野菜中心の食事から炭水化物と油中心の食事へと質が低下する。

・増産型の作物は土地を荒廃させる。

・耕地が増えることは資源の枯渇を意味してもいる。

 

このため、人は個体数を調整する以外にないのだが、ここで問題となるのは平等性である。

 

現代社会では、格差を拡大することによって暗黙的に個体数削減が実施されようとしているようである。子宮けいがんワクチンの接種や、原発事故も個体数削減を意図した行為であるかもしれない。

 

人の本来の暮らし方であれば、誰もが平等に負担していたはずの

個体数の抑制という課題が、文明社会では、

特定の人々にだけ押しつけられている。

 

また、ときには冷酷さが必要なのだ

(冷酷さを失えば資源の枯渇と飢餓が待っている)

という事実も、現代社会では隠されてしまっている。

 

 

この点をとことんまで追求していくならば、

私たちには、やはり、脱農耕、脱文明しか

選択肢はないのだと、私には思えるのである。

 

 

猫の個性

猫にも個性があります。

しかも、人の個性に似ています。

 

ウチの三匹の猫たちは、るびりん、はな、くろ。

るびりんがお母さんで、はなとくろはどちらもるびりんの子です。

るびりんが2歳3か月、はなとくろは1歳ちょうど。

 

るびりんは、芸能人でいえば、長山藍子さんっぽい感じがします。

芯は強いけれど、普段はおとなしく、子育てに熱心かと思えば、

まだ小さかった子猫たちが怯えるほど激しくレスリングを挑んでいたりもしました。

 

はなは、子どもの頃かわいらしく、大人になったらごつくさい男になりました。

兄弟3匹の中で一番小さかったのに一番気が強く、

あれよあれよという間に体も大きくなっていきました。

芸能人でいえば、TOKIO長瀬智也のような感じがします。

 

くろは、とにかく繊細です。人は警戒すべき相手だと決めつけていて、

抱きしめることができません。トイレ砂の感触を嫌がりもします。

また、水を前足で触っては観察していたり、

風呂水の入る様子を観察していたりと、知的好奇心も高いのです。

はなと比べるとスリムです。

 

それぞれの猫の個性は、

バラバラな特徴を寄せ集めただけのものではなく、

特定の方向性を持った特徴が集まったものであると感じます。

だから、そこに人の個性と共通性を感じるのです。

 

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