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毎日出てゐる青い空

日々雑感をつづります。ホームページでは本の紹介などもしています。

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なぜ人類は今回に限って文明を生んだのか/文明はヒトを幸せにしたのか

現生人類であるホモサピエンス以前の人類は文明を生まなかった。

ホモサピエンスも誕生以降の9割を超える期間は、

旧態依然の暮らしを続けてきた。

なぜ、1万5千年前に終わった最終氷期の後にだけ

文明が生れたのだろう

今回はその理由を探ってみたい。

 

 

 

 

 

ホモサピエンスの誕生は、20万年程前、アフリカの熱帯地方でのことであった。

 

ホモサピエンスは裸になり、

言葉を話す能力を得たと思われる。(『はだかの起原』)

しかし、衣服を知らず、農耕も知らず、遊動しながら暮らしていた。

ただ、それ以前の人類は言葉を持たず、

毛皮を着ていたことと比べれば大きく変化したわけだ。 

 

その後2度の氷期が訪れる。

リス氷期が18万年前から13万年前。

この時期、まだ毛皮をまとっていたネアンデルタール人たちは

ヨーロッパで生きていた。

他方で、ホモサピエンスは気候の変動に合わせて

居住地を縮小させたことだろう。

しかし、その頃のアフリカは裸の人類が生き残ることのできる

気候であったと思われる。

 

 

ヴェルム氷期が7万年前から1.5万年前。

この氷期のきっかけになったのは

インドネシアスマトラ島にあるトバ火山の大噴火であり

気候の寒冷化が引き起こされた。

 

この寒冷化によってホモサピエンスは絶滅しかけたのだ。

 

ホモサピエンスは全人口が2000人程までに減ったという。(『パンドラの種』)

生きのびた理由には、衣服の発明が考えられる。

コロモジラミがアタマジラミと分岐した時期と重なるからだ。

 

こうして衣服を手に入れたホモサピエンスは、

このヴェルム氷期の間に

アフリカを出て世界各地に拡がっていった。

寒い気候に合わせて肉食中心の食生活に変えることで、

服を着た人類は世界中を住みかとすることが可能になった。

 

こうして、広まった人類が直面したのが、

氷期の終わりと気候変動、

そして獲物にしていた動物の減少だ。

 

 

日本で言えば旧石器時代から縄文時代への移行期に当たる。

このとき、世界各地で水産資源の利用が始まった。

それまでいた獣たちが気候変動でいなくなり、

人は水産資源に頼らざるを得なくなったのだ。

 

そして、それが人類史上初めての定住と

農耕の開始につながっていった。(『人類史のなかの定住革命』)

世界各地の農耕が開始された場所は、

水産資源を利用するために人びとが

定住を始めた場所に他ならないのだ。

 

 

 

これ以外の時期に水産資源の利用は考えられなかっただろうか

 

北京原人ジャワ原人なども

気候変動によって、見慣れた動物がいなくなってしまうという、

同じような状況を迎えたことがあっただろう。

しかし、ホモサピエンス以外は

水産資源の利用に乗り出さず、絶滅してしまった。

なぜだろう。

 

水産資源を利用する霊長類にカニクイザルがある。

ヒトの髪の毛を奪って歯垢とりに利用する習性を身に付け、

しかも子どもにこれを教えるというからカニクイザルの知能は

かなり高い。

しかし、カニクイザルの主な食べ物は他の霊長類同様果実や葉のようだ。

水産資源を主な食べ物とするには、

舟やヤナ、網などが必要であり、そのためには、

言葉が必要なのだと考えられるだろう。

 

 

18万年前から13万年前リス氷期の到来時には、

ヴェルム氷期と異なり服が発明されることもなければ、

リス氷期の終わりに水産資源の利用が開始されることもなかった。

なぜだろう。

 

先にも述べたが、アフリカでは、裸のホモサピエンスが

それまでと同じ暮らしを続けることのできる気候が

保たれていたからではないだろうか。

 

とにかく、人類が水産資源を大いに利用しはじめたのは

最終氷期が終わってからが初めてだった。

 

 

 

余儀なくされた定住化

人類が体毛を失って初めて迎えた厳しい寒さが

衣服を発明させて人類を世界に広めた。

この寒冷期がすぎて迎えた

温暖化が水産資源の利用を開始させた。

水産資源を本格利用するには定住が必要だった。

こうして人は定住せざるを得なくなった。 

定住してしまって入手しにくくなった植物を得るために

農耕を開始してなくてはいけなくなった。

農耕を開始してしまったから

絶えることのない

重労働が待ちうけていた。

 

農地が人を縛りつけ、

農地が無償の食料を奪い、

野生の生活を奪った。 

 

 

遊動生活を続けてきた人びとの暮らしぶりは

実にのびやかである。

あらゆる負の要素を遊動によって解消する。

確かに生活域は限られており、

構成員は固定されているともいえるが、

きままに構成を変更でき、

移動できることや

日々体を動かして暮らしを続けること、

保証されない生を感じていることが

人びとの心を癒し、生の充実を与えている。

 

遊動生活の実態を知ると、

定住は「選んだ」というよりは「余儀なくそうなった」のだという

事実が見えてくるのだ。 

 

 

まとめよう

人類が今回に限って文明を生んだのは、

人が裸になって言語を手に入れた後で迎えた

最終氷期が終わって気候が変動し、

獲物を取れなくなるなかで水産資源に活路を見出したことが

契機となっていたからだった。

 

 

 

 

定住は実は不自然な状態だ。

環境は悪化し、食生活は貧弱になり、病気や争いが激化する。

貧富の差ができ、土地の私有と土地に縛られた庶民が誕生する。

しかも、定住は望んだ結果ではなく、

生きのびる工夫が生んだ

副産物だったのだ。

 

 

 

生物学的に見れば、大型霊長類が定住するということは異常だ。

 

反論はあるだろう。

生物は本来の生き方とは別の生き方に変わることができるのだと。

パンダは肉食から笹を食べる動物に変った。

クジラは陸上から海に進出した。

人も生き方を変えていって何の問題もないはずだ。

しかも、この人類の発展を見れば、

これが正しかったはずだと思うかもしれない。

 

 

 

もしそう思うなら、

狩猟採集者たちの世界こそが正しいのではないかという視点で

現代社会と狩猟採集社会を比べてみて欲しい。

 

狩猟採集社会に存在する問題の瑣末さと

現代社会の抱える問題の深刻さが際立ち

どちらの社会でヒトはより幸せに生きることができるのか

極めて明確に見えてくるはずだ。

 

 

たとえば、

私たちは、人権侵害の罪で狩猟採取者たちを糾弾するよりも、

本来実現できるはずのない、誰の人権も侵害されない世界を吹聴して

先住民たちを文明という牢獄に組み込んでいく側を糾弾すべきなのだ。

 

限られた資源を分け合って生きて行くということは、

生命の法則に従って、はかない生を生きることを意味し、

生がはかないからこそ、日々を生きることに

意味があることを意味する。

 

そこには、工夫をすれば

この生命の法則をのがれることができるなどという

ごまかしは存在していない。

 

 

 

文明は、ヒトを惑わせるが、

生命の本質を変えることは決してできない。

生命の本質は、動物たちや狩猟採集者たちが見せてくれる。

 

それは、生れた子の半数以上が成人前に死んでいくような

はかない生をきちんと受け入れよということである。

 

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