「文明社会こそが人の本来のあり方である」と信じることはトンデモである
私たちの今の価値観は、文明社会を前提として作られている。
多くの物を持ち、多くの人が集まり、食糧を生産し、定住して、体の機能がある程度衰えても生き続けることのできる状態を前提として作られている。
でも、これは、ヒトの本来のあり方とはほど遠いあり方である。
ホモサピエンスが生まれたのが20万年前としても、定住生活が始まった1万5千年前からの年月は、ホモサピエンス史の10分の1にも満たない期間しか持たない。まずは、期間的に見て、文明社会は正常ではありえない。
定住生活と農耕が人類に及ぼした影響は、人口が増え、集団の規模が拡大して、争いが激化したことであったり、貯蔵や蓄積が可能になったことで、格差が生まれ、高度な技術の開発が可能なったことであったり、農耕を基盤とすることで地球環境への影響が拡大したことであったり、炭水化物を主体とする食や、加工方法の変化を受けた肉体の退化であったりする。
私たちが本来の状態であると考えている文明社会は、それこそが、環境破壊の元凶であり、戦争の元凶であり、格差の元凶であり、遺伝子組み換え食品、巨大資本、巨大金融、AI、監視社会など、次々と新しい問題を生み出す元凶になっている。文明社会が生んだ問題を、文明の進歩によって解決しようとすればするほど、問題は深刻化していくというわけである。
私が、多くのトンデモ本を読んで学んだことは、トンデモ本の著者たちは、それなりに根拠となる情報を集めて、自分なりに筋道の通っていると考える主張を繰り広げているということであった。
同じことは、文明社会を「正常なあり方」であると勝手に仮定して、福祉や、民主主義や、技術の進歩を語る、現在のほとんどの主張にも言える。このあり方が正常であると仮定することは、トンデモないことなのだ。
文明社会が生んだ、民主主義、福祉の充実、国家主権、男女同権などという概念は、ヒトの本来のあり方を一切問い直していないトンデモな説の上に打ち立てられた概念でしかない。