毎日出てゐる青い空

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裸体は人類にとっても正装だった

裸体人類学』には多くの写真が掲載されています。

皆、裸体に対して一切羞恥心のない様子で写真に収まっています。

アフリカ中心の本なのでアマゾンについては文字による記載のみです。

しかし、ヤノマミなど、性器も一切隠さない裸体は

アマゾンのほうが多いのではないかと思われます。

 

先日から『ニューギニア高地人』を再読していますが、

こちらには、男性のペニスケースや女性の腰蓑が衣服として機能し、

全裸になって過ごそうとしたヨーロッパ人の若者たちが

逮捕された話や、女性の腰蓑をめくったことから

襲撃を受けた日本軍の話しが紹介されています。

裸体と言っても、完全裸体と性器を隠す場合の2通りがあるようです。

 

ここでは、完全裸体の部族が存在していることに注目したいと思います。

もしも、人間にとって裸体自体が羞恥心の対象であるなら、

全裸のままで生活することは難しいでしょうが、現実に複数の部族が

全裸ですごしてきたのです。

 

一方、『逝きし世の面影』には、混浴風呂で知り合いの外国人と遭遇した

日本人が全裸の家族を集めて紹介する様子が記されています。

当時の日本人にとって全裸であるということは

羞恥心を呼び覚ますきっかけではなかったことがわかります。

 

これらの本を読んでいると、

裸体は、雄弁にその人物を語る衣装であると

感じられてきます。

他の動物同様、裸体でいることは自然な状態であり、

虚栄心を満たすためや、虚構を築くために衣装が

必要であると思えてきます。

 

ここで、気づくのが、日本だけでなく、世界中で、

宗教による支配の手始めとして、裸体の禁止が徹底されることです。

 

日本でもアフリカでも太平洋でもアマゾンでもイスラム圏でも、

権力によって裸体が厳しく禁じられます。

先にあげたニューギニア高地人の逮捕の例も、

政府がどれほど裸体の禁止に熱心だったかを示す事例の一つでしょう。

 

改宗に応じることは難しい人々も

裸体を隠すことは受け入れやすいと思われます。

興味本位で受け入れてしまう人々もいるでしょう。

しかし、一旦受け入れてしまえば、

元の裸体に羞恥心を持たない状態を取り戻すことは

難しくなってしまうという現実があります。

そして、新しい規範ができていきます。

 

この結果、裸体と性的興奮が結びついた

極端な性の肥大化が生じるのでしょう。

3S(セックス、スポーツ、スクリーン)による

大衆操作が実現されます。

 

人間はむしろ、本来ハダカであることに気づいたときに

羞恥心から解放され、支配から解放されるのではないでしょうか。

 

こんな記事がありました。

春画からわかる自由で平等な性と共生社会を築いた江戸時代 | マイナビニュース

 

 

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