「変わらない」ことを前提に生きる
共産主義を信じ、
小泉改革を信じ、
奴隷制や植民地支配の時代、
子どもの間引きや姥捨ての時代、
いけにえや人身御供の時代が
過去のものとなったことを信じる。
人は、自分よりほんの少し前に生きている人々について、
遠い過去の人であるかのように錯覚する。
その一方で、自分自身は、まったく新しい時代を切り開く気になっている。
文明の支配者たちが付け込むのはそこである。
幻想を追わせながら、人々のエネルギーを吸い上げていく。
しかし、私たちは動物以上の何ものでもない。
陰謀論は文明から支配者がいなくならないことを語っている。
当たり前である。
動物はより多くの子孫を残そうとする存在なのだから。
共産主義も
小泉改革も
人類の精神の成熟も
嘘なのだ。
人が変わることはないのだ。
私がそれなりの年数を生きて知ったことがこの事実だった。
人と動物の間に本質的な違いはない。
ならば、人は動物のように、つまり狩猟採集者たちのように
生きるしかないはずなのである。
文明社会を外れるほどに人は現実主義者になっている。