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猫たちから教わった生命のあり方

こんばんは、こんにちは、今日もよろしくお付き合い願います。

 

我が家には飼い猫が4匹います。

メス・オス2匹づつ。

 

自然主義の我が家では、室内飼いにしておらず、オス猫たちも未去勢です。ただ、メス猫たちは、避妊手術をしてあります。それは、メスの発情期の激しさや、頻度を知ってしまったためです。

 

メスの1匹は、小さいときに大けがをしたせいもあってか、体重が3キロほどしかありません。毛も柔らかく、普段の鳴き声もか細い感じで、大人になった今でも子猫のような印象を与えます。

 

けれど、初めて発情を迎えたときの激しさといったら、想像もしていないほどでした。今まで聞いたことのない太い大きな声を上げて、しつこく鳴き続けました。そんな状態が数日間続いたのでした。

 

メスのもう1匹のほうが年上なのですが、この猫のときは発情期の激しさを知ることはありませんでした。それは、最初の発情の期間に外にいって妊娠してかえってきたので、発情期が短期間で終わったためです。

 

メス猫を避妊しないとどうなるか。猫はとにかくできるかぎり沢山の子を産もうとします。人間よりも幼少期の成長曲線が急な猫は、あっという間に大人になり、発情して妊娠し、60日後には子猫を生みます。この子猫が乳離れするかどうかの頃には、もう次の発情期がやってきます。そうしてどんどん子供を産むことで、ようやく種を維持できるようになっているのが猫なのでしょう。

 

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未去勢のオス猫たちは、男らしさの塊です。兄弟でありながら相手をライバル視し、メス猫を独占しようと努め、隙あらば交尾をしようとします。家の中にチャンスがないとみれば、頻繁に長期的に外出して精魂果てる間際までチャンスを捜し歩いているようです。帰ってくると犬のようにガツガツと餌を食べ、泥のように眠り、起きればまたすぐに家を抜き出していきます。

 

今は、1匹は外にいることが多く、もう1匹はケガでしっぽが上がらなくなったので、ほとんどなくなりましたが、以前はなわばりを主張するスプレー行動が頻繁で弱っていました。

 

性欲の激しさ、乱暴になりがちな行動が、子孫を残すことを宿命とする性の世界で男に与えられた特質であることを、オス猫たちが教えてくれます。

 

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猫たちの暮らしは、狩猟採集者たちの暮らしと似ています。

そこには、仕事という概念はなく、暮らしと遊びとが一体化しています。

女は、初潮を迎えてから死ぬまで、子を産んで育てることが日常になります。

はなわばりを守り、女を巡って争い、メリハリの強い生活を送ります。

 

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文明社会では、こうした生命の性質がわき役に追いやられています。

こうした欲求はできるだけ抑え、仕事に打ち込み、政治的に正しいといわれる価値観に従って、男とも女ともわからないような生き方で自己実現とやらをしていく。

 

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私が猫たちから教わったのは、文明社会における生命はうそで塗り固められたものでしかなく、去勢も避妊もされていない猫たちのような生き方が、生命の本来のありかたなのだということでした。

 

 

 

ヤポネシアとも、唐天竺の影響とも違う文脈を持つ日本の歴史

こんにちは、本日もおつきあいいただきありがとうございます。

 

私が、戦前の絵葉書を扱ったり、日本語や日本文化の成立という視点から日本の歴史を探ったりする中で、感じたことがあったので、簡単ですが、記してみたいと思います。

 

西洋文明の影響力が高まる以前、日本にとって外国といえば、唐天竺という言葉に象徴されるように、アジア、とくにそのアジアの大国である中国とインドでした。

 

日本の歴史も多くは、その文脈で語られてきました。

 

一方、ヤポネシアという言葉を使って、もっとモンスーンの影響を受ける、海洋国家としての日本を強調してはどうかという提案も行われました。インドネシアポリネシアメラネシアという太平洋の島々との共通性を意識した造語です。

 

また、生活文化の点から、中国の中でも四川省あたりの焼畑少数民族とのつながりに着目する人もあります。コンニャク、納豆、餅といった食品や、虫送りのしきたりなどです。

 

私もこれまで、こうした文脈の中で日本の歴史を考えてきましたが、最近、これらとは別の枠組みがあることに気付きました。それは、言葉に共通の特徴を持つアルタイ諸語の分布する地域の広がりです。

 

共通の祖語を想定できないことから、アルタイ語族という呼び方はできないという結論が概ね出たようですが、アルタイ語の特徴を持つ言語自体は存在しています。トルコから、中央アジアトルキスタンウイグル、モンゴル、大陸東端の東シベリア、満州朝鮮半島、日本まで広がっています。

 

アルタイ語の特徴とは以下の四つです・

母音調和を行う
膠着語である
・原則としてSOV型(主語 - 目的語 - 述語)の語順をとる[7]
・語頭にR音が立つことを嫌い、固有語にR音で始まる語をほとんど持たない

 

余談ですが、令和(レイワ)は語頭にRが立っているのでアルタイ語系ではないですね。

 

アルタイ諸語として広く認められている言語グループは以下のとおりです。

チュルク語族(アルタイ語トルコ語ウズベク語、カザフ語、キルギス語、トゥバ語など)
モンゴル語モンゴル語オイラート語、ブリヤート語など)
ツングース語族エヴェンキ語、満州語など)

日本語族(日本語、琉球語)と扶余語族(扶余語、濊貊語、高句麗語、百済語)および朝鮮語族(新羅語、朝鮮語、済州語)は、アルタイ諸語に含められることもあるという位置づけです。アイヌ語は、SOV型であるという共通点があります。

 

モンゴル出身の力士が欧州出身の力士と比べて日本語を早く覚える背景としては、日本語がアルタイ系の特徴を持っているからのようです。また、中東のサッカー中継のアナウンスに面白おかしくでたらめの日本語字幕を付けた動画がありますが、こんなことができるのも、特徴が似ているためのようです。

 

さて、アジア大陸の中緯度地方を横切る、こうした広がりを持つ、アルタイ諸語に含まれる言語の生まれた背景は解明されておらず、共通の祖語を想定するには基本語彙に違いが大きすぎるようです。人種的特徴も一様ではありません。一説によれば、騎馬民族の移動が関係しているといいます。

 

実は、こうした特徴を持つ言語は、SVO型の言語に対して劣勢となっています。一例が満州語です。かつて、清の時代には、漢人の移住を制限していた中国東北部地域に漢人が入り込み、満州語を話す人は激減しています。ウイグル人も同じように圧力を受けています。モンゴルもその半分は内モンゴルとして中国の領土になっています。

 

トルコ、モンゴル、清という大帝国を生み出したアルタイ系民族でしたが、現在は、その勢いを衰えさせているようです。

 

人類の移動の歴史を考えると、アルタイ諸語の中でもアジア大陸東部に位置する諸語については、「DNAから導きだされる日本人の起源」の23ページにある、2万年前ほどに、シベリア南部に生き残った人々の子孫であるのかもしれません。

3万~2万年前 厳寒期

シベリア大陸では、食料確保と防寒対策ができたグループ はシベリア各地へと広がり、生活圏を拡大した。
2万年前、氷河期の寒気が一段と厳しさを増し、各地に広がっていた新人達は、寒さと飢えで絶滅していった。その中で、バイカル湖周辺は比較的温かく、食料となる大型哺乳類-マンモスなどが多く生存したため、その周辺地域に集まってきた人達だけが、生き延びることができた。 併し、その代償として、極寒の気候へ対応するための変化が身体におこった。この変化は世代を重ねる毎に顕著になり、長い胴、短い手足、平坦な顔つき(呼吸器への寒気の直入を避ける)になった。北方型モンゴロイドが誕生。

 

こうした背景から日本の歴史を考えると、これまでとは違う視点が加わることになります。

1. 遊牧民騎馬民族的要素と日本民族の親和性

日本語を話すようになった人たちは南下して稲作を中心とする民族になったようですが、それ以外のアルタイ語族の人々は放牧を中心とする暮らしになったようです。しかも、その中から生まれた支配者たちが、3世紀頃に朝鮮半島を南下して、日本の中枢にも入り込んできたようです(『九州の邪馬台国VS纏向の騎馬民族』)。

日本人の、特に支配層における、牧畜民的要素に着目することで新しい歴史が見えてくるかもしれません。 神道の起源は、雲南省少数民族からではなく、アルタイ語族の支配者層によって持ち込まれたものである可能性がありそうです。

 

2. 満州、モンゴル、シベリア、中央アジア、トルコ、 タミル、SOV型言語群への親近感

アルタイ諸語の分布域という関係に気付く前の私は、朝鮮半島の北からシベリア、モンゴル、バイカル湖あたりの地理についてほとんど興味を持ちませんでした。これを知った後で地図を見ると、満州はモンゴルと接しており、満州の範囲も、アムール川の東まで広がっていて、日本から日本海を挟んだ対岸は、アルタイ諸語の広がる場所であったという事実に気付くことになりました。

現代の日本人はアメリカに対する親近感が高く(内閣府による2018年12月の、外交に関する世論調査の発表を参照)、社会や個人のさまざまな側面にこの親近感が影響を与えていると思われます。 

ここに、アルタイ語族あるいは、さらに広げて、言語の構造がSOVである言語を持つ民族という視点を加えてみると、世界観に少し変化が生じると思います。

 

 「DNAから導きだされる日本人の起源」には、結語として次のようにあります。

日本人は南方から来た初期型モンゴロイドが、黄海沿いに南下し、最初に住み着いたアイヌ人=縄文人が一つのグループ。
同じく黄海沿いに下り、日本の近くを通り抜け、シベリア大陸に入り、バイカル湖畔で、耐寒のため体型を変えた北方系モンゴロイドが、暖化後に南下し、長江中流水田稲作を開始、長江文明を担い、戦乱の続く中、民族滅亡の危機に直面し、秦の始皇 帝の助力を得て、民族大移動を行った徐福一行のグループが、もう一つの日本人の起源。その二つのグループが、約2300年の間に、混血し、現在の日本人となった。
日本語は、アイヌ縄文人の単語を残しつつ、渡来してきたグループの言語の進化・変遷したもの。 言葉は民族と人の根源で あるが、1000年の単位では極めて大きく変るため、大きな概念で辿る必要がある。南インドタミル語は、日本とインドに分岐す
る以前に使っていたであろう品物(稲作・衣食住)、身体の名称などで同じ単語が用いられ、五七五の韻を踏む歌などが一致し、且つ、民俗学的風習などが一致し、同一又は極めて近い民族と言語が、日本以外にいたことは、なんとも云えぬ安堵を感じる

 この想定のどこまでが真実であるのかはわかりません。けれど、何度かに分けてこの列島にやってきた人々は、アジア大陸東部に広く分布するSOV型の言語を話す人々が主体であったことは確かなようです。古墳時代の直前頃から奈良時代にかけてやってきた渡来人についても、『九州の邪馬台国VS纏向の騎馬民族』の想定が正しければ、扶余系を中心とするアルタイ語系の人々が主であるということになります。 

 

アルタイ語族の作った中国国家(元、清)と日本は戦っています。こうしたことも何かの因縁なのでしょうか。

 

いずれにせよ、意識しておきたい関係性なのではないかと現時点の私は考えています。

 

コロナ騒動に、戦争への道ならしに邁進した戦前マスコミを思う

コロナ情報を整理してみると、マスコミが与える印象とはずいぶんと違う真実が見えてきます。

 

1. PCR検査の科学的根拠は示されていない

これについては田中宇氏のメルマガによくまとめられています。

「★新型コロナのウイルスは存在する?」と題された記事を参照していただきたい。

これを読むと、新型コロナウイルスを特定した研究はまだ行われていないことがはっきりと示されています。

 

2. 本当に新型コロナによって死亡したかどうかはわからない

PCR検査の根拠事態がゆらいでいることはもちろん、死者の大多数が高齢者であるということからすれば、他の死因による死者も、新型コロナによるものとして集計されている可能性が高いと思われます。

今後、超過死亡率が計算され、この時期の死者数が推定よりも多くなっていることが示されるかもしれません。それが新型コロナによる影響であると言えるかどうかというと、新型コロナ対策によって、医療現場が混乱した影響や、外出自粛の影響などの要因が考えられるため、超過死亡率の上昇があったとしても新型コロナの影響であると早急に結論することはできません。

 

3. ぶりかえしや後遺症など、通常の風邪やインフルエンザでも起こることが、あたかも新型コロナ特有の症状のように喧伝されている

私も当初はだまされかけましたが、いったん治った後に病気がぶり返すことや、肺炎からの回復後に体に影響が残っていることは、当たり前のことであり、新型コロナ特有の事象ではありません。しかし、油断をしていると、新型コロナだけが特別怖い病気であるという印象を与えるような報道の仕方に影響されて、誤解してしまうことになります。

 

4. 対処方法を一方的に命じられることは「民主的」ではない

学校教育は西洋文明の都合に合わせた内容を教えています。そのため、封建的で、自由のない江戸時代を壊して、民主的な現代へと次第に変えてきたのだという歴史観を植え付けようとします。けれど、明治以降の国家は、かつての社会にあった、地域共同体を壊し、地域の人々に大きく許されていた決定権をはく奪したというのが事実です。このコロナ騒動においても、異論を主張することは許されず、マスコミや国、国際機関による指示に従うことしか許されていません。

本来であれば、上の1~3にあげたような情報を基に、もっと多面的に判断し、また実情に合わせて柔軟に対応することが必要なはずですが、その自由は事実上奪われています。

 

ツイッターの覗いてみると、多くの人々が、不安にかられて、政府やマスコミが誘導するままに、新型コロナを恐れ、厳重な対策をとれと主張しています。外出すると、マスクの着用率は上がる一方に感じられ、商店の対応も厳しくなっていっていると感じます。

 

こうした、事態は戦前の様相を思わせます。

 

偽情報退散! マスコミとお金は人の幸せをこうして食べている』にあるように、戦前の主婦向け雑誌では、日米両国で、相手国からの侵略を恐れさせるような記事が掲載され、家庭から戦争へのみちならしが行われました。

 

コロナ騒動は、その当時から変わることのない世界の姿を示しているように思えます。マスコミは、真実を隠し、人々の不安を煽って世論を動かし、国家も国際機関も、特定勢力の都合に合わせて世界を変えていこうとしているようです。

そうでなければ、ここまで団結するはずがないのです。危険なのは、コロナウイルスではなく、騒動を作ろうとする人々の狙いに乗ってしまうことなのではないでしょうか。

 

ハマウドと洞門のある海岸

youtu.be

2020年6月21日(日曜日)、県南の海岸まで行ってきました。

同じ県内ではあるものの、外海に面した海岸であるうえに、ずいぶんと温暖な気候になっているため、目にする植物も大きく違っていました。

落葉広葉樹は目につかず、厚い葉を持つ常緑広葉樹や、乾燥に強い松、多肉植物のような植物が目立ちます。さらに目立つのは、吹き付ける風のためなのか、樹高を低くして張り付いたように生える樹木で構成された森です。まるでパーマ頭のように低い樹冠で覆われた山がありました。

海は外海なので、波が高く海水浴には向かないようですが、南米系らしい外国人たちは水着に着替えて、浅い場所まで海につかったり、テントを広げて楽しんだりしていました。

いったん海岸を離れて、山の中腹にある神社まで歩きました。このあたりまでくると、海岸沿いとは違って高い木も多くなっていましたが、相変わらず常緑広葉樹の多い森は、日の光がさえぎられていました。私が子供の頃からなじんでいた杉やヒノキ、落葉広葉樹の森と比べるとずっと暗く、縄文の昔にここに住んでいた人々を想像にしくいように感じました。

家に帰って調べてみたところ、日本史の考え方5「縄文時代における東西の違い」というページが見つかりました。人類学者・考古学者である小山修三氏の推定によると、縄文中期における日本の人口は西日本9500人に対し、東日本25万1800人で人口の95%以上が東日本に住んでいました。このような圧倒的な人口差の背景には、気候の温暖化によって、西日本には照葉樹林が広がったことがありました。東日本には落葉広葉樹林が広がり、明るいうえに、クリ、クルミ、トチなどの食料が多く、サケ・マスも豊富に存在していました。西日本は森が暗く住みにくかっただけでなく、こうした食料にも恵まれなかったのです。

長江下流域に住んでいた稲作民たち(倭人)が到来し始めたころの日本列島も、東高西低の状態が続いていたことでしょう。縄文末期から弥生時代にかけての日本で何が起きていたのかを推測するには、こうした森の違いを踏まえる必要があると改めて感じることになりました。

神社に参拝した後は、山を越えて海岸沿いに戻りました。道路わきに駐車場が作られた場所のそばから記念碑のある場所へと降りる階段がありました。ここを降りてみようということになり、下っていくと、記念碑からさらに階段は下っており、数十メートル下の海岸まで下りることができました。

 

海岸は、砂浜が広がった端のところが、今おりてきた崖になっており、巨岩が波に削られて、美しい光景を作りだしていました。青森の仏が浦など、こうした光景は各地にあるようですが、初体験でしたので印象深い体験になりました。

 

こうした場所に行くと、日本人は少なく外国人が多くなっています。一方、この近くの場所でも、車で乗り付けて食べ物を食べるような施設にいくと、たくさんの人たちが食事を楽しんでいて、その多くが日本人です。私は、金を使わない楽しみかたを外国人のほうがよく知っているのではないかと思います。

 

残念ながら、この日の午後にあったはずの部分日食についてはすっかり忘れていました。

 

赤とんぼ橋(国道22号線新名西橋)から庄内川を覗く

2020年5月29日、用事ででかけたついでに、国道22号線の新名西橋、別名赤とんぼ橋から庄内川を覗いてみたところ、岸辺に小魚が集まっていたので撮影してきました。


赤とんぼ橋(国道22号線新名西橋)から庄内川を覗く(2020年5月29日)

水面はるか上からスマホで撮影したため、はっきりとは映っていませんが、小魚が群れていた、ときどき何かに驚いてさっと動く様子が確認できます。小魚の群れは、ここから上流側へ20~30メートルほどの長さに渡って岸辺にできていました。調べてみましたが魚の種類を知ることができるような情報は見つかりませんでした。オイカワ、コイ、ウグイあたりのいずれかでしょうか。岸辺に残されている靴跡の大きさと比べてみると、体長5cmほどの魚のようです。

コイらしい大きな魚と、岸辺に群れた小魚のほかに、7~8匹くらいの集まって少し深い部分を泳ぐ中型の魚の群れがいくつかありました。これも魚の種類は不明です。

庄内川には下流に堰のような場所があるのでボラなどは上がってきているかどうかわかりません。もっと河口近くではシーバス釣りなども行われているようです。

 

生まれて初めて川にいるナマズを見ました

2020年5月17日、昼食後の腹ごなしに散歩に行ってきました。

家から少し歩くと、市街化調整区域があり、水田が広がっています。そんな中を新川の支流の水場川が流れています。水質が良いとはいえませんが、新川よりは小さい川なので、流れがはっきりとしていたり、新川と比べて整備が少し緩かったりして、幾分自然な感じがあります。

橋があったので、川の様子をのぞき込んでいると、少し上流で魚のたてる大きな水音がして浅い川の水面が波立ちました。長く伸びた草を踏み分けながら波立っていたあたりまで近づいて撮影したのが下の動画です。


2020年5月17日昼の水場川 巨鯉と、川底のナマズ

動画には映っていませんが、大きなコイの周りを少し小さめのコイたちが取り囲んでいたために、小競り合いのようになって音が上がっていたようです。コイの産卵期は春から初夏にかけてというこのなので、水草もないような場所ですが、繁殖活動をしていたのでしょう。

鯉やカメの様子をしばらく見ているうちに、小さめのコイと同じくらいの大きさですが、少しやせて、動きの少ない魚がいることに気付きました。最初は病気でもしてやせたコイなのかと思っていましたが、どうやら他のコイよりも水底に近い場所にいて、水流にもほとんど影響を受けていないようでした。そこで、もしかしたら、ナマズなのだろうかと思いつきました。

家にかえって調べてみたところ、やはり水場川にはナマズが住んでいるようです。私が子供時代を過ごした山国ではナマズを見たことはありませんでしたから、この目で天然のナマズを見て感激でした。もう一匹、ナマズのような形をしていましたが、頭が大きく体長の短い魚も見かけました。こちらは外来種かもしれません。

 

帰り道では、家の近くではすっかり聞かなくなったカエルたちの声がたくさんしていました。そのうち、ヘビにもお目にかかれるかもしれません。その日を楽しみに、散歩を続けようかなと思っています。

 

「凶悪犯と同じようなメンタリティを持った人々が文明社会を作り上げた」と想定すべき

日本や世界で起きた凶悪犯罪に関する動画を作ってYoutubeに投稿している人たちがいます。チャンネルは特定しませんが、いくつもあるので、「尼崎事件」「埼玉 愛犬家」「山口母子殺人事件」などで検索すれば見つかります。気分のよいことではないですが、これらを初めとするいくつかの凶悪事件について動画を見ていただければと思います。

 

私は、これまであまりこうした事件について詳しく知らなかったのですが、いくつもの事件に関する動画を見ていくうちに、次第に思い浮かんできた考えがありました。それは、こうした事件を起こした犯人と似たようなメンタリティを持つ人々こそが、文明社会を作り上げてきたのではないかということです。

 

民主主義だとか、魂の進歩だという幻想を捨てて、いったん問題意識を持って文明社会の正体を探ろうとしてみると、この文明社会は悪意に基づいて構築されたものであることが見えてきます。私たちは文明の恩恵を享受していますが、その恩恵は、この悪意にとって利益となる範囲においてだけ与えられています。

 

たとえば、地方裁判所高等裁判所最高裁判所という3段階が用意されている司法制度は、最高裁の裁判官として任命される人物、つまり出世させる裁判官を、文明を作りあげた凶悪犯たちに反抗しない者だけに限るようにするための仕組みであると見ることができます。

 

国という枠組みはあっても、凶悪犯たちの整備した国際機関をその上位において、国際機関によって定められた規範を守らざるを得なくしておけば国家は意味をなくします。

 

明治や戦後につくられた様々な法律は、環境の保護や地方自治を優先するのではなく、凶悪犯たちの経済活動を促進するように定められています。そうして生じた不都合のしりぬぐいは広く庶民に押し付けられます。

 

そのようなありとあらゆる工夫が文明社会には施されているということが、この視点をいったん手にいれると次々と見えてくるのです。

 

 

多くの人は、かつての私がそうであったように、そんなはずはないと考えたくなるでしょう。そうしたときに、最初にあげたような凶悪な事件を起こした犯人たちを思い返して欲しいのです。

 

 

ジョン=レノンは「The world is dominated by madman(世界は狂人によって支配されている)」といいました。このmadmanを具体的に想像するのに最適なのが、凶悪犯罪の犯人たちです。もちろん、ぴったり同じであるとはいいませんが、重なる部分は極めて大きいと思われます。他者を自らの歪んだ欲望を満たすための道具にすぎないと考えている人たちが、自分たちの利益のために文明社会を作り上げた。人類史とは、こうしたメンタリティを持った人たちの影響力が強まっていく一方の歴史なのではないでしょうか。そして、特に、ルネッサンスの頃に影響力を強め始めた一派が、地球全体を覆ったのが現代であるということができそうに私は思います。

 

 

 

 

 

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