農耕牧畜と狩猟採集の間にある大きすぎる違い
私は今年ピダハンと出会ってから同じように文明化されていない人々の生活を調べるようになりました。
そして、同じように未開に見える暮らしでも農耕牧畜を取り入れた暮らしと狩猟採集の暮らしの間に、非常に大きな違いがあることに気付きました。
今回は、現時点で私が考えている狩猟採集生活と農耕牧畜生活の違いをまとめておきたいと思います。
1.日々の労働
農耕牧畜民は、作物や家畜の世話に多くの時間を費やします。狩猟採集民は食糧調達に時間を取られますが、チンパンジーらの行動とそれほど違わない活動になります。
2.所有意識
畑を世話して肥えた畑にすれば他人に取られてはなるものかという意識が生まれます。家畜も日々の世話が大変であるほど財産としての意識が高まります。一方、狩猟採集生活では、知識の共有によって食糧を得ることが多く、個人的に所有することは非難されます。
3.環境とのかかわり
農耕牧畜生活では、耕作や牧畜に適するように土地が改変されていき、改変によって人口が増加していく結果、さらに改変が進んでいきます。一方、狩猟採集生活では、環境をできるだけ改変せず、資源を保護することが生活の維持につながります。
4.長時間の単純労働による定常的余剰生産物と不安商売
狩猟採集生活では長時間労働に意味がなく日々の食糧とわずかな所有物のための 労働に限られます。農耕牧畜社会では勤勉によって資産が増え、定常的な余剰が生まれる結果、介護や一夫多妻制が可能になり、人々の余剰生産物を狙って不安商売(占い師、神官、王)が登場します。文明はこの不安商売から生まれました。現在も不安をあおって人々に労働を強いる不安商売が社会を動かしています。
5.本来的快楽
狩猟採集の暮らしは、子供の遊びの延長です。私はもちろん狩猟採集民ではありませんが子供の頃にしていた遊びは狩猟採集の暮らしそのものであり、ピグミーの子供たちの遊びと大差ありません。木イチゴを摘み、山に基地を作り、弓矢で鳥を射ようとし、魚を獲って遊びました。一方、狩猟採集を捨てた暮らしは本来的快楽を捨ててしまっています。その結果、長時間労働を正当化するための価値観を無理やり生み出す必要が生じています。
6.自然の中の精霊と人工的な神
狩猟採集生活は環境を維持するため身近に自然があふれており、人々は自然の中に精霊を感じて生きています。農耕牧畜が進むと、支配者は自己を差別化するために、人工的な環境を作り上げていきます。
7.互いの関係
農耕牧畜民から見れば狩猟採集民は野生動物のような存在であり、黙って作物や家畜を奪いかねない人々に見えます。狩猟採集民から見れば農耕牧畜民は獲物のいた土地や果実の実る土地を狩猟採集民にとって不毛の地に変えてしまう人々です。
人類史の99%を占める狩猟採集を捨てて人間の精神に大きな影響力を持つ農耕牧畜を始めたことによる影響を強く受けて私たちの価値観ができあがったいることと、農耕牧畜が本質的にはとどまるところのない環境破壊につながっていることを私たちは自覚する必要があるのではないでしょうか。