毎日出てゐる青い空

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西アジアとヨーロッパ/日本と中国

人は、特定の情報に触れる頻度が高いほど、その対象は大きな価値を持つと思い込みがちです。たとえば、東京近郊の観光地は、テレビで取り上げられる頻度が高いため、同じような場所が地方にあったとしても、ずっと有名になり、価値のあるものとみなされるようになります。

 

そうした人の性質を利用して、ヨーロッパは実態よりも大きな価値を持つという印象を世界中に広めてきました。ヨーロッパにあるものと同じかそれ以上に価値のあるものが他の地域にあったとしても、そうしたものには極力触れず、ヨーロッパ発の情報をせっせと送り出し、実際以上の価値に見せかけてきたのです。

 

実際のヨーロッパはユーラシア大陸の西半分を占める印欧語族一神教世界(◆ 人類の移動 2: Open ブログ )の中でも面積も小さければ、辺境に属していた期間も長い、後進地域にすぎませんでした。

 

たとえば、日本は小さいといいますが緯度経度の広がりだけをとれば、南欧のスペインから北欧のデンマーク、東欧のポーランドにまで及ぶほど広大です(画像 : 日本の国土の広さ・大きさが世界と比較してよくわかる地図 - NAVER まとめ)。

 

日本とヨーロッパはある意味似ています。西アジア(シュメール)と東アジア(黄河)で生まれた文明の影響を受けながら極東と極西で発展しました。日本ではかつて、越後や伊予、豊後といった地域を国と呼び、それぞれに直接会話することが難しいほどに方言の違いがありました。ヨーロッパの各国は、そうした日本のかつての国を少し拡大したようなもので、住んでいる人も、文化も、言語も、おおよそ似通っています。

 

日本で、縄文人弥生人、渡来人たち、天皇と藤原家が繰り広げたような歴史を、ヨーロッパでは、フン族ゲルマン人ユダヤ人やローマ法王が繰り広げました。日本が印度や中国から学んだように、ヨーロッパもアラブ世界から学びました。

 

 

文学や美術、音楽、宗教、思想に目を向けてみても、実はヨーロッパのものよりも、日本や東洋のもののほうが、生きる命の営みのどうしようもなさを受け入れ、いつくしんでいくという点で、本質的であると感じます。

 

たとえば、フランスは農業大国と呼ばれますが、それは1950年代以降のことでした(

フランスは昔から農業大国だったわけではない: FRENCH BLOOM NET-INFO*BASE

)。コカ・コーラの自販機ばかりが公共施設に置かれていたり、地デジやこしひかりの特許を握られていたり、製品や農産物の購入を迫られたり、首都圏の制空権を抑えられていたりという、日米関係を見ればわかりますが、欧米が豊なのは、あらゆる経済活動の利益を吸い上げることができるような世界を、基本的に無理強いによって作り上げたためです。そうした豊かさを背景として実施された政策によって、自給率を上げたり、福祉を手厚くしたりできるわけであって、実際のヨーロッパは、それほど気候に恵まれていない、豊かさとは遠い地域でしかありません。

 

このような視点から情報を整理しなおして、何が過大評価され、何が隠されているのかを見ていくことで、真実が見えてくるのではないでしょうか。

 

文明人が多忙な理由

かつて、野生動物のように暮らしていた人々。

自分たちの生き方は自分たちで決め、

自分たちの土地は自分たちで守っていた。

理屈ではなく、生きていくことが基本となって、

人々の生き方が決まっていた。

 

 

いま、世界は狂人たちによって支配されている。

狂人たちは、世界をいくつもの国に分け、

国と国とが争っているという幻想を押し付けて、

いつか起こる戦争に負けないためにと、

経済を発展させ、技術を磨き、戦力を確保するよう

人々を動機づけている。

 

 

その一方で、野生動物のような生き方は野蛮で

非人道的で、人権無視で、非文化的な

許されてはならない生き方であると教え込んで、

文化的な暮らしを与えてくれる文明を肯定させる。

 

実際には、

自分たちの生き方を自分たちで決めることができず、

自分たちの土地を守ろうとすれば

自分たちが主権者であるはずの国家権力によって排除され、

自分たちの子供を自分たちで教育することもできなければ、

経済発展に協力しない生き方を選ぶこともできない、

牢獄を与えられたにすぎない。

 

南海の小島に暮らしていた人々も、

河原を住みかとして転々と渡り歩いていた人々も、

焼き畑を作りながら小さな社会を守ってきた人々も、

みな、牢獄に取り込まれてしまった。

 

 

野生動物のように生きてきた人々は、

肉体的な厳しさや、

物質的な限界のきつさはあっても、

文明社会の囚人たちに課された

経済活動から免除されていることから、幸せである。

 

動物たちと同じように生き、動物たちと同じように死んでいく。

動物たちと同じように、

繁殖活動にいそしみ、

単純な遊びを楽しんで、

一生を終えていく。

 

そうした生き方は、

現代社会を支配する狂人たちにとっては

けっして見過ごすことのできない生きかたである。

なぜなら、そうした生き方は、

狂人たちが搾取できる富を生みはしないから。

 

 

文明人が多忙になるのには理由がある。

 

学校教育のカリキュラムを国が決め、

マスメディアが免許制で、

都市に人を集め、

人と動物を厳然と区別することで、

人は牢獄に閉じ込められながら

自己実現」「夢の実現」「社会貢献」などという

虚構を信じ込んで一生を狂人たちの利益のために費やす存在になる。

 

 

私の生まれ故郷は人口3000人ほどの村であった。

その小さな村に、かつては芝居小屋が3つもあった。

村の人々が作った小屋だった。

私が生まれたころにはなくなっていた。

 

私が子供のころ、村の祭りは、決まった日に開催され、

平日であれば学校も休みになった。

学校よりも祭りであった。

いつか、日曜日に開催されるようになった。

 

大正生まれの祖母は、

豆腐、コンニャク、もちを作って正月を迎えた。

準備は何日もかけて行っていた。

 

母が働きに出るようになって、

晦日も夜まで拘束されるようになった。

年取りができないと、祖父母は嘆いた。

 

 

民主主義だ国民主家だ、人権だと言ってみたところで、

実態は、先に挙げたような牢獄だ。

 

誰かが決めた法律に従って、

生き残りのために経済活動に参加して、

故郷を捨て

季節を捨て

自然を捨てて

生きていくしかない。

 

それもこれも狂人たちの存在を否定しているせいだ。

人が富を蓄えるようになれば、人々を食い物にする狂人が登場してくるのは、

他の獣たちの肉を狙う肉食獣が誕生することとおなじく必然なのだ。

 

野生動物のように生きていたころ、

人は富を蓄えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

冬から春へ

秋から冬にかけて、

夜がやってくるのが早くなり

昼間の時間が短くなる。

昼間の時間が延び始めても

まだ朝がやってくるのが遅くなりつづける

(夜の訪れは少しずつ遅くなる)。

そのうち、寒さが厳しくなっていく。

(ただし、朝の訪れも少しずつ早くなって

昼間の時間が延び、日の光が強くなっていく)。

 

こうして、冬がやってきて、春に移り変わる。

 

 

夜が一番早いのは11月の終わりから12月のはじめにかけて。

立冬は12月の中旬と下旬の区切り)。

朝が一番遅いのは大晦日から正月のころ。

一番寒いのは1月の終わりから2月のはじめにかけて。

 

今日は大晦日

でも、暦がなければ、

朝がやってくるのは遅いように思えるけれど

昨日よりも少しだけ夜が遅くやってくる気がする

そんな一日。

 

 

 

魚を捕りに

八郎潟干拓:食糧不足を解消するためにと、琵琶湖の次に大きかった八郎潟を埋め立ててしまって大潟村ができた。2014年に開村50周年を迎えたというから村ができたのは1964年。入植がはじまったのは1967年であったが、1970年には本格的な生産調整が開始されるというチグハグさを見せている。大潟村の収入は秋田県の他の市町村の倍だというが、調べてみると、飼料米の生産に対して国から支給される補助金頼みになっていることがわかる。

 

長良川河口堰反対の世論が盛り上がる中で建設が強行され、本格運用から2015年で20年がたった。治水と利水を目的としていたが、 水位が潮位に支配される河口部での堰による治水は有効でないことははじめからわかっていたと指摘されており、着工時すでに水需要は漸減の傾向にあり、新たな水資源を開発する必要もなかった。

 

諫早湾干拓:こちらも、農地の拡大を目指した点で八郎潟と共通する。構想が建てられて時点での食糧増産という目的が、産業構造や生活様式の変化の中で、有効性を失っているにも関わらず工事はすすめられた。

 

普天間基地辺野古移設:そもそも普天間基地の代替施設はいらないという議論が沖縄からだけではなく、米側からもある。

先日、都内で退役米軍将校と会食をした。在日米軍に長く勤務した元将校は、「米軍の見解ではない」と前置きしたうえで言った。


 「正直に申し上げれば、普天間飛行場は必要ないです。辺野古への移設という問題ではなく、極東アジアの戦略上、沖縄に米海兵隊はいらないのです」

 決して新しい論点ではない。しかし退役したとはいえ、米軍の元将校が海兵隊不要論を述べた点が興味深い。(米国も実は不要と思っている普天間基地 なぜ中南米諸国は米軍のプレゼンスを拒否し続けられるのか(1/4) | JBpress(日本ビジネスプレス))

 

植林事業:「日本の国土面積の3分の2は森林(2508万ヘクタール)であり、その4割(1029万ヘクタール)は戦後すぐに農林水産省が植林事業として推進した「スギ」や「ヒノキ」などの人工林で占められている」(https://toyokeizai.net/articles/-/201820

一方、林野庁http://www.rinya.maff.go.jp/j/kikaku/hakusyo/26hakusyo_h/summary/s02.html)によると、国産材の製材用材供給量は昭和42年にピークを迎えています。

 

 

私たちの暮らしを取り囲んでいた自然。フナやツクシやワラビは、食卓に彩りを添えてくれたはずだ。私の実家は、山村にある割には、野草やキノコ、川魚などの利用頻度が低く、数種類のキノコを食べるくらいだったが、キノコの出る秋になって、山にキノコとりにいくのは祖母や父の楽しみになっていた。ウナギを捕るためにワナを仕掛けてみたり、アケビやヤマイモを見つけて収穫したりもした。

 

 

こうした無意味に自然を破壊するだけの事業には、実は、そのような自然を奪うことが最大の目的になっているのではないだろうか。

 

 

動物たちや未開人の生き方を知っていくと、私たちが大切だと思い込まされている進歩や、社会的な成功などというものは、本当の進歩でも、あるべき人生でもないことが見えてきます。自然に囲まれた中で、厳しくも愉しい日々を過ごして、突然訪れることの多い死に抗わない。そんな生き方の愉しさに気づくのは、やはり、自然の中で遊んで、キノコやクリやウナギを食べた経験があってのものだろう。

 

 

カネがなければ何もできない世界を作りあげて、自然に囲まれた生活を嫌悪させるような情報を流し、自然の愉しさを経験できない環境を作る。それこそが、こうした公共事業失敗の背景にある本来の目的なのではないだろうか。

 

 

 

 

 

 

木霊

 

 

youkaiwikizukan.hatenablog.com

 

「百年の樹には神ありてかたちをあらはすといふ」

 

 

 

私たちの暮らしは、多くの植物、昆虫、動物たちという生命に囲まれた中で営まれてきた。今のように、ほとんど生命のいないような空間に生きることは、実に奇妙なことだ。

 

かつての生命に囲まれた生活の中で、人は、命のあり方を感じ取っていったことだろう。昔からある表現だが、虫をカエルが食べ、カエルをヘビが食べ、ヘビをトビが食べる。そこに命のはかなさがある。

 

命は匂いにも現れる。春の匂い、夏の匂い、秋の匂いが植物の活動を伝える。

 

命はどうにもならないもの。命は、多くの命に囲まれてあるもの。食べ物を与えてくれる命もあれば、危害を加えてくる命もある。多くの命に囲まれた世界は豊かであると同時に、それだけ多くの危険にも囲まれた世界である。

 

 

もののけ姫を描いた宮崎監督は、物語のその後について、次のようにコメントしている。


もののけ姫 in USA 宮崎駿インタビュー (1999年)

 8分36秒あたりから

彼らはずっと良い関係を続けていくだろうと思います。それから、サンが生きていくために、アシタカはいろいろな努力をするだろうと思います。同時に、タタラ場の人々が生きていくためにも、大変な努力を払うだろうと。そのために、アシタカは引き裂かれて、傷だらけになるだろうと思います。それでも彼は、それを曲げずに生きていこうと思って、両方を大切にしようと思い続けるだろう。だから、彼の生き方は、私たちが今の時代を生きていく生き方に、共通するんだと思うんです。

 

もののけ姫の中では、シシ神の倒れた後にも木霊は生き残っていた。けれども、タタラ場として表現された、人が環境を変えながら人にとって都合のよい世界を作ろうとする営みを続けてけば、どうしても他の命を排除していこうとする。そこには、木霊の生き残る余地はないように思える。

 

知性や理性といった概念を信じ込んでいる今の私たちよりも、木霊や天狗といった概念を信じ込んでいた昔の人たちのほうが、まだましだったのだろう。知性や理性を信じ込むことは、命でしかない人という存在を過大評価させて、人の知恵でなんとかなると思い込ませる。木霊や天狗を信じることは、人の弱さ、人の意思の通らなさを教えてくれる。そんなふうに私は思う。

 

 

本日もお付き合いいただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

文明は人を経済活動のための家畜にして利用する

お付き合いいただきありがとうございます。

前回の続きです。

 

現在のトップ画像はアフリカのカラハリ砂漠に住んで狩猟採集生活を送っていたブッシュマンの姿です。

 

定住化を強いられる前のブッシュマンは、ピグミーと並ぶ代表的な狩猟採集者たちであり、多くの人類学者が研究のために彼らの村を訪れていました。そして、彼らのような生き方がまだ地上にあることに、人はこのような生き方もできるのだと安堵をおぼえてもいました。

 

文字も、貨幣も、大規模な集落もない彼らの生活は、動物的な生活といえます。生活の大半は、日々の食べ物を得ることと、生活に必要なものを作ったり、周囲の農耕民との物々交換によって手に入れたりすること、そして、動物の群れのように、家族や小集団で移動しながら子孫を残していくことに費やされます。カレンダーもなければ、税金もなく、会社も、学校もありません。ライオンがうろつき、ヒョウが樹上から狙って来るとしても、一方的に恐れるだけではなく、ライオンの獲物を横取りしたりもする暮らしです。野生のスイカが蓄える水に頼って乾季を乗り越えてきました。

 

私たちの暮らしからは、彼らの暮らしにあるさまざまなものが失われています。職場に親が通うことで奪われる家族の時間。同じ年齢の子どもたちを閉じ込めて教え込まれる価値観と、それによって奪われる遊びまわれる子ども時代。民主主義といいつつ実際には与えられていない裁量権。時計とカレンダーに縛られる日々。法律によってがんじがらめにされた行動。

 

かつてのブッシュマンの暮らしは、集団のサイズや、決まりごとも、動物たちの生き方に近い、本来的なあり方でした。労働時間は1日3時間ほどだったといいます。

 

 

なぜ、文明の進歩とともに人は苦労を背負いこんでしまったでしょうか。私が出した答えは、「文明は経済的な観点から人の資源としての価値を高めることを目指す存在だ」ということです。

 

 

文明社会は、きままな生き方を許さず、貨幣経済に組み込んで、さまざまな決めごとを押し付けていきます。人としてのあるべき生き方は、ブッシュマンやピグミーのような人の本来の生き方とはまるで違った生き方であると教え込んできます。よりよい収入を目指す生き方であったり、文明社会をさらに発展させることに努力する生き方であったり、文明生活を最大限楽しもうとする生活であったりします。生命の豊かな環境で、体を動かし、自然を感じながら、人の都合が通らない世界を受け入れるという生の本質にしたがって生き方ではありません。倫理観や理性や愛や神の意志などといった抽象概念に縛られて、これに従うことを目指す生活です。

 

元々、部族が共有していた土地は、文明社会では、国家のものとなり、企業の経済活動のための利用されていきました。土地から無償で得られていた食べ物は、労働の対価として手に入れるしかなくなりました。職を得る心配など不要だった日々は去り、職を得るために教育を受け、資格を得るために努力しなければなりません。医療も、住居も、生も死も、すべてがカネに結び付けられて、人は一生をカネを追って暮らすことになりました。

 

ここで、罪という概念を考えてみます。人は人を殺せば罪を犯したと見なされ罰せられます。しかし、動物の世界に本来罪はありません。猫が猫を殺しても罪にはなりません。一方、文明社会では土地を個人が所有することや、電気を使うことは罪になりません。しかし、理論上はいずれも人を殺す以上の罪に問うことが可能です。

 

土地は部族の皆のものであり、それを私有しようとする者は暗殺されたとしても当然であったりします。電力の利用は、環境破壊につながり、部族に必要な食べ物や家を建てるための葉や、燃料を枯渇させることになるとなれば、電力を利用する者は、厳しく罰せられることになります。

 

これはほんの一例ですが、文明社会の規則は、さまざまな理屈付けの中の一つだけを正しいと規定することによって、人の生き方をカネに結び付けています。たとえば、医療を免許制にすることと、誰でも自分の責任で医療行為を行って良いこととどちらが本来的なのかといえば、実は後者です。土地を私有することや、貨幣を使うことも、本来はいけないことかもしれません。放送免許や、学校制度もそうです。

 

生命の利己性に、言語の持つ技術を高める能力、抽象概念を作る能力、意図を具体的に伝える能力が結びついたことで、文明が生まれました。文明の支配者たちは、人の資源としての価値を高めるように、理屈を作り、技術を利用し、制度を作りあげてきました。そのため、時代が下るほどに人は多忙になり、要求される能力が高度化し、生き方を制限されるようになっています。

 

この状態をどうすれば脱することができるのかについては、改めて考えたいと思います。

 

本日もお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヘビをたべるヘビ

ヘビを食べるにはヘビになるに限る

 

ヘビが細長い体と手足なしに移動できる能力を手に入れて、この能力を生かして繁栄しはじめると、繁栄したヘビ類をエサとする別種のヘビ(コブラ)が誕生する。ヘビを食べるには、獲物のヘビ同じように細い体と手足なしに移動できる能力を持っていることが有利に働く。

 

空を飛ぶ鳥が増えれば、鳥を食べる鳥(ハヤブサ)が登場する。

 

海に進出したクジラがイカを餌にして増えていくと、クジラを食べるクジラ(シャチ)が生まれる。

 

蚊の仲間にも他の蚊のボウフラを食べる種類(オオカ、カクイカ)がいるらしい。

 

ことほどさように、生命の肉体は資源(エサ)となって、捕食動物を生むのである。

 

肉体は資源であり、資源(エサ)が豊富になればこれを利用しようとするものが(特に同じような能力を持つものの中から)生まれてくることがわかる。

 

肉体という資源に関しては、共食いという行動もある。 

 

共食いは種の繁栄に逆行する行動のように見えるが、合理的だから起きるはずである。それを説明するには、人間の行う牧畜から話を始めるとよさそうだ。人間は自分では食べることのできないような植物を肉に変える方法を発見した。高緯度地方に住む人々は、夏の豊富な緑を餌に動物を飼い、冬を前に殺して肉にする。こうして、農耕に向かない寒い土地でも、植物を肉に変えて生きることができる。ヨーロッパで肉食が進んだ理由である。

 

インドネシアのコモド島だけに住むコモドオオトカゲは成獣が幼獣を襲って食べてしまう。ヨーロッパにおける牧畜との類推から、このような行動も、自分では食べることのできない食物を間接的に取り入れることになっている可能性が考えられる。つまり、成獣の餌になる大型動物の少ないコモド島で、虫や小型の爬虫類を食べて育ったコモドオオトカゲの幼獣が、成獣のエサになることで種を維持しているかもしれないのである。

 

同じようなことが、ホッキョクグマの共食いにも考えられる。ホッキョクグマの共食いは、地球温暖化の影響でエサが少ないせいで起きているように伝えられることが多いが、元々食糧の季節変動の多い地域に暮らすために、アザラシの豊富に得られる季節に太った仲間を、アザラシの捕れない季節にエサとして利用することでホッキョクグマは種を維持してきた可能性があるのだ。

 

こうして資源としての命とその利用について考察してみると、資源が増えればそれを狙うものが生まれ、しかも、獲物と似た性質を持つものから生まれやすく、そのうえ、資源の利用には倫理など無関係であることが見えてくる。その上で人類を考えると、ヒトは肉体という資源であるだけではない。労働力として、消費者として、研究者として、芸術家としてなど、ヒト特有の価値を持つ存在でもある。文明は、こうしたヒト独自の資源としての価値を高めるように、ヒトを家畜化する方向に発展してきたのだと、私は考えている。

 

その話は長くなるので、次回に回したい。

 

 

 

 

 

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