毎日出てゐる青い空

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動物の名前は知っているが、動物の生き方は知らない

私たちはたくさんの動物の名前を知っている。

子どものほうが大人よりもたくさん知っているくらいに知っている。

 

けれど、動物たちの生き方はほとんど知らない。

 

私が動物たちの生き方を知りたいと考え始めてから知ったこともそれほど多くはない。むしろ、あまりにも情報の少ないことに驚いている。

 

定住生活の影響を知りたいと、ビーバーに関する本を探してみたが適当な本はなかった。

 

母ワニの子を思う心を知りたいと思ってもワニに関する本はなく、手を使うことのできる動物としてカンガルーについて知りたくても本はなく、ダチョウやフクロウのこともわからない。

 

動物の生き方を知らないから、

「人は動物と違って遊ぶのだ」という事実とは違う説を簡単に信じ込む。

動物もヒトも心が育つためには、身体接触が必要なのだという事実に逆らって、

子どもの自立心を育てるためには、一人で寝せなさいなどという学説を信じ込む。

生命ははかないもので、今を楽しむしかないという事実を忘れて、

一生を経済活動に奪われて気づかない。

 

仲よくだけすることなどできないという事実を忘れて、

すべての生物が仲よく暮らす世界を描いて平気でもある。

 

私たちは、身近で野生動物たちの繁殖活動や捕食活動が繰り返される世界に住まないと、生命の本当の姿を忘れていってしまう。

 

 

 

 

。。。で顔(シミュラクラ現象)

シミュラクラ現象

matome.naver.jp

いろいろなものを顔に観てしまうようにできている私たち。

それは私たちが物理的な事実ではなく、体を通して解釈した事実に頼って生きる存在であることを示している。

 

科学がどんなに否定しようとも、あらゆる物を生命として把握するアニミズムは、私たちにとって真実だ。

 

風や水、岩にも意志を感じ、関わり合いを感じる。

 

 

アニミズムを否定する宗教が存在するとすれば、その宗教は偽物だ。私たちの本質である生命を否定しているからだ。

 

 

 

 

風や水、岩に生命はないと言い切ってしまったとき、私たちは、生命として存在する必要性をなくす。文明社会の支配者たちは、利益を求めて生命活動の姿をゆがめ、経済に結び付けてきた。必要最低限のもので満足し、日々を楽しむという動物的な生き方を否定して、人道や、労働や、理性という概念で人々を縛りつけ、アニミズムの世界から宗教の世界へ、そして科学の世界へと進んできた。

 

私たちを救うのは、アニミズムの世界だった。

 

 

国際資本家たちを潤しながら乗っ取られた人生を生きる

ワクチン、輸血、電力、ガソリン、デジタル放送、スマートフォン、クレジットカード、遺伝子組み換え植物、インターネットビジネスなどなど、私たちの暮らしは、一方で、資源や権利、業界を独占する相手に対して、さまざまな形でいつの間にか収益を与えている。同時に、ワクチンや輸血、原発事故、大気汚染、電磁波、情報統制、危険な食品などの弊害をただただ受け入れるしかない立場に置かれている。

 

自覚のないまま生きていた頃には見えなかった現代の文明の実態は、人々を幸せにするかのように見せながら、かつての支配者よりももっと貪欲に民から搾取する見えざる支配者たちによって搾取される世界だった。しかも、今の民は、情報統制によって自分たちは幸せだと思い込み、支配者たちの意図に自ら意欲的に従おうとしている。

 

動物たちや、狩猟採集者たちが今を楽しみながら、どうにもならないことをどうにもならないものとして受け入れている姿を知ると、私たちの生がどれほどゆがめられ、つらいものにされているのかがよくわかる。

 

私たちにとって必要なことは、情報統制から抜け出して、生命にとって本来の生き方を確認し直すことである。私たちには、電気も、インターネットも、貨幣経済もいらない。死ぬ運命にある命をむやみに救おうとして、生命の世界をゆがめてはならない。

 

地面に腰をおろし、爽やかな風に吹かれ、安全は雨を身体で受ける幸せは、本来の暮らしによってしか実現されない。

 

眼鏡と入れ歯がくれた命

高校卒業の頃に悪くなった目は、それ以来悪化を続け、眼鏡を作り直すたびに度が進んだ。今では眼鏡がなくては何もできない。

 

甘い物好きがたたって、右下の歯が親知らずを含め3本欠けたため、部分入れ歯を入れた。

 

こうして、50代を迎えて見ると、人の活動の最盛期は30代あたりにあり、50歳という年齢はもう、仕舞支度をする年齢であることを実感する。

 

私は、人の本来の生き方は、狩猟生活であり、人は最大150人程の集団を作りながら、一つの言語集団全体でも1000人に満たないくらいの規模で暮らすべきだと主張している。

 

そのような世界であれば、眼鏡もなく、入れ歯もない中で、私の肉体は栄養を十分にとれないままもっと早く衰えたかもしれない。

 

そう考えると私の今の命は眼鏡と入れ歯がくれたものかもしれない。事実、狩猟採集社会には、50歳を超える人は少ない。

 

 

しかし、本来の生理にあったライフサイクルが存在するのは、確実に狩猟採集社会のほうだ。文明は長い命をくれても、本来の生活は奪っていくのだ。

 

文明社会の裏側を知ってみれば、それは人々から本来の生き方を奪うことで成り立った牢獄のような世界だ。

 

ならば、眼鏡も入れ歯もない世界のほうが、私たちは幸せに生きられるかもしれないのだ。

小国寡民

10代の頃覚えたこの言葉をすっかり忘れていた。

老子と暮らす―知恵と自由のシンプルライフ』を読み、

小さい国の話を調べていて、

元の言葉は小国寡民であると知った。

 

私が福岡伸一さんの本を読んで、

地球環境を守るには、

各地にできた小さな社会が

その地域の環境の維持だけに専念するしかないと

思いついたことと、

老子の言葉とがここで結びついた。

 

地球全体を知る必要も

管理する必要もなく、

局地的な対処が連なることで

全体としてうまく機能するようになるのだ。

 

 

別の観点から、小さな社会でなければ

人は人らしく生きられないことを指摘しているのは

コリン・ターンブルである

(『豚と精霊―ライフ・サイクルの人類学』)。

 

世界システム論や陰謀論の立場からいえば、

小さな社会を徹底的に壊そうとしたのが

世界システムであり、

日本でいえば明治初期に実施された

さまざまな政策である(義務教育、徴兵令、地租改正、市町村合併)。

 

徳川期の日本は

支配者の姿がはっきりと目に見えていたが、

農民たちは年貢さえ納めておれば

自分たちのことを自分たちで決める自由を持っていた。

それは小さな社会のつらなりのようなものであった。

村は数百人規模の世界だった。

 

今の世界は

支配者はいないものとされているが、

実際には存在しており、

支配者たちだけが決定権を持つ。

私たちは、大きな社会の中で

自分たちのことを自分たちで決めることが

できなくなっている。

 

 

ピダハンの直接経験の原則は真実であり、

ほとんど直接経験の範囲だけで構成される小さな社会だけが、

私たちが主権者として存在できる

社会なのである。

 

アムネスティだかナショジオだか赤十字だか知らないが

世界規模の組織を作ることは

私たちから主権を奪うことでしかない。

 

自分たちの生きる小さな地域を自分たちの意志で守る小さな社会が

地球を覆い、

人々が主体として生きることを想像したとき、

現代社会の虚構(国連、マスコミ、開発、経済発展)が

まざまざと見えてくるのだ。

 

本当のことを知りもしないくせに

本当のことを知らないとは

 

直接見聞きしていないこともそうであれば、

与えられた答えを疑いのない事実であると受け入れることもそうである。

 

「人殺しはいけない」

無神論は恥ずべきこと」

「アジア人は民度が低い」

「人は動物とは違う」

 

ヒトラーは、「大きな嘘ほど民衆は疑わない」といい

「嘘も百回言えば真実になる」といったという。

 

私が陰謀論と出会って、

人の本来の生き方を探る中で

痛感したのがこれらの言葉である。

 

歴史上の出来事の真相が不明であるように

現代の出来事も真相は不明なのだ。

 

ただ一つわかっていることは

教育とマスメディアによって繰り返し「大きな嘘」が伝えられることで

人々は嘘を真実と思いこんでいるということだ。

 

私たちは本当のことを知らない。

 

本当のことを知れば

人類には救いが必要だとキリスト教を布教することも

マスコミは真実を伝えよと街宣車で町を騒がせることも

国境なき医師団赤十字に協力することも

世界遺産登録のために奔走することもないだろう。

 

私たちは本当のことを知らない。

何度も繰り返される大きな嘘を信じ込んで生きている。

 

 

 

 

 

ハキリアリが勢力を広げることと、西洋文明が世界を覆うことは本質的に同じ

ハキリアリ 農業を営む奇跡の生物』を読んだ。

 

人類の未来を考える上で多いに有用な情報を得ることができた。

・社会性の昆虫は単独生活を送る昆虫よりも優位である

・農耕に手を染めることで利用できる資源が増える

・葉を運ぶための専用の道を整備することで効率が高まっている

・ハキリアリたちの進化は比較的最近である

・分業制が進んだ社会性昆虫は、個体ではなくコロニー全体で1個体に相当する機能を備える

・高度に分業化が進んだハキリアリにはこのハキリアリの生産するキノコをただで横取りする寄生種のハキリアリがいる

などである。

 

社会性昆虫たちは、分業制の社会を作ることで、単独生活を送る昆虫たちとの競争に打ち勝ち、有利な場所を占めるようになっている。人類史も同じで、大きな集団を作り、統率のとれた側が勝利を収めるようになっている。だから、ヒトの本来の生き方は狩猟採集だといってみても、そして狩猟採集のほうが人々は幸せだったと言ってみても、密度を上げ、定住化によって統制力も上がっている農耕民に勝つことはできず、農耕民も都市を作り上げた人々の前には負けてしまう。

 

ハキリアリたちは延長された巣ともいえる専用の通路を地上に整備している。そうしたほうが、結局効率よく葉を運べるのだという。そのような習性は長い間に身について行ったものなのだろう。しかし、まるで頭で考えて地上にも通路を作っているように見える。それは人の思考によって生み出されるものも、この通路と似たりよったりなものであることを教えてくれる。

 

今のように生の葉を噛み切って利用するハキリアリたちが登場したのは、人類がチンパンジーらと分かれたと推測される800万年前のことである。アリたちも哺乳類と同じ時期に進化の道を進んでいるのだ。

 

こうしたハキリアリたちが単独生活の虫たちよりも幸せなのかといえば、そうでもない。社会性昆虫、中でも分業制の進んだ社会性昆虫らしく、個々の生ではなくコロニーが一匹の昆虫のような機能を果たしているため、一匹で完結している単独性昆虫よりもつまらない生のように私には思える。

 

これを人類に置き換えてみると、まったく同じことが見えてくる。競争に勝って主流となっていくあり方(社会の大規模化、分業化)が進むのは、それが個体の幸せとつながっているからではなく、より優位であるからでしかない。鉄砲を捨て刀に戻した徳川幕府は、さらに武器を強化することを目指した西洋文明の前に敗れてしまう。しかし、西洋文明に覆われた世界で生きることは、分業制が進んだコロニーの中で生きるハキリアリと同様の不幸を私たちにもたらす。

 

世界支配者たちが金融の仕組み、特許制度、貿易協定などを利用して支配を維持する仕組みを作り上げていくことは、極論すればハキリアリたちが換気、ゴミの処理、効率性などを反映した巣を作り上げていくことと大差ない。物理的な問題を物理的に解決していくことで、場所取りに勝ち、より多くの資源を利用して戦いを優位に進める生物が勝っていくにすぎない。知恵の勝利ではなく、生物たちの主体性と見えるものもまた、物理法則の一部なのだ。

 

ハキリアリの女王蟻が決して幸せではないのと同じように世界支配者たちも結局のところは、次々と卵を生む代わりに、さまざまな問題への対策に頭を悩まし続け、地位を失うことを恐怖し続ける存在でしかないのだ。

 

もし、人間に本当に知恵があるとすれば、分業制や大規模な社会へと進もうとする力学に抵抗して、主体的総合的に生きることを実現できるだろう。それは、狩猟採集者たちの作る小規模な社会に生きることである。

 

いずれにせよ、今の文明が表している人間の知恵など、ハキリアリの知恵と大差ないものであることを知ることに、私は大きな意味を感じている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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