毎日出てゐる青い空

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ライオンキングとか竜馬とか

当時は使われていなかった「鎖国」や「士農工商」という言葉を作ったり、

「戦争責任」を追及して

自虐的な歴史を教え込む人々は、

事実とは相いれない一方で

想像力に富み、

感情を揺るがせる物語を作らせて

広げ、

彼らにとって都合のよい

世界を維持しようとする。

 

芸術の才能を持つ人々が

見いだされ、

協力し、

嘘を広めていく。

 

 

本当の歴史を広めたくても

感情と深く結びつき

繰り返されることで事実であると

信じ込まれた知識によって、

真実のほうが「嘘」と言われてしまう。

 

 

学校教育も

マスコミも、

芸術作品も、

 

だから僕は音楽を止めた。(byヨルシカ)

 

のではなく、

 

だから、言葉について

人はもっと必要がある。

あなたの一生は、経済活動のために終わる。すべては、文明社会を築き上げた資本家たちのために。

私の家の前の道をたくさんの自動車が走る。

いったいどのくらいの車が、本当に必要な活動のために走っているのだろう。

 

もちろん、たくさんの人が勤務先に向かうために、道路も電車もいっぱいだ。

いったい、どのくらいの人が、本当に必要な仕事をしているんだろう。

 

教育も、医療も、銀行も、警察も、工場も、畑も、本当は、ないほうが本来的なものばかりだ。

 

動物たちは、そんなものを持たないで、立派に暮らしている。

 

未開社会の人たちも、そんなものを持たないで暮らしている。そこにあるのは、本当に必要な活動と、自由になるたくさんの時間、そして自立である。

 

未開社会の人びとこそが主権者であり、本来の生を体現している人々であり、人類史上もっとも幸福な人びとである。

 

*************

 

文明社会の私たちは資源として活用される存在になってしまった。

 

*************

文明社会の囚人たる私たちは、

キリスト教を道具として使う者たちの手によって、

本来の生を捨てて

経済活動のための資源として生きるよう

教え込まれる。

 

日本の歴史を見れば

キリスト教を使った

こうした経済資源化は

戦国時代に始まった

 

(余談的話題:

けれど、武力で容易に打ち負かすことも、

大衆をキリスト教徒にすることも難しいと

判断した侵略者たちは別の手段を講じた。

それが、天主をいただく城であり、

ミサを模した茶の湯であり、

封建制度を崩壊させる楽市楽座であった

日本人がこうしたものを日本的であると感じるように

教え込まれたとき、

日本はすでに奴らの手に渡っている)

 

265年間の長い徳川期を経て、

ついにキリスト教徒の前に敗れた地域に

できあがった国家は、

キリスト教を道具として使う人々が

どのような価値観の持ち主であるのかを

はっきりと示している。

 

足尾銅山のような環境破壊

蟹工船野麦峠のような過酷な労働環境

崩壊する地域共同体

 

人を経済活動のための資源としか見ない

文明社会の運営者たち。

 

*********************

 

あなたの一生は、経済活動のために終わる。すべては、文明社会を築き上げた資本家たちのために。

 

 

 

頼みごとをするときは、猫もやさしくトントンする。


暑くて眩しい猫 2019年8月9日

 

この子はハナちゃん。オス。8月2日で5歳になりました。
 
猫に心はあるのかと問う人があります。
キリスト教では動物には魂がないことになっているから、心もないと思い込んでしまうのでしょうか。
 
子どもの頃から身近に多くの動物がいた私にとって、動物に心がないと想定することは、まるで現実を知らない人の言葉のように聞こえます。
 
たとえば、この動画に撮影した行動は、暑いけれどもクーラーの涼しさは気に入らないので、タイルの上に寝て体温を放出しつつ、眩しいので顔を手(前足)で覆っている様子です。そうした行動も心があればこそのものでしょう。
 
もっと、心を感じるのは、猫が頼みごとをするために、私たちを前足でとんとんと軽くたたく仕草をするときです。そんなとき、猫は力を加減して、相手が痛くないようにしています。強く叩けば相手が怒り、頼みごとを聞いてもらえなくなると知っているようです。
 
夜、一匹で寝ていることに気づいて、寂しくなったのか、危険を感じるからなのか、皆のいる他の近くに来たり、オス猫は母猫に対してはグルーミングを行わないのに、別のメス猫に対しては、母猫が自分にしてくれるようなやさしいグルーミングをしてやっていたりと、猫たちの心は、私たちの心と変わるところがないようです。
 
最近は、人間は言葉を持ってしまったばかりに、元々わかっていたこうした事実をどんどん忘れていって、その上、自分が動物だということまでうっかり忘れて、困り始めているんだなと思うようになりました。
 
家畜は、愚かだから食べてもいいのだというのではなく、心を持つから食べてはいけないというのでもなく、家畜や他の動物にも同じような心があることを知っているけれど、私たちは生きるために殺して食べるのだと認識することのほうが、生命の世界をより正確に理解することになるように私には思えます。

猫は猫語を知らない

うちの猫は何をいいたいのかさっぱりわからない。
寝ている私を起こして、鳴き続けるのだが、どうしたいのかヒントになる仕草をまったくしてくれない。
 
おなかがすいたから起こしたのかというとそうでもないようだ。
ふみふみをして安心したいのかと、ふみやすいように薄い布団や毛布を広げてやっても違うらしい。
ただ撫でて欲しいのかとも思うだが、撫でてやっても満足はしない。
 
 
猫を多頭飼いする前、猫同士は十分に意思疎通できるのだろうと思っていたが、多頭飼いしてわかったのは、猫同士でも、同じようなものだということである。子猫は親猫が呼んでもまったく無視して遊んでいるし、呼ばれている理由もわからない。
 
*
 
もちろん、人間以外の動物でも、遠くにいる仲間を呼ぶカラスやスズメの声だったり、縄張りを主張するサエズリの声だったり、怒っているかどうかや、甘えている声など、意思疎通は可能である。
 
 
けれど、考えてみれば当たり前だけれども、他の動物たちにしても、言葉がないために、相手に考えを伝えることができなかったり、相手の考えを読み取ることができなかったりすることは、しょっちゅうあるのだろう。
 
世の中には、動物と話ができるという人もいるが、そもそも言葉を持っていない動物と話すなどということは、できやしないのである。
 

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寝る子

子供たちを学校に入れて、伝統文化を否定する教育を与えよう

これは、日本でいえば明治維新の後で行われたことです。
アフリカ最後の裸族ヒデ族でいえば、1968-69年、カメルーン政府による「はだか狩り」が進む中で行われたことです。
多くの未開地域では、宣教師が入り込んで教会をたて、学校を作って教え始めたときに行われてきたことです。
時には、先住民の子供たちを親から強制的に引き離して行われました。カナダでもオーストラリアでも、同化政策という名前で、差別や虐待よりも大きい、伝統文化の否定という教育が押し付けられ、子どもと親は価値観を断絶させられました。
 
いや。本当に伝統社会はひどかったのだから、正しいことをしたのだという人もいるかもしれません。
 
そうした人には、ぜひ、そのような教育によって壊される前の社会についてと、今の世界の本当の姿について知って欲しいと思います。たとえば、地方自治という点でいえば、かつての自治体は共同体でしたが、今の自治体は単なる行政のコマにすぎず自主性を発揮する余地はほとんどありません。たとえば、環境保護についていえば、かつての社会には、環境を保護するにはときには人命が犠牲になってもしょうがないという価値観があったと思われます。そのために厳しい掟が定められ、破った者は命を落とすようなこともしばしばあったのです。たとえば、暮らしの生物性という点でも、かつてのほうがずっと生物らしい生き方が可能でした。身近な世界に生物たちの姿が多く、人のライフサイクルも生物としての成長や成熟、衰退に会ったものでした。
 
地球上のどの地域でも同じように学校教育を強制し、伝統文化を否定する教育を与えるという政策が繰り返されるのは、一貫した目的で、同じ人々が指導しているためであると思われます。これが行われるタイミングは、日本でいえば、『世界システム論講義にあるように日本が世界システムに組み込まれることになった明治維新後でした。他の場所でも、すでに世界システムに組み込まれている国の中で、未開部族を世界システムに組み込みタイミングでこれが行われています。
 
つまるところ、世界システムにとって動きやすい中央集権国家を作ったり、この国家の強制力によって資源開発を行ったり、工業化を推進したりするには、伝統社会を否定して破壊する必要や、生産性の低い動物的な生き方ではなく生産性が高い経済的な生き方をするように価値観を組み替えさせる必要があったことから、こうした教育が実施されてきたのでしょう。
 
今も、マスコミと学校教育はこの延長線上にあって、世界システム(国際金融資本)の活動を支援するために、せっせと活動していることが、いったん、この視点を持ったなら、いやというほど見えてくるのです。
 
 

空から降る水をカメにためて暮らしていた人々は、ボウフラのわいた水を飲んで伝染病にかかったり、寄生虫に寄生されたりしておった。南アフリカのカラハリには、雨の降らない乾季を、野生スイカの水に頼って暮らしていた人たちもおった。
川の水も井戸の水も安全とはいえなかった。
けれど水のためにカネはいらなかった。
 
私の生まれた家は、井戸の水を使っていた。山の斜面に立つ家は、浅い井戸を掘るだけで地下水の水脈にあたり、湧き水のような美しい水を年中安定して得ることができていた。くみ上げには電気ポンプを使っていたから苦労もなかった。
村には、そんな恵まれた家ばかりではなく、平地に住む家であれば、農薬の影響も受け始めていたのかもしれない。そんな背景もあってか、簡易水道を引くことになった。我が家も水に苦労はなかったが、万一のためや、近所づきあいの関係もあってか、水道を引いた。
毎月基本料金分だけ水道の水を使い、料理にはおいしい井戸水をつかっている。
 
今住んでいる場所は、遠く離れた隣県に水源があって、おいしい水道水が提供されている。上下水道合わせて月額6000円ほどかかっている。安全性の高い水を安定供給してくれているわけである。
 
 
水道法が改正されて、平成30年12月12日公布された。これについて、東洋経済が報じている。
水道事業を民間委託できる水道法改正案が、12月5日午前の参議院本会議で通った後、同日午後の衆議院厚生労働委員会で可決された。同法案は今年の通常国会衆議院ですでに可決されて継続審議となっていたため、反対弁論だけ行われた。これに野党は猛然と反発。
外国人労働者受け入れを拡大する出入国管理法改正といい、漁業権を骨抜きにする漁業法改正といい、なぜ会期が短い臨時国会にこんな重要法案を次々に出し、短い審議時間で成立させようとするのか」と怒りをぶちまけた。
通常国会での衆議院の採決から(同日午前の)参議院の採決まで、大きな状況の変化があった」
12月5日の衆議院厚生労働委員会で水道法改正案について反対討論に立った立憲民主党初鹿明博衆議院議員は、新潟県議会で10月12日に「水道民営化を推し進める水道法改正案に反対する意見書」が採択された事例を挙げた。
同意見書は、老朽した水道施設の更新や耐震化推進のために民営化を進めることによって、「水道法の目的である公共の福祉を脅かす事態となりかねない」と警鐘を鳴らしている。その他、同意見書は水道を民営化したフィリピン・マニラ市での料金高騰ボリビアコチャバンバ市での暴動の発生、フランス・パリ市では料金高騰に不透明な経営状態が発覚した事例まで挙げていた。
水道民営化のために任用された大臣補佐官
水道法改正の背景が怪しい――実は今年10月末に、そのような話を耳にした。11月9日に菅義偉官房長官の大臣補佐官を辞任した福田隆之氏をめぐる怪文書がきっかけだ。
福田氏は野村総合研究所で国が初めて実施した国家公務員宿舎建て替えのPFI(Private Finance Initiative、民間資金、運営で公共サービスの提供を行う)案件を担当した。2012年からは新日本有限責任監査法人のインフラPPP(Public Private Partnership、公民の連携で行う)支援室長としてコンセッション関連アドバイザリー業務を統括した。
そのような福田氏が内閣府大臣補佐官に就任したのは2016年1月で、PPP/PFIの活用を盛り込んだ「『日本再興戦略』改定2015」が閣議決定された5カ月後のことだった。
ちょうどその頃、産業競争力会議も「成長戦略進化のための今後の検討方針」を決定。「観光振興や人口減少等の地域的、社会的課題に対する公共施設等運営権方式を含めたPPP/PFI の活用方策を検討するとともに、 積極的な広報活動や地域の産官学金による連携強化等により、広く地方公共団体や民間等の関係者の理解促進や機運醸成を図る」とPPP/PFI導入の本格的取り組みを宣言した。
これを主導したひとりがパソナグループ代表取締役会長を務める竹中平蔵氏で、同氏が主導してPPP/ PFIの活用促進に向けた環境整備について検討した「産業競争力会議フォローアップ分科会」などには福田氏が参加していた。福田氏の補佐官登用も竹中氏の意向があったと言われている。
内閣府は2018年2月9日、「民間資金等の活用による公共施設等の整備等の促進に関する法律の一部を改正する法律案」(略称PFI法改正案)を国会に提出した。同法改正案は6月13日に成立し、8月1日から施行。水道法改正を待つばかりだったが、同改正法案は日切れ法案として継続審議に付された。
しかし臨時国会で水道法改正法案が成立することはほぼ確実で、そうなると水道事業の民営化に向けて本格的に始動するはずだったが、ここで思わぬ逆風が吹いた。外国でのひどい失敗例や、高いコストを負担して再公営化を進めなければならかったという事実が示されたのだ。
水メジャーの社員が内閣府の政策調査員に
そればかりではなく、不透明な問題も持ち上がった。そのひとつが上記の福田氏の突然の辞任であり、もうひとつがヴェオリア社の女性社員が内閣府の「民間資金等活用事業推進室」に政策調査員として2017年4月1日から2019年3月31日までの予定で出向していることだ。ヴェオリア社はフランスの多国籍水処理企業で、世界で上下水道の民営化を扱って成長してきた。この出向者の任期はまさに水道民営化のための審議の期間に重なっている。
これを明らかにしたのは11月29日の参議院厚生労働委員会社民党福島瑞穂参議院議員
「もっともこの法案で利益を得る可能性のあるヴェオリア社、水メジャーですよね。まさにその担当者がPPP推進室にいる。これって受験生が採点者になって、自分の答案をこっそり採点しているようなものではないですか」
また福島氏は12月4日の参議院厚生労働委員会で、PFI法改正案が審議された2018年6月12日参議院内閣委員会で当該女性職員が大臣の補佐をしていたことを暴露したが、内閣府は「単に資料を持参したりメモを取っていた」と女性職員と同法案との深い関与を否定した。
しかしこの女性職員は「GJジャーナル(下水道女子ジャーナル)2016年7号」で、「官民連携により自治体の下水道事業運営をサポートするべく、処理場、管路等の施設運転管理を中心とした提案、業務支援を担当しています」と自己紹介するなど、PFIの専門家を自任している。政府が専門家である職員を雑務だけのためにわざわざ登用するというのは、どう考えてもありえない。
ヨーロッパ視察も、報告書は提出されず辞任
また11月9日に内閣府大臣補佐官を辞任した福田氏は、パリなどの水道民営化について視察するために2016年、2017年、2018年と3度にわたって渡欧している。3度目は2018年10月で、辞任の直前だ。
福田氏の辞任理由は「業務に一定の区切りがついたため」とされているが、最後の仕事となった10月のヨーロッパ視察の報告書はいまだ公表されていず、中途半端な印象は否めない。
「一区切りというのなら、(PFI法改正法が成立した)6月ではなかったか」
福島氏が指摘する通り、この時期の福田氏の補佐官辞任はまったく矛盾に満ちたものとしか言いようもないが、その真相が究明されることは永遠にないだろう。
12月6日の衆議院本会議で改正水道法が成立。翌7日には外国人労働者の受け入れを拡大する出入国管理法や漁民法の改正法も成立するはずだ。そして臨時国会は延長されず、12月10日に当初の予定どおりに閉じられる。
 
この記事は、水道法だけでなく、漁業権や外国人受け入れにも言及して優れた記事である。一方、水道法をめぐる多くの議論は、水道管の老朽化や、過疎化、高齢化など、水道事業に民間業者を入れるために考えだされた理屈をめぐったこまごまとした部分に終始しがちで、この記事のように、大きな流れの中でとらえた議論は少ないのが実情であろう。
 
水道法に限らず、すべての動きは、人は生命であり、生命は利己的であるという事実と、言語という存在が、人に幻想を見させているという事実を踏まえて考える必要があるはずである。
 
現代社会は、言葉という武器を使って、自分にとってできるだけ有利な状況を作り出そうとする人々(国際金融資本)の利己的な意図に基づいて作られている。ただし、動物や植物、微生物なども互いに利己的な意図を持ちつつ多様性があり、相互に依存する生態系を作り上げているように、国際金融資本の存在も、私たちと対立するだけでなく、単に利己的であるだけではなく、安全な水を安定供給するためにも役立って、私たちが生きやすいようにするような働きをしている場合もあるだろう。
 
現代社会は、国際金融資本の利己的な意図によって作られ、国際金融資本の都合のよいようにできているのだが、これを前提としていない議論が多すぎることが、一番の問題であろう。以前の私も、国際金融資本が描いて見せる現代社会の姿を本物であると思い込み、実際にはまったく違う姿をしていることについてまったく意識することはなかった。けれど、東洋経済の記事が暴いているのは、国際金融資本がどう動いて、人々を操り、利益を得ているのかという実例である。太字にした部分の裏にはすべて国際金融資本による統制が働いている。しかも、国もまた、国際金融資本の意図通りに動くことしかできていないのである。
 
 
国際金融資本は、人類とは合理的な存在であり、さまざまな課題を議論や技術力によって解決していくことのできる存在であるという虚構を描いてみせる。キリスト教という肉体性を失った宗教の価値観を幹に据えて、世界全体をこの嘘の価値観に合わせて作り上げていく。その結果、人は、動物のように生きることのできない存在となり、肉体性を否定されて、理想に向かっていると思い込むしかないなかで、実際には経済活動のコマとなってしまっている。こうした全体像を理解していない議論が、国際金融資本を利することにしかならない政策を作らせ、人々を苦しませるだけの社会を作り上げていくのである。
 
学校教育で教えることは嘘ばかりであり、マスコミが流す情報も嘘ばかりであり、本に書かれていることも嘘ばかりである。なぜなら、それらはすべて国際金融資本の支配下にあるからである。人は動物として生きるしかなく、動物として生きることで幸せを得ることができる存在なのだが、そうした生き方をされていては利益を得られない国際金融資本は、動物のように生きる人を犯罪者とすることができる社会を仕立てあげてしまった。
 
根本解決に向かうには、現代社会が国際金融資本の意図に合わせて作り上げられているという事実を踏まえて、解決策を探っていくしかないのである。国際金融資本の存在を否定していては、国際金融資本の流す情報に影響されて、本質から外れた議論の繰り返しになってしまうのだから。

 

2019年7月17日 曇りのち晴れ汗のでる暑い午前中の新川土手 カワトンボの住処


2019年7月17日 晴れた午前中の新川土手 岸の小魚・川の中の気泡

昨日すっかり忘れていたので、午前中に撮影に行ってきました。ゴミだらけで、今日のような日は少し匂う川ですが、多くの生物が暮らしています。
 
・鉄橋の下のコイたちは今週も元気に群れています。繁殖期でもないと思うのですが、わざわざ集まり、ぶつかりあっていました。
・桑の木の下には、今日もカワトンボの仲間がいました。この木の下が住処になっているようです。
・大きな橋の下ではニゴイらしい魚が泳いでいました。
・さっきまで曇っていたところで晴れてきたせいか、カニがコンクリートの上に出ていました。平気なようです。
・川底から泡が連続して出ていたので、自然に湧き出ているのかと思って撮影していたら、コイが身をひるがえして泥が上がりました。以前も見かけましたが、コイが川底をつつくと気泡が上がるようです。
・岸辺を群れる小魚はこれまでもみかけていましたが、5cmほどの大きさの小魚たちの大きな群れでした。今日見かけたのは、もっと小さい魚で数も5、6匹でした。コイの稚魚でしょうか。
 
・ピンク色の四弁の花を咲かせた雑草は、ユウゲショウのようです。これも帰化植物で、原産地は南米から北米南部、日本に入ったのは明治時代とのことです。
・先週みかけたキイチゴの場所に行ってみました。もうすっかり食べつくされていました。
・今日はコガネムシの仲間はみかけませんでした。
 
撮影を始めたことで、外来生物の多さを改めて知ることになりました。
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