毎日出てゐる青い空

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「アルゴリズムの暴力」by ユーチューバー、パーカー君


家に帰ったらすき焼きがあるドッキリ

 

大学生男子ユーチューバーのパーカー氏は、整ったおとなしそうな顔に似合わない皮肉の聞いた発言も含め、女性からの人気を集めているようだ。そんな彼がどの動画であったか、ユーチューブでお勧めに表示される動画が偏りすぎている点を「アルゴリズムの暴力」と表現していて、なんと的確な言い回しなのだろうとうならされた。

 

グーグルが検索エンジンとして台頭し始めた直後に、グーグル八部という表現が生まれたように、ネット上の情報は実に暴力的なアルゴリズムによって取捨選択されて私たちに提示されている。

 

Amazonで古い本を検索すれば、目的の本に行きつく前に、こちらを買えとばかりに、より新しいかもしれないが、当方の欲しているものではない本がずらずらと提示された後にやっと目的の本が出てくる。ひどい場合は、目的の商品が登録されていても、検索結果に表示されないことさえある。

 

はてなでも、毎度毎度同じ著者の記事ばかりが一覧に表示されてくる。その中には、「ああこの人は、会社に勤めているような記事を投稿しているけれど、本当はプロの物書きで、エージェントのような立場の人なのかもしれないな」と思えて一切読みたくない人も含まれているのだが、性懲りもなくリストに上がってくる。

 

グーグルのアルゴリズムもグーグル八部と揶揄されたときからさらに改悪されて、公的なサイトが上位に来るように変えられているらしい。それは改善ではないかという人もあるかもしれないが、現在のように画一的な情報にさらされて、強制的に生活を変えられていく状況を見れば、いかに重大な改悪であったかが明らかであろう。そんな動きに抵抗するために真実を知りたくても、真実を記したページまでたどりつくことはできず、真実ではないであろう状況を現実として見せつけるための情報だけが延々と提示されてくるというわけである。

 

 

 

現代を生きるうえで知っておきたい、たった1つのこと

時間に余裕のない現代人のために最初に結論を記します。

 

たった一つのこと、それは、文明社会を作り上げているのは、富の収奪を目指したわずかな人びとの悪知恵だということです。

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マスコミは、ことあるごとに一致団結して報道の方向性をそろえ、まっとうな反論があってもそれを無視して、おそらくは誤っているであろう情報を流し続けています。

 

小泉純一郎を持ち上げてみたかと思うと小沢一郎鈴木宗男を叩く。

同じ映像を繰り返し使って、世論を作り上げていく。

 

そんな形になるようにマスコミを作り上げたのは、マスコミの利用価値を認めた人々です。

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学校教育にしても同様です。未開社会の話を読むと、いかに学校教育が早期導入されて、伝統社会を否定し、文明社会の価値観を植え付けようとしているかがわかります。日本でも、明治になってから、そして戦後になってから、この学校教育の力が利用されました。

 

否定される伝統社会のほうは、生命という本来的に不合理で、争いや限界の避けられない存在を前提として、何とかそうしたせめぎ合いと向き合う中で作り上げられた価値観に基づいていました。教え込まれる価値観のほうは、そんな現実を捻じ曲げて、誰もが報われ、協力できる理想的な社会を実現できるのだという前提に立った、非現実的な価値観です。そうした価値観を与えておけば、悪賢い人々は、伝統社会を破壊して権力や資産を奪いとることができるだけでなく、大衆を操作することも簡単になるのです。

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なぜ国連には常任理事国などというものがあり、戦争の責任をとるべき国々が名を連ねているのでしょう。

 

なぜ明治以来ずっと、西洋諸国は日本に不平等な条約を押し付けてくるのでしょう。

 

ハワイが併合されたのは移民を受け入れたからでしょう。なぜそんなことが起きるのでしょうか。

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社会の進歩、自己実現、新しい時代などという言葉に騙されてはいけません。そうした言葉を使って狙われているのは、労働者としての価値を高め、消費者としての購買力を高めて、文明の命ずるままに生きる人々を作り上げることなのですから。そうしてできあがった人々は、より多くの富を、悪知恵に長けたほんの一握りの人々にもたらしてくれるのです。

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局所的な見方をしてはいけません。

風に舞って遊ぶ烏たちの楽しみを文明人は奪われてしまっています。

動物と人の中に同じ心を見て、動物と同じように生きることが当たり前であるとそのまま感じることのできた先祖たちの心を文明人は持てなくなってしまっています。

身近にたくさんの生命が溢れ、たくさんの死を目にしながら生きていたときの、死との近さを私たちは失っています。

 

そういう方向へと動かすことが、悪賢い人たちに利益をもたらすからです。

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魏志倭人伝は草書体で書かれていた/学力アップは草書体の習得から/和本リテラシー

本日もお付き合いいただきありがとうございます。

 

早速本題に入ります。

 

魏志倭人伝は草書体で書かれていたと主張されている方がいます。


邪馬台国は女王麻氐良国の都だった

 

時期的なことのほかに、短期間で書き終えるには、草書体を使う必要があるということが根拠として上げてあります。

 

私たちは、楷書のほうが読みやすく、学校でも楷書ばかりを教わりますが、寺子屋では草書から教えたと知り驚いたことが以前にありました。そのときは理由がわからなかったのですし、上の動画を見ているときにも思い付きはしなかったのですが、昨日になって、急に草書を使うことの重要性について思い至ったのです。

 

本を手に入れるには、本の持ち主のところに通うなり借りるなりして書き写すことが当たり前だった当時においては、すらすらと書くことのできる、草書を覚えて作業効率を上げることが重要だったことでしょう。また、人は紙に書くことで記憶したりもしますが、その場合も、短時間にたくさん書くことのできる草書は有利に働くことでしょう。草書であれば、しっかりした平らな紙の上でなく、手に持った短冊や、巻物の上に書いていくことも容易だったとも思われます。

 

私は草書体で書かれた文字を判読できません。その意味では、文盲です。そのせいで、古文書を読むことが出来ません。

 


和本リテラシーの回復を願って

 

草書体で読み書きできなくて勉強が進まず、多くの資料が残されているのに当時の様子を知ることもできなくて、ただ言われたことをうのみにするしかない。そんな状態から抜け出したいものだと思います。

 

 

京都上賀茂神社にて歴史を夢想する

こんにちは、本日もお付き合いいただきありがとうございます。

 

先日、京都に行ってきました。

日本の古い歴史とつながる上賀茂神社を訪れ、左右非対称になった檜皮葺の屋根をみたり、境内を流れる美しい川の水に触れたりしながら、京都という場所の地理的な位置を実際に感じることができました。

 

 

日本人の成り立ちを考えると、Y遺伝子のハプログループから見た男性集団は主に3つに分かれるようです。(日本人のY染色体Hg-1 を独自に解釈)。

1つはアイヌチベット琉球に共通する縄文時代の血を引くD1b系統3割程度。

1つは弥生の血を引き、韓国とも共通するO2b系統3割程度。おそらくは日本語の大部分を形作った祖語の話者。

1つは大和政権成立前後に中国や朝鮮半島からやってきた渡来人たちでO3系統2割弱。

関西アクセントの元になった人々。うりざね顔の貴族たちは、この系統であろうと思われる。騎馬民族

 

京都という土地は、北に行くと縄文の主力を作った落葉広葉樹の森に繋がる山が広がり、南にいくと、弥生人たちをはぐくんだ常緑広葉樹の低地が広がります。

西に進めば、大和政権の巨大なライバルとなった出雲の国との境がすぐそこにあり、南に行けば大和政権の中心地へと続いています。

京都が重要であったのは、こうした3度にわたる渡来の波が重なりあう場所であったからではないでしょうか。

 

昨年訪れた八ヶ岳南麓の小淵沢や諏訪の辺りでは、縄文人の息吹を感じましたが、京都の北の地では稲作農耕民だけのものではない、日本という国の成り立ちを感じて帰ってきました。

 

日本は関西アクセントの元を作った人々を中枢に置き(騎馬民族・神社)、稲作による穀物を富としながら、まつろわぬ縄文系の人々を征服して、国づくりを進めることになっていきます。

地盤沈下なんてさせられてたまるか

本日もお付き合いくださりありがとうございます。

 

日本に居れば当たり前でも、世界全体を見れば当たり前ではないことはたくさんあります。治安のよさだとか、電車の運行の正確さだとか。

 

そんな、当たり前ではないことの一つが、高等教育までを母国語で賄えるという環境です。日本語は一億人を超える話者を持つ大きな言語であり、日本語の教科書や専門書の出版を可能とする知識の集積や、他の言語からの知識の移入が行われていう恵まれた環境にあります。教科書を作ったり、専門書を翻訳して出版したりという活動ができるのは、日本語の話者が多くいて、さまざまな専門的な概念を扱うことができるだけの翻訳や造語が行われてきたからなのです。

 

もう一つの当たり前でないことは、古くからの本が今も多数残されているという事実です。

 

日本は、和紙と墨という保存性の高い材質を使い、文字の使用が盛んな文化を持ち、焚書があまり行われてこなかったという、実にすばらしい状況の中で、千年前にもさかのぼるような古文書が多数残されているという、恵まれた国になりました。

 

江戸時代の紛争解決方法であったり、物価であったり、書簡であったりといった資料が、さまざまな場所に眠っていて、今も見いだされ、あるいは流通に乗り、あるいは価値もわからないままに廃棄されていっています。

 

先日知ったのは、江戸時代に広島県で、一カ月にわたって夜ごと物の怪と戦った少年の話です(稲生物怪録)。

 

こうした過去の資産と触れているうちに、今語られていることと、本当にあったこととの間には、大きな違いがあったのではないかという事実が見えてきます。

 

たとえば、江戸時代に関所が作られた最大の理由は、入鉄砲出女に警戒することではなく、キリスト教徒の移動を防ぐためであったのではないかということや、百姓一揆の背景としては、圧政というよりも天候不順による不作というどうにもならない事情があったのではないかということです。そしてまた、日本ほど庶民の文化が発展した国もなく、しかも日本人はもともとひょうきんさを持ち合わせていたらしいということも感じられてきます。

 

 

バブル崩壊以降の日本は、世界システムの中で、それまでの先進国という扱いから、周辺的な扱いへと変えられて、日本人の経営者たちを退陣させて欧米系の経営者たちがその座を奪い、日本人には底辺に近い仕事しか与えないぞという意図のもとで、マスコミ報道が日本人の地位の低下を推し進めています。

 

こんな時代だからこそ、日本語と古文書という資産を見直して、私たちの地位を低下させることを意図する世界システムの運営者たちを相手に、私たちこそが、本来的な生き方を知っている存在なのだということを主張して、反撃に転じたいものです。

 

 

 

 

 

 

 

あれこれ(マジック・話芸・外食)

今はテレビを見なくなりましたが、子供の頃楽しみだった番組の一つにマジシャンが登場してくるようなバラエティ番組がありました。

 

種を見破ろうとして見破ることができなく、どう考えても無理なような驚きを与えてくれるのがマジックなのだと、子供ながらも理解していました。けれど、大きくなって、一番楽しみになったマジシャンはマギー史郎さんでした。登場時間のほとんどは、ずるをしたことがわかるような方法で初心者向けのマジックをみせ、最後に種のわからないマジシャンらしい少しだけ高度なマジックを見せて終わるというパターンでした。

 

マギー史郎さんの面白さは、同じネタを繰り返し演じても、ついつい笑ってしまうような見せ方や話芸の巧みさにあったと思います。東北弁に近いボクトツな口調で、種明かしをしながらマジックを見せられて、穏やかで楽しい時間を与えてくれました。

 

同じような芸風は、ナポレオンズや、漫才の春日三球・照代さんにも感じました。

 

マジックの技そのもので勝負をしようとすれば、常に新しい技術を身に着けていく必要があり、次第に高度化していく必要があるでしょう。けれど、毎回同じネタを演じていながら、楽しい空間を作り上げる技術があれば、無理に技術を磨く必要なしに、飽きられることなく、人気を維持できます。

 

同じようなことは、Youtube動画の作成にも言えるように思えます。新しいネタを考えてどんどん高度化していく方向では生き残りは難しく、楽しい会話や、安らかな時間を、いつも同じように提供していく方向のほうが、長続きして、飽きられることも少ないのではないでしょうか。

 

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外食店について思うところが2点あります。

 

1点目は、長続きする店は、行列のできる店だったり、口コミサイトで極めて高い評価を受けている店というよりも、無難な味を提供してくれる、気軽に行ける店なのではないかという点です。テレビや雑誌などを見ていると、すごく美味しい店こそが目指すべきところのように思えてきます。けれど、私たちがよくいく店を考えてみると、飛び切り美味しいというよりも、まずまずの味の料理を食べることができる確率の高い店になっています。行列ができていて待たされた経験もなく、おおよそテーブル席に座ることができる程度の繁盛ぶりです。店を出すなら、これぞという料理を出す店よりも、そういう平均点より少し上の気軽な店を目指したほうがよいのかもしれません。

 

もう1点は、大衆から人気の高い優良店を買収して、つまらない店にしてしまうグローバル資本についてです。具体例をあげると洋菓子店の不二家ココイチがあります。

 

創業者の理念が生きて、幸せを人々に提供できていた優良企業は、大資本の傘下に入ることによってつまらない利益追求ばかりする会社へと変貌して、衰退していきます。どうしてそんなことをするのか、なぜ、元々の良さを維持できないのかと、私は思っていました。けれど、ついにその謎が解けました。

 

グローバル資本にとって、以前の不二家ココイチのような企業は、営利追求活動に支障をきたすような存在です。人々を幸せにするような優良企業が存在されていては、そのような企業に合わせていかなくてはならなくなります。それは、利益率の低下につながります。またそうした優良企業を潰しておかないと、大衆に提供する製品のレベルが上がってしまい、ヒエラルキーに狂いが生じてしまいます。彼らが優良企業を手に入れる意図というのは、優良企業そのものが欲しいのではなく、邪魔な存在を消したいという理由のほうに重みがあるのではないでしょうか。

 

 

オスから餌をもらうハトのメス 2020年8月6日

本日も訪問いただきありがとうございます。

今日の小さな経験について書きたいと思います。

午後2時頃、駅前に行ったときに、2羽のハトがいました。

大きいハトと小さいハトで、小さいハトのほうが大きいハトにねだって、雛のように餌を口移しでもらっていました。

私は、以前見た光景を思い出しました。

巣立ち直後のスズメの子が、自分でエサを拾うこともできそうなものなのに、親鳥から餌を口移しでもらっていたのです。たぶん、まだ餌の探し方がわからない幼鳥期には、そうやって親鳥の世話を受けるのでしょう。

この経験があったので、今日見た光景も、巣立ったばかりのハトの幼鳥が親鳥から餌をもらっているのだろうかと思いましたが、どうやら、大きいほうは立派な体格をしたオスのように見えたので、オスとメスなのかもしれないと思えました。

小さいほうは、エサを食べたいというわけではなく、そうやってエサを受け取ること自体に意味を見出しているようにも見えました。

そこで、ようやくスマホを取り出して撮影を開始したのでした。

ハトたちはもう、エサのやりとりを終えて、お互いのくちばしなのかエサなのか判然としませんが、何かを咥える形でくちばしの先を合わせて、頭を上げ下げしていました。

そして、それが終わると交尾の体制に入り、やはり親子ではなく、オスとメスであることが判明したのでした。

子を養育するという生態を持つようになったことで、感情に進化があったことを思わせる光景でした。

 
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