毎日出てゐる青い空

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4500年間文明化を避けてきた人々:ピグミー

1966年に出版された『現代世界ノンフィクション全集 9』(筑摩書房)という本を手に入れました。

「森の猟人ピグミー」、「極北の放浪者」、「カラハリの失われた世界」という3点のノンフィクションが収録されています。

まだ、「森の猟人ピグミー」を読み出したところですが、『ピダハン』に似たアプローチがとられており、優れた記録になっています。

 

本書によると、ピグミーの最古の記録は紀元前約2500年にエジプトから派遣された探検隊による記録だということです。しかも、エジプト人とピグミー族とはかなり親しくなったと記されています。

 

もちろん、エジプトは最古の文明の一つです。その当時に記録に残ったピグミーが今に至るまで森で狩猟の暮らしを送ってきています。つまり、人間は文明と触れたならば必ず文明化する存在ではないのです。この事実は、文明化しないことも選択肢の一つであることをはっきりと示していると私には思えます。

 

本書の中で、ピグミーの老人が著者であり白人であるコリン・ターンブルに語ります。

 「森はな、わしらにとって父親でも母親でもあるんだ」と彼はいった。「父親や母親と同じように、わしらのいるものは―食い物でも着る物でも家でも薪でも―なんでもくださるんだ。そしてかわいがってもくださるんだ。森は親御さんじゃから、普通ならなんでもうまくゆくんだ。だからな、うまくゆかん時は、きっとなにか理由があるに違えねえんだ。」

 そして、森の精霊を神として、別々の名で呼びながら、結局は同じ神(精霊)であることも知っています。ターンブルは記します。

森の善意に対する彼らの全ったき信仰をもっとも強く表明するのは、たぶん誰かが死んだ時に歌うモリモの歌であろう。彼らの歌はいかなる場合も具体的な願いをこめた歌ではない。すなわち、あれをしてくれ、これをやってくれ、といった要求の歌ではないのである。彼らとしては森に目ざめてもらえばよいのである。それだけで後は万事うまくゆくのである。 

 このように、あらゆるものを恵んでくれる森を親御さんとして信頼し、森さえしっかりしていれば万事うまくゆくのだという世界観を持っていれば、文明化される必要などないのでしょう。むしろ、森を切り開く文明化は、万事をうまくいかなくさせる元凶になってしまいます。

 

今回この本を読んで、私は精霊の大切さを改めて理解できたように思います。また、森に暮らす人々にとっての森の意味を知って、森を切り開くことがどれほど破局的な結末を招く行為なのかも認識できました。

森と精霊の中で生きるとき人は万事うまくいくのです。

 

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