多様化することに意味がある
『逝きし世の面影』を読み直している。
当時の日本に存在していた文明の素晴らしさに何度でも、嘆息する。
最近、読み続けている、さまざまな民族の話とも重なって、
まるで人間にとって、「正解」はひとつしかないかのように
世界を征服しようとしている一神教と合理性・科学技術の盲信に、
やはり、今の状態は間違いだとつくづく思う。
小さな同じ村に混住するモニ族とダニ族。
熱帯の海でクジラをとって生活する人々と、同じ島の山に暮らす農耕民の共存。
千年前から農牧民に追われながら、居場所を得て狩猟採集生活を続けたブッシュマン。
シドニー湾をはさめば言葉も通じないほど違いのあったアボリジニ。
海上生活を主体とし、ナマコを売って生計を立てていたモーケン。
各地に存在していた、
掟を作って自然を守り、人口調整を独自に実施し、
過酷な自然を味方に付けながら
成り立っていた多様な世界。
このかけがえのない世界を破壊する人々が
不思議なことに
人道主義や平和を唱え、
持続可能な生活や多様な価値観を
もっともらしく主張している。
いかに、非人道的にみえても
長い時間を耐えてきた民族の世界は、
奴隷狩りと身分差別の厳密な国に生きる
人々よりもずっと本質的に
人道的なであり、
多様性は知恵の表れなのである。