毎日出てゐる青い空

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魏志倭人伝は草書体で書かれていた/学力アップは草書体の習得から/和本リテラシー

本日もお付き合いいただきありがとうございます。

 

早速本題に入ります。

 

魏志倭人伝は草書体で書かれていたと主張されている方がいます。


邪馬台国は女王麻氐良国の都だった

 

時期的なことのほかに、短期間で書き終えるには、草書体を使う必要があるということが根拠として上げてあります。

 

私たちは、楷書のほうが読みやすく、学校でも楷書ばかりを教わりますが、寺子屋では草書から教えたと知り驚いたことが以前にありました。そのときは理由がわからなかったのですし、上の動画を見ているときにも思い付きはしなかったのですが、昨日になって、急に草書を使うことの重要性について思い至ったのです。

 

本を手に入れるには、本の持ち主のところに通うなり借りるなりして書き写すことが当たり前だった当時においては、すらすらと書くことのできる、草書を覚えて作業効率を上げることが重要だったことでしょう。また、人は紙に書くことで記憶したりもしますが、その場合も、短時間にたくさん書くことのできる草書は有利に働くことでしょう。草書であれば、しっかりした平らな紙の上でなく、手に持った短冊や、巻物の上に書いていくことも容易だったとも思われます。

 

私は草書体で書かれた文字を判読できません。その意味では、文盲です。そのせいで、古文書を読むことが出来ません。

 


和本リテラシーの回復を願って

 

草書体で読み書きできなくて勉強が進まず、多くの資料が残されているのに当時の様子を知ることもできなくて、ただ言われたことをうのみにするしかない。そんな状態から抜け出したいものだと思います。

 

 

京都上賀茂神社にて歴史を夢想する

こんにちは、本日もお付き合いいただきありがとうございます。

 

先日、京都に行ってきました。

日本の古い歴史とつながる上賀茂神社を訪れ、左右非対称になった檜皮葺の屋根をみたり、境内を流れる美しい川の水に触れたりしながら、京都という場所の地理的な位置を実際に感じることができました。

 

 

日本人の成り立ちを考えると、Y遺伝子のハプログループから見た男性集団は主に3つに分かれるようです。(日本人のY染色体Hg-1 を独自に解釈)。

1つはアイヌチベット琉球に共通する縄文時代の血を引くD1b系統3割程度。

1つは弥生の血を引き、韓国とも共通するO2b系統3割程度。おそらくは日本語の大部分を形作った祖語の話者。

1つは大和政権成立前後に中国や朝鮮半島からやってきた渡来人たちでO3系統2割弱。

関西アクセントの元になった人々。うりざね顔の貴族たちは、この系統であろうと思われる。騎馬民族

 

京都という土地は、北に行くと縄文の主力を作った落葉広葉樹の森に繋がる山が広がり、南にいくと、弥生人たちをはぐくんだ常緑広葉樹の低地が広がります。

西に進めば、大和政権の巨大なライバルとなった出雲の国との境がすぐそこにあり、南に行けば大和政権の中心地へと続いています。

京都が重要であったのは、こうした3度にわたる渡来の波が重なりあう場所であったからではないでしょうか。

 

昨年訪れた八ヶ岳南麓の小淵沢や諏訪の辺りでは、縄文人の息吹を感じましたが、京都の北の地では稲作農耕民だけのものではない、日本という国の成り立ちを感じて帰ってきました。

 

日本は関西アクセントの元を作った人々を中枢に置き(騎馬民族・神社)、稲作による穀物を富としながら、まつろわぬ縄文系の人々を征服して、国づくりを進めることになっていきます。

地盤沈下なんてさせられてたまるか

本日もお付き合いくださりありがとうございます。

 

日本に居れば当たり前でも、世界全体を見れば当たり前ではないことはたくさんあります。治安のよさだとか、電車の運行の正確さだとか。

 

そんな、当たり前ではないことの一つが、高等教育までを母国語で賄えるという環境です。日本語は一億人を超える話者を持つ大きな言語であり、日本語の教科書や専門書の出版を可能とする知識の集積や、他の言語からの知識の移入が行われていう恵まれた環境にあります。教科書を作ったり、専門書を翻訳して出版したりという活動ができるのは、日本語の話者が多くいて、さまざまな専門的な概念を扱うことができるだけの翻訳や造語が行われてきたからなのです。

 

もう一つの当たり前でないことは、古くからの本が今も多数残されているという事実です。

 

日本は、和紙と墨という保存性の高い材質を使い、文字の使用が盛んな文化を持ち、焚書があまり行われてこなかったという、実にすばらしい状況の中で、千年前にもさかのぼるような古文書が多数残されているという、恵まれた国になりました。

 

江戸時代の紛争解決方法であったり、物価であったり、書簡であったりといった資料が、さまざまな場所に眠っていて、今も見いだされ、あるいは流通に乗り、あるいは価値もわからないままに廃棄されていっています。

 

先日知ったのは、江戸時代に広島県で、一カ月にわたって夜ごと物の怪と戦った少年の話です(稲生物怪録)。

 

こうした過去の資産と触れているうちに、今語られていることと、本当にあったこととの間には、大きな違いがあったのではないかという事実が見えてきます。

 

たとえば、江戸時代に関所が作られた最大の理由は、入鉄砲出女に警戒することではなく、キリスト教徒の移動を防ぐためであったのではないかということや、百姓一揆の背景としては、圧政というよりも天候不順による不作というどうにもならない事情があったのではないかということです。そしてまた、日本ほど庶民の文化が発展した国もなく、しかも日本人はもともとひょうきんさを持ち合わせていたらしいということも感じられてきます。

 

 

バブル崩壊以降の日本は、世界システムの中で、それまでの先進国という扱いから、周辺的な扱いへと変えられて、日本人の経営者たちを退陣させて欧米系の経営者たちがその座を奪い、日本人には底辺に近い仕事しか与えないぞという意図のもとで、マスコミ報道が日本人の地位の低下を推し進めています。

 

こんな時代だからこそ、日本語と古文書という資産を見直して、私たちの地位を低下させることを意図する世界システムの運営者たちを相手に、私たちこそが、本来的な生き方を知っている存在なのだということを主張して、反撃に転じたいものです。

 

 

 

 

 

 

 

あれこれ(マジック・話芸・外食)

今はテレビを見なくなりましたが、子供の頃楽しみだった番組の一つにマジシャンが登場してくるようなバラエティ番組がありました。

 

種を見破ろうとして見破ることができなく、どう考えても無理なような驚きを与えてくれるのがマジックなのだと、子供ながらも理解していました。けれど、大きくなって、一番楽しみになったマジシャンはマギー史郎さんでした。登場時間のほとんどは、ずるをしたことがわかるような方法で初心者向けのマジックをみせ、最後に種のわからないマジシャンらしい少しだけ高度なマジックを見せて終わるというパターンでした。

 

マギー史郎さんの面白さは、同じネタを繰り返し演じても、ついつい笑ってしまうような見せ方や話芸の巧みさにあったと思います。東北弁に近いボクトツな口調で、種明かしをしながらマジックを見せられて、穏やかで楽しい時間を与えてくれました。

 

同じような芸風は、ナポレオンズや、漫才の春日三球・照代さんにも感じました。

 

マジックの技そのもので勝負をしようとすれば、常に新しい技術を身に着けていく必要があり、次第に高度化していく必要があるでしょう。けれど、毎回同じネタを演じていながら、楽しい空間を作り上げる技術があれば、無理に技術を磨く必要なしに、飽きられることなく、人気を維持できます。

 

同じようなことは、Youtube動画の作成にも言えるように思えます。新しいネタを考えてどんどん高度化していく方向では生き残りは難しく、楽しい会話や、安らかな時間を、いつも同じように提供していく方向のほうが、長続きして、飽きられることも少ないのではないでしょうか。

 

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外食店について思うところが2点あります。

 

1点目は、長続きする店は、行列のできる店だったり、口コミサイトで極めて高い評価を受けている店というよりも、無難な味を提供してくれる、気軽に行ける店なのではないかという点です。テレビや雑誌などを見ていると、すごく美味しい店こそが目指すべきところのように思えてきます。けれど、私たちがよくいく店を考えてみると、飛び切り美味しいというよりも、まずまずの味の料理を食べることができる確率の高い店になっています。行列ができていて待たされた経験もなく、おおよそテーブル席に座ることができる程度の繁盛ぶりです。店を出すなら、これぞという料理を出す店よりも、そういう平均点より少し上の気軽な店を目指したほうがよいのかもしれません。

 

もう1点は、大衆から人気の高い優良店を買収して、つまらない店にしてしまうグローバル資本についてです。具体例をあげると洋菓子店の不二家ココイチがあります。

 

創業者の理念が生きて、幸せを人々に提供できていた優良企業は、大資本の傘下に入ることによってつまらない利益追求ばかりする会社へと変貌して、衰退していきます。どうしてそんなことをするのか、なぜ、元々の良さを維持できないのかと、私は思っていました。けれど、ついにその謎が解けました。

 

グローバル資本にとって、以前の不二家ココイチのような企業は、営利追求活動に支障をきたすような存在です。人々を幸せにするような優良企業が存在されていては、そのような企業に合わせていかなくてはならなくなります。それは、利益率の低下につながります。またそうした優良企業を潰しておかないと、大衆に提供する製品のレベルが上がってしまい、ヒエラルキーに狂いが生じてしまいます。彼らが優良企業を手に入れる意図というのは、優良企業そのものが欲しいのではなく、邪魔な存在を消したいという理由のほうに重みがあるのではないでしょうか。

 

 

オスから餌をもらうハトのメス 2020年8月6日

本日も訪問いただきありがとうございます。

今日の小さな経験について書きたいと思います。

午後2時頃、駅前に行ったときに、2羽のハトがいました。

大きいハトと小さいハトで、小さいハトのほうが大きいハトにねだって、雛のように餌を口移しでもらっていました。

私は、以前見た光景を思い出しました。

巣立ち直後のスズメの子が、自分でエサを拾うこともできそうなものなのに、親鳥から餌を口移しでもらっていたのです。たぶん、まだ餌の探し方がわからない幼鳥期には、そうやって親鳥の世話を受けるのでしょう。

この経験があったので、今日見た光景も、巣立ったばかりのハトの幼鳥が親鳥から餌をもらっているのだろうかと思いましたが、どうやら、大きいほうは立派な体格をしたオスのように見えたので、オスとメスなのかもしれないと思えました。

小さいほうは、エサを食べたいというわけではなく、そうやってエサを受け取ること自体に意味を見出しているようにも見えました。

そこで、ようやくスマホを取り出して撮影を開始したのでした。

ハトたちはもう、エサのやりとりを終えて、お互いのくちばしなのかエサなのか判然としませんが、何かを咥える形でくちばしの先を合わせて、頭を上げ下げしていました。

そして、それが終わると交尾の体制に入り、やはり親子ではなく、オスとメスであることが判明したのでした。

子を養育するという生態を持つようになったことで、感情に進化があったことを思わせる光景でした。

 

猫たちから教わった生命のあり方

こんばんは、こんにちは、今日もよろしくお付き合い願います。

 

我が家には飼い猫が4匹います。

メス・オス2匹づつ。

 

自然主義の我が家では、室内飼いにしておらず、オス猫たちも未去勢です。ただ、メス猫たちは、避妊手術をしてあります。それは、メスの発情期の激しさや、頻度を知ってしまったためです。

 

メスの1匹は、小さいときに大けがをしたせいもあってか、体重が3キロほどしかありません。毛も柔らかく、普段の鳴き声もか細い感じで、大人になった今でも子猫のような印象を与えます。

 

けれど、初めて発情を迎えたときの激しさといったら、想像もしていないほどでした。今まで聞いたことのない太い大きな声を上げて、しつこく鳴き続けました。そんな状態が数日間続いたのでした。

 

メスのもう1匹のほうが年上なのですが、この猫のときは発情期の激しさを知ることはありませんでした。それは、最初の発情の期間に外にいって妊娠してかえってきたので、発情期が短期間で終わったためです。

 

メス猫を避妊しないとどうなるか。猫はとにかくできるかぎり沢山の子を産もうとします。人間よりも幼少期の成長曲線が急な猫は、あっという間に大人になり、発情して妊娠し、60日後には子猫を生みます。この子猫が乳離れするかどうかの頃には、もう次の発情期がやってきます。そうしてどんどん子供を産むことで、ようやく種を維持できるようになっているのが猫なのでしょう。

 

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未去勢のオス猫たちは、男らしさの塊です。兄弟でありながら相手をライバル視し、メス猫を独占しようと努め、隙あらば交尾をしようとします。家の中にチャンスがないとみれば、頻繁に長期的に外出して精魂果てる間際までチャンスを捜し歩いているようです。帰ってくると犬のようにガツガツと餌を食べ、泥のように眠り、起きればまたすぐに家を抜き出していきます。

 

今は、1匹は外にいることが多く、もう1匹はケガでしっぽが上がらなくなったので、ほとんどなくなりましたが、以前はなわばりを主張するスプレー行動が頻繁で弱っていました。

 

性欲の激しさ、乱暴になりがちな行動が、子孫を残すことを宿命とする性の世界で男に与えられた特質であることを、オス猫たちが教えてくれます。

 

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猫たちの暮らしは、狩猟採集者たちの暮らしと似ています。

そこには、仕事という概念はなく、暮らしと遊びとが一体化しています。

女は、初潮を迎えてから死ぬまで、子を産んで育てることが日常になります。

はなわばりを守り、女を巡って争い、メリハリの強い生活を送ります。

 

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文明社会では、こうした生命の性質がわき役に追いやられています。

こうした欲求はできるだけ抑え、仕事に打ち込み、政治的に正しいといわれる価値観に従って、男とも女ともわからないような生き方で自己実現とやらをしていく。

 

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私が猫たちから教わったのは、文明社会における生命はうそで塗り固められたものでしかなく、去勢も避妊もされていない猫たちのような生き方が、生命の本来のありかたなのだということでした。

 

 

 

ヤポネシアとも、唐天竺の影響とも違う文脈を持つ日本の歴史

こんにちは、本日もおつきあいいただきありがとうございます。

 

私が、戦前の絵葉書を扱ったり、日本語や日本文化の成立という視点から日本の歴史を探ったりする中で、感じたことがあったので、簡単ですが、記してみたいと思います。

 

西洋文明の影響力が高まる以前、日本にとって外国といえば、唐天竺という言葉に象徴されるように、アジア、とくにそのアジアの大国である中国とインドでした。

 

日本の歴史も多くは、その文脈で語られてきました。

 

一方、ヤポネシアという言葉を使って、もっとモンスーンの影響を受ける、海洋国家としての日本を強調してはどうかという提案も行われました。インドネシアポリネシアメラネシアという太平洋の島々との共通性を意識した造語です。

 

また、生活文化の点から、中国の中でも四川省あたりの焼畑少数民族とのつながりに着目する人もあります。コンニャク、納豆、餅といった食品や、虫送りのしきたりなどです。

 

私もこれまで、こうした文脈の中で日本の歴史を考えてきましたが、最近、これらとは別の枠組みがあることに気付きました。それは、言葉に共通の特徴を持つアルタイ諸語の分布する地域の広がりです。

 

共通の祖語を想定できないことから、アルタイ語族という呼び方はできないという結論が概ね出たようですが、アルタイ語の特徴を持つ言語自体は存在しています。トルコから、中央アジアトルキスタンウイグル、モンゴル、大陸東端の東シベリア、満州朝鮮半島、日本まで広がっています。

 

アルタイ語の特徴とは以下の四つです・

母音調和を行う
膠着語である
・原則としてSOV型(主語 - 目的語 - 述語)の語順をとる[7]
・語頭にR音が立つことを嫌い、固有語にR音で始まる語をほとんど持たない

 

余談ですが、令和(レイワ)は語頭にRが立っているのでアルタイ語系ではないですね。

 

アルタイ諸語として広く認められている言語グループは以下のとおりです。

チュルク語族(アルタイ語トルコ語ウズベク語、カザフ語、キルギス語、トゥバ語など)
モンゴル語モンゴル語オイラート語、ブリヤート語など)
ツングース語族エヴェンキ語、満州語など)

日本語族(日本語、琉球語)と扶余語族(扶余語、濊貊語、高句麗語、百済語)および朝鮮語族(新羅語、朝鮮語、済州語)は、アルタイ諸語に含められることもあるという位置づけです。アイヌ語は、SOV型であるという共通点があります。

 

モンゴル出身の力士が欧州出身の力士と比べて日本語を早く覚える背景としては、日本語がアルタイ系の特徴を持っているからのようです。また、中東のサッカー中継のアナウンスに面白おかしくでたらめの日本語字幕を付けた動画がありますが、こんなことができるのも、特徴が似ているためのようです。

 

さて、アジア大陸の中緯度地方を横切る、こうした広がりを持つ、アルタイ諸語に含まれる言語の生まれた背景は解明されておらず、共通の祖語を想定するには基本語彙に違いが大きすぎるようです。人種的特徴も一様ではありません。一説によれば、騎馬民族の移動が関係しているといいます。

 

実は、こうした特徴を持つ言語は、SVO型の言語に対して劣勢となっています。一例が満州語です。かつて、清の時代には、漢人の移住を制限していた中国東北部地域に漢人が入り込み、満州語を話す人は激減しています。ウイグル人も同じように圧力を受けています。モンゴルもその半分は内モンゴルとして中国の領土になっています。

 

トルコ、モンゴル、清という大帝国を生み出したアルタイ系民族でしたが、現在は、その勢いを衰えさせているようです。

 

人類の移動の歴史を考えると、アルタイ諸語の中でもアジア大陸東部に位置する諸語については、「DNAから導きだされる日本人の起源」の23ページにある、2万年前ほどに、シベリア南部に生き残った人々の子孫であるのかもしれません。

3万~2万年前 厳寒期

シベリア大陸では、食料確保と防寒対策ができたグループ はシベリア各地へと広がり、生活圏を拡大した。
2万年前、氷河期の寒気が一段と厳しさを増し、各地に広がっていた新人達は、寒さと飢えで絶滅していった。その中で、バイカル湖周辺は比較的温かく、食料となる大型哺乳類-マンモスなどが多く生存したため、その周辺地域に集まってきた人達だけが、生き延びることができた。 併し、その代償として、極寒の気候へ対応するための変化が身体におこった。この変化は世代を重ねる毎に顕著になり、長い胴、短い手足、平坦な顔つき(呼吸器への寒気の直入を避ける)になった。北方型モンゴロイドが誕生。

 

こうした背景から日本の歴史を考えると、これまでとは違う視点が加わることになります。

1. 遊牧民騎馬民族的要素と日本民族の親和性

日本語を話すようになった人たちは南下して稲作を中心とする民族になったようですが、それ以外のアルタイ語族の人々は放牧を中心とする暮らしになったようです。しかも、その中から生まれた支配者たちが、3世紀頃に朝鮮半島を南下して、日本の中枢にも入り込んできたようです(『九州の邪馬台国VS纏向の騎馬民族』)。

日本人の、特に支配層における、牧畜民的要素に着目することで新しい歴史が見えてくるかもしれません。 神道の起源は、雲南省少数民族からではなく、アルタイ語族の支配者層によって持ち込まれたものである可能性がありそうです。

 

2. 満州、モンゴル、シベリア、中央アジア、トルコ、 タミル、SOV型言語群への親近感

アルタイ諸語の分布域という関係に気付く前の私は、朝鮮半島の北からシベリア、モンゴル、バイカル湖あたりの地理についてほとんど興味を持ちませんでした。これを知った後で地図を見ると、満州はモンゴルと接しており、満州の範囲も、アムール川の東まで広がっていて、日本から日本海を挟んだ対岸は、アルタイ諸語の広がる場所であったという事実に気付くことになりました。

現代の日本人はアメリカに対する親近感が高く(内閣府による2018年12月の、外交に関する世論調査の発表を参照)、社会や個人のさまざまな側面にこの親近感が影響を与えていると思われます。 

ここに、アルタイ語族あるいは、さらに広げて、言語の構造がSOVである言語を持つ民族という視点を加えてみると、世界観に少し変化が生じると思います。

 

 「DNAから導きだされる日本人の起源」には、結語として次のようにあります。

日本人は南方から来た初期型モンゴロイドが、黄海沿いに南下し、最初に住み着いたアイヌ人=縄文人が一つのグループ。
同じく黄海沿いに下り、日本の近くを通り抜け、シベリア大陸に入り、バイカル湖畔で、耐寒のため体型を変えた北方系モンゴロイドが、暖化後に南下し、長江中流水田稲作を開始、長江文明を担い、戦乱の続く中、民族滅亡の危機に直面し、秦の始皇 帝の助力を得て、民族大移動を行った徐福一行のグループが、もう一つの日本人の起源。その二つのグループが、約2300年の間に、混血し、現在の日本人となった。
日本語は、アイヌ縄文人の単語を残しつつ、渡来してきたグループの言語の進化・変遷したもの。 言葉は民族と人の根源で あるが、1000年の単位では極めて大きく変るため、大きな概念で辿る必要がある。南インドタミル語は、日本とインドに分岐す
る以前に使っていたであろう品物(稲作・衣食住)、身体の名称などで同じ単語が用いられ、五七五の韻を踏む歌などが一致し、且つ、民俗学的風習などが一致し、同一又は極めて近い民族と言語が、日本以外にいたことは、なんとも云えぬ安堵を感じる

 この想定のどこまでが真実であるのかはわかりません。けれど、何度かに分けてこの列島にやってきた人々は、アジア大陸東部に広く分布するSOV型の言語を話す人々が主体であったことは確かなようです。古墳時代の直前頃から奈良時代にかけてやってきた渡来人についても、『九州の邪馬台国VS纏向の騎馬民族』の想定が正しければ、扶余系を中心とするアルタイ語系の人々が主であるということになります。 

 

アルタイ語族の作った中国国家(元、清)と日本は戦っています。こうしたことも何かの因縁なのでしょうか。

 

いずれにせよ、意識しておきたい関係性なのではないかと現時点の私は考えています。

 

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