毎日出てゐる青い空

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空から降る水をカメにためて暮らしていた人々は、ボウフラのわいた水を飲んで伝染病にかかったり、寄生虫に寄生されたりしておった。南アフリカのカラハリには、雨の降らない乾季を、野生スイカの水に頼って暮らしていた人たちもおった。
川の水も井戸の水も安全とはいえなかった。
けれど水のためにカネはいらなかった。
 
私の生まれた家は、井戸の水を使っていた。山の斜面に立つ家は、浅い井戸を掘るだけで地下水の水脈にあたり、湧き水のような美しい水を年中安定して得ることができていた。くみ上げには電気ポンプを使っていたから苦労もなかった。
村には、そんな恵まれた家ばかりではなく、平地に住む家であれば、農薬の影響も受け始めていたのかもしれない。そんな背景もあってか、簡易水道を引くことになった。我が家も水に苦労はなかったが、万一のためや、近所づきあいの関係もあってか、水道を引いた。
毎月基本料金分だけ水道の水を使い、料理にはおいしい井戸水をつかっている。
 
今住んでいる場所は、遠く離れた隣県に水源があって、おいしい水道水が提供されている。上下水道合わせて月額6000円ほどかかっている。安全性の高い水を安定供給してくれているわけである。
 
 
水道法が改正されて、平成30年12月12日公布された。これについて、東洋経済が報じている。
水道事業を民間委託できる水道法改正案が、12月5日午前の参議院本会議で通った後、同日午後の衆議院厚生労働委員会で可決された。同法案は今年の通常国会衆議院ですでに可決されて継続審議となっていたため、反対弁論だけ行われた。これに野党は猛然と反発。
外国人労働者受け入れを拡大する出入国管理法改正といい、漁業権を骨抜きにする漁業法改正といい、なぜ会期が短い臨時国会にこんな重要法案を次々に出し、短い審議時間で成立させようとするのか」と怒りをぶちまけた。
通常国会での衆議院の採決から(同日午前の)参議院の採決まで、大きな状況の変化があった」
12月5日の衆議院厚生労働委員会で水道法改正案について反対討論に立った立憲民主党初鹿明博衆議院議員は、新潟県議会で10月12日に「水道民営化を推し進める水道法改正案に反対する意見書」が採択された事例を挙げた。
同意見書は、老朽した水道施設の更新や耐震化推進のために民営化を進めることによって、「水道法の目的である公共の福祉を脅かす事態となりかねない」と警鐘を鳴らしている。その他、同意見書は水道を民営化したフィリピン・マニラ市での料金高騰ボリビアコチャバンバ市での暴動の発生、フランス・パリ市では料金高騰に不透明な経営状態が発覚した事例まで挙げていた。
水道民営化のために任用された大臣補佐官
水道法改正の背景が怪しい――実は今年10月末に、そのような話を耳にした。11月9日に菅義偉官房長官の大臣補佐官を辞任した福田隆之氏をめぐる怪文書がきっかけだ。
福田氏は野村総合研究所で国が初めて実施した国家公務員宿舎建て替えのPFI(Private Finance Initiative、民間資金、運営で公共サービスの提供を行う)案件を担当した。2012年からは新日本有限責任監査法人のインフラPPP(Public Private Partnership、公民の連携で行う)支援室長としてコンセッション関連アドバイザリー業務を統括した。
そのような福田氏が内閣府大臣補佐官に就任したのは2016年1月で、PPP/PFIの活用を盛り込んだ「『日本再興戦略』改定2015」が閣議決定された5カ月後のことだった。
ちょうどその頃、産業競争力会議も「成長戦略進化のための今後の検討方針」を決定。「観光振興や人口減少等の地域的、社会的課題に対する公共施設等運営権方式を含めたPPP/PFI の活用方策を検討するとともに、 積極的な広報活動や地域の産官学金による連携強化等により、広く地方公共団体や民間等の関係者の理解促進や機運醸成を図る」とPPP/PFI導入の本格的取り組みを宣言した。
これを主導したひとりがパソナグループ代表取締役会長を務める竹中平蔵氏で、同氏が主導してPPP/ PFIの活用促進に向けた環境整備について検討した「産業競争力会議フォローアップ分科会」などには福田氏が参加していた。福田氏の補佐官登用も竹中氏の意向があったと言われている。
内閣府は2018年2月9日、「民間資金等の活用による公共施設等の整備等の促進に関する法律の一部を改正する法律案」(略称PFI法改正案)を国会に提出した。同法改正案は6月13日に成立し、8月1日から施行。水道法改正を待つばかりだったが、同改正法案は日切れ法案として継続審議に付された。
しかし臨時国会で水道法改正法案が成立することはほぼ確実で、そうなると水道事業の民営化に向けて本格的に始動するはずだったが、ここで思わぬ逆風が吹いた。外国でのひどい失敗例や、高いコストを負担して再公営化を進めなければならかったという事実が示されたのだ。
水メジャーの社員が内閣府の政策調査員に
そればかりではなく、不透明な問題も持ち上がった。そのひとつが上記の福田氏の突然の辞任であり、もうひとつがヴェオリア社の女性社員が内閣府の「民間資金等活用事業推進室」に政策調査員として2017年4月1日から2019年3月31日までの予定で出向していることだ。ヴェオリア社はフランスの多国籍水処理企業で、世界で上下水道の民営化を扱って成長してきた。この出向者の任期はまさに水道民営化のための審議の期間に重なっている。
これを明らかにしたのは11月29日の参議院厚生労働委員会社民党福島瑞穂参議院議員
「もっともこの法案で利益を得る可能性のあるヴェオリア社、水メジャーですよね。まさにその担当者がPPP推進室にいる。これって受験生が採点者になって、自分の答案をこっそり採点しているようなものではないですか」
また福島氏は12月4日の参議院厚生労働委員会で、PFI法改正案が審議された2018年6月12日参議院内閣委員会で当該女性職員が大臣の補佐をしていたことを暴露したが、内閣府は「単に資料を持参したりメモを取っていた」と女性職員と同法案との深い関与を否定した。
しかしこの女性職員は「GJジャーナル(下水道女子ジャーナル)2016年7号」で、「官民連携により自治体の下水道事業運営をサポートするべく、処理場、管路等の施設運転管理を中心とした提案、業務支援を担当しています」と自己紹介するなど、PFIの専門家を自任している。政府が専門家である職員を雑務だけのためにわざわざ登用するというのは、どう考えてもありえない。
ヨーロッパ視察も、報告書は提出されず辞任
また11月9日に内閣府大臣補佐官を辞任した福田氏は、パリなどの水道民営化について視察するために2016年、2017年、2018年と3度にわたって渡欧している。3度目は2018年10月で、辞任の直前だ。
福田氏の辞任理由は「業務に一定の区切りがついたため」とされているが、最後の仕事となった10月のヨーロッパ視察の報告書はいまだ公表されていず、中途半端な印象は否めない。
「一区切りというのなら、(PFI法改正法が成立した)6月ではなかったか」
福島氏が指摘する通り、この時期の福田氏の補佐官辞任はまったく矛盾に満ちたものとしか言いようもないが、その真相が究明されることは永遠にないだろう。
12月6日の衆議院本会議で改正水道法が成立。翌7日には外国人労働者の受け入れを拡大する出入国管理法や漁民法の改正法も成立するはずだ。そして臨時国会は延長されず、12月10日に当初の予定どおりに閉じられる。
 
この記事は、水道法だけでなく、漁業権や外国人受け入れにも言及して優れた記事である。一方、水道法をめぐる多くの議論は、水道管の老朽化や、過疎化、高齢化など、水道事業に民間業者を入れるために考えだされた理屈をめぐったこまごまとした部分に終始しがちで、この記事のように、大きな流れの中でとらえた議論は少ないのが実情であろう。
 
水道法に限らず、すべての動きは、人は生命であり、生命は利己的であるという事実と、言語という存在が、人に幻想を見させているという事実を踏まえて考える必要があるはずである。
 
現代社会は、言葉という武器を使って、自分にとってできるだけ有利な状況を作り出そうとする人々(国際金融資本)の利己的な意図に基づいて作られている。ただし、動物や植物、微生物なども互いに利己的な意図を持ちつつ多様性があり、相互に依存する生態系を作り上げているように、国際金融資本の存在も、私たちと対立するだけでなく、単に利己的であるだけではなく、安全な水を安定供給するためにも役立って、私たちが生きやすいようにするような働きをしている場合もあるだろう。
 
現代社会は、国際金融資本の利己的な意図によって作られ、国際金融資本の都合のよいようにできているのだが、これを前提としていない議論が多すぎることが、一番の問題であろう。以前の私も、国際金融資本が描いて見せる現代社会の姿を本物であると思い込み、実際にはまったく違う姿をしていることについてまったく意識することはなかった。けれど、東洋経済の記事が暴いているのは、国際金融資本がどう動いて、人々を操り、利益を得ているのかという実例である。太字にした部分の裏にはすべて国際金融資本による統制が働いている。しかも、国もまた、国際金融資本の意図通りに動くことしかできていないのである。
 
 
国際金融資本は、人類とは合理的な存在であり、さまざまな課題を議論や技術力によって解決していくことのできる存在であるという虚構を描いてみせる。キリスト教という肉体性を失った宗教の価値観を幹に据えて、世界全体をこの嘘の価値観に合わせて作り上げていく。その結果、人は、動物のように生きることのできない存在となり、肉体性を否定されて、理想に向かっていると思い込むしかないなかで、実際には経済活動のコマとなってしまっている。こうした全体像を理解していない議論が、国際金融資本を利することにしかならない政策を作らせ、人々を苦しませるだけの社会を作り上げていくのである。
 
学校教育で教えることは嘘ばかりであり、マスコミが流す情報も嘘ばかりであり、本に書かれていることも嘘ばかりである。なぜなら、それらはすべて国際金融資本の支配下にあるからである。人は動物として生きるしかなく、動物として生きることで幸せを得ることができる存在なのだが、そうした生き方をされていては利益を得られない国際金融資本は、動物のように生きる人を犯罪者とすることができる社会を仕立てあげてしまった。
 
根本解決に向かうには、現代社会が国際金融資本の意図に合わせて作り上げられているという事実を踏まえて、解決策を探っていくしかないのである。国際金融資本の存在を否定していては、国際金融資本の流す情報に影響されて、本質から外れた議論の繰り返しになってしまうのだから。

 

2019年7月17日 曇りのち晴れ汗のでる暑い午前中の新川土手 カワトンボの住処


2019年7月17日 晴れた午前中の新川土手 岸の小魚・川の中の気泡

昨日すっかり忘れていたので、午前中に撮影に行ってきました。ゴミだらけで、今日のような日は少し匂う川ですが、多くの生物が暮らしています。
 
・鉄橋の下のコイたちは今週も元気に群れています。繁殖期でもないと思うのですが、わざわざ集まり、ぶつかりあっていました。
・桑の木の下には、今日もカワトンボの仲間がいました。この木の下が住処になっているようです。
・大きな橋の下ではニゴイらしい魚が泳いでいました。
・さっきまで曇っていたところで晴れてきたせいか、カニがコンクリートの上に出ていました。平気なようです。
・川底から泡が連続して出ていたので、自然に湧き出ているのかと思って撮影していたら、コイが身をひるがえして泥が上がりました。以前も見かけましたが、コイが川底をつつくと気泡が上がるようです。
・岸辺を群れる小魚はこれまでもみかけていましたが、5cmほどの大きさの小魚たちの大きな群れでした。今日見かけたのは、もっと小さい魚で数も5、6匹でした。コイの稚魚でしょうか。
 
・ピンク色の四弁の花を咲かせた雑草は、ユウゲショウのようです。これも帰化植物で、原産地は南米から北米南部、日本に入ったのは明治時代とのことです。
・先週みかけたキイチゴの場所に行ってみました。もうすっかり食べつくされていました。
・今日はコガネムシの仲間はみかけませんでした。
 
撮影を始めたことで、外来生物の多さを改めて知ることになりました。

2019年7月13日 自然農の畑と周辺の自然

 
 
妻が参加している自然農の畑に同行して、野菜の様子や、動植物を撮影してきました。
・バジルは元気に育っています。その横に、トウモロコシのような植物がありますが、これは自然に生えたものです。近くに同じ植物がたくさん生えているので、去年この畑を借りていた人の名残りなのかもしれません。トウモロコシなのかどうかはもう少ししないとわかりません。
・ピーマンは最初になった実を本日収穫しました。
・トウガラシはたくさんなっていますが、まだ小さいので収穫は先になります。
・トマトは花が咲いてるだけで実はまだなっていません。
・キュウリは二本ありますが、こちらも花だけです。
・イモカタバミかムラサキカタバミらしい雑草が咲いていました。
・キュウリの葉にハチが停まりずっと動かないでいました。寝ているのか、疲れているのか?
 
・自然農の先生の畑にはイチジクなども植えてあります。一枚の葉だけきれいに虫に食われていました。
・アオスジアゲハがヤブカラシの蜜を吸っています。スズメバチも蜜を吸いたいように攻撃をしかけていましたが、アオスジアゲハのほうが強いようです。昆虫エクスプローラアオスジアゲハのページによると、「南方系のチョウで、西南日本では極めて普通に見られるが、本州中部以北ではあまり多くなく、秋田県あたりが北限となる。」とありますが、畑で見るアゲハチョウはアオスジアゲハが多いように思います。
・草むらの中でムラサキツユクサが長く伸びていました。
・今日は、畑にあまり虫がいなかったのですが、畑の周りにはトンボ、クモ、カマキリの姿がありました。バッタ、シジミチョウなどは結構食べられてしまったのかもしれません。これであなたもカマキリ博士〜飼育録〜を見ると、オオカマキリの脱皮回数は決まっておらず、6齢までの個体もいれば8齢までの個体もいます。7/13日頃には、5齢か6齢になっていることが多いようです。
 
・水田にトノサマガエルがいました。もしかするとナゴヤダルマガエルかもしれません。家の近くではめったにカエルをみないのでうらやましく思います。
・まだほんの小さいカエルもいました。色と形からヒキガエルだと思ったのですが、動きが素早かったのでアマガエルだったかもしれません。
・用水路に透明なゼリー状の塊の中にたくさんの黒い粒が入った卵塊が浮いていました。MNP PHOTO LINRARYに同じような卵塊の写真があるのでニホンアマガエルの卵である可能性が高そうです。ただし、この季節に産むものなのかどうか不明です。
 
・昔あったような大きなヒマワリの花が咲いていました。遺伝子組み換えや品種改良?によってあまり見ることのできなくなった夏らしい花です。
・地面に小さい団子でできた塚のようなm、おのがいくつもありました。ミミズが糞をすることでできるミミズの糞塚のようです。
アシナガバチが餌を探しまわっていました。以前見かけたときは、飛びながら葉の裏を覗いてアオムシなどを探す様子を見て、ハチでもアオムシなどが葉っぱの裏に隠れていることを知っているように行動していることに感心したものです。今回は、ハチが飛び回るだけでなく、こうして歩いて獲物を探すこともあるのだということに気づきました。また、餌探しの途中なのか非番なのかは不明ですが、身繕いに忙しい様子もありました。

レジ袋有料化に関する考察

中部大学教授武田邦彦氏のサイトにレジ袋追放の科学的意味という投稿があります。レジ袋が登場した背景(ダイエーの万引き対策、安価な原料を使った低品質な製品の製造)と、レジ袋追放の背景(技術の進歩により、元々安価だった原料の使い道が増えて値上がりしたことで、スーパーの負担が上がった)、レジ袋追放による影響(買い物用の袋に対する石油消費が2倍に増えるうえ、レジ袋の原料よりも貴重な石油成分が使われる、家計に年間5000円の負担が増える)が考察してあります。レジ袋を使わないほうがよいと考えておられる方は一読をお勧めします。

私は、別のところに着目してみたいと思います。

レジ袋追放は日本だけの動きではなく、諸外国でも行われています。そこで、レジ袋追放によってどのような影響が出ているのかを調べてみました。

 環境特集:世界各国のレジ袋規制一覧という記事がありました。
 ・アフリカ─ルワンダエリトリアソマリランドが使用を全面的に禁止している。南アフリカウガンダケニア袋の厚さに関する最低基準を設けており、エチオピア、ガーナ、レソトタンザニアも同じような措置を検討している。 
 ・オーストラリア─タスマニアのコールズベイが、2003年4月にオーストラリア初の「レジ袋のない町」となった。多くの都市もそれに続き、2008年1月には環境相がスーパーに対し、年末までに国全体でレジ袋の使用をやめるよう求めた。 
 ・バングラデシュ─2002年にレジ袋を禁止した。バングラデシュは、1988年に国土の大半が水没した大洪水は、投げ捨てられた大量のビニール袋が排水管を詰まらせたことが一因になったとみている。 
 ・ブータン─2007年に「グロース・ナショナル・ハピネス(国家全体の幸福)」政策の一環として、レジ袋や街頭広告などを禁止した。
 ・中国─国務院は、6月1日から実施された厚さが非常に薄いレジ袋の使用禁止措置が、環境汚染を改善し、貴重な石油資源の節約につながると考えている。香港は2007年5月に、レジ袋に対する50セントの「汚染者費用」を課すことを提案している。 
 ・英イングランド─2007年にデボン州南部のモドベリーが、欧州で初めてレジ袋を廃止し、再利用可能で分解性のある袋を販売した。ロンドンの33地区は2009年から非常に薄いレジ袋の使用を禁止する計画。 
 ・フランス─議会は2005年に、2010年までに非分解性のレジ袋を禁止する法案を成立させた。フランス領のコルシカ島は1999年に大規模店舗でのレジ袋使用を禁止した。 
 ・インド─西部のマハラシュトラ州は、レジ袋がモンスーン期に排水溝を詰まらせているとして、2005年8月に製造、販売、使用を禁止した。他の州も、環境汚染の改善と、ヒンズー教徒にとって神聖な存在である牛がレジ袋を食べて死亡するのを防ぐため、非常に薄いレジ袋の使用を禁止した。 
 ・アイルランド─2002年にレジ袋に課税する法案が成立した。その結果、使用量が90%減少したが、その後が再び緩やかに使用量が増えている。 
 ・イタリア─2010年に全面的な使用禁止措置が導入される予定。
 ・台湾─2003年に導入された部分的な使用禁止措置により、デパートやスーパーが無料の袋を提供しなくなったほか、ファストフード店からは使い捨てのプラスチック皿、カップ、食器が姿を消した。自分でそれらを持ってこない客は、1台湾ドル(0.03米ドル)を支払う必要が生じた。 
 ・米国─サンフランシスコは全米で唯一、2008年4月にレジ袋を禁止した。禁止されたのは大型スーパーのみ。ニュージャージー州は、2010年までにそれらを禁止することを検討している。ニューヨークのブルームバーグ市長は2008年1月に、大規模小売店に対し、レジ袋のリサイクル・プログラム実施を義務付ける法案に署名した。
 

さて、レジ袋を目の敵にする一方で、ペットボトルは、その普及開始当初から反対運動がありました。また、武田教授の指摘によればペットボトルをリサイクルするほうがペットボトルを焼却処分するより資源を多く無駄にするそうです。消費する石油の量はレジ袋100枚で500mlペットボトル2.5本分らしく、環境への影響を考えるならばペットボトルを禁止するほうが先のように思えます。なぜ、ペットボトルの追放運動は、レジ袋ほど盛んに報道されないのでしょうか。しかも、レジ袋を禁止する理由を調べてみると、驚いたことに、はっきりした理由は特定できませんでした。先にレジ袋禁止があって、後で理由をつけているかのように多種多様な理由が挙げられています。

現代社会のあらゆる要素は、最終的には、現代文明の支配者である国際金融資本を中心に考えなくてはいけません。もちろん石油メジャーもその配下に抑えている国際金融資本にとって、レジ袋追放運動がマイナスの影響を持つものであればこれほど大きく報道されることも、規制が実施されていくこともないでしょう。国際金融資本に悪影響を与えないか、利益をもたらすからこそ、このように報道や規制が行われていると見なければなりません。

当初は、そろそろ石油の枯渇が見えてきて、これに変わるバイオ燃料生分解性プラスチックの利権を国際金融資本が握ったことで、このような動きになってきているのかと推測してみました。調べてみたところ、1973年にあと30年で枯渇すると言われていた石油は、それから46年たった今年2019年でも、まだ50年は枯渇しないと言われているようです。バイオ燃料生分解性プラスチックも、当初の目論見ほど普及は進んでいかず、産業としての将来性も不透明のようです。ただ、ロックフェラーなど米大手資本が化石燃料投資から撤退という記事がありますから、そうした方向への転換は想定されているのかもしれません。

こうして考えていくと、どうやら、武田教授が指摘している点(原油の消費が増える、供給価格は下がらない、他の製品に波及していない)が国際金融資本と利害対立していないという要素が大きいようです。ある程度の厚みを持つレジ袋は禁止対象でない国が多いことも、そのような背景を思わせます。さらに、現実から目をそらしながら善人でありたい人々のエネルギーを受け止め、真に大きな問題から目をそらす目的もあってレジ袋追放運動が利用されているのかもしれません。

この動きに関しては何かがおかしいとしか言えず、はっきりした背景は指摘できませんでした。しかし、現代社会のあらゆる出来事は、国際金融資本による経済活動という点を踏まえてみるべきだと私は思います。

 

音は記憶と結びつき、感情をよみがえらせ、人を動かす

作業をしているときに聞くための音楽をYoutubeで再生リストにしてみました。

最近の曲から昔の曲まで、プロの歌から素人の歌まで、洋楽や民族音楽も含めて、ただ雑多に集めたリストです。

リストに追加する曲を探しているときに見つけて、なつかしく思い追加したものの、再生してみると、しっくりこなくてリストから外した曲などもあります。

 

こうしてリストを作ったことでいくつか見えてきたことがありました。今日は、それについて記したいと思います。なお、私は現在50代前半の男性です。ここに記したことは私の心理的な特性の故であるかもしれません。

 

1. 歌の多くが記憶と結びついている

文化祭で学生が演奏しているのを聞いてすっかり好きになった曲があります。佐野元春のサムデイとイルカのなごり雪です。高校生のときに聞いたサムデイは今も大好きな歌の一つです。なごり雪は好きですが、時の経過とともに色あせました。

Men At Work の Down Under は、FM ラジオを聞くようになった頃に流行していた曲です。

倉木麻衣Secret of My Heart は会社で部署を移動したときによく聞いていました。

EGO-WRAPPIN のくちびるにチェリーは、飲み屋の女の子から知りました。

nokko の人魚は入社から数年の間、カラオケでよく歌っていた曲です。

最近知った曲は、ヨルシカのヒッチコックや、Acid Blue Cherryのこの青空の向こうなどです。いずれも、ギターの弾き語りを探しているうちに良いと思った若い人たちを通じて知りました。

松田聖子赤いスイートピーや、夏川りみ涙そうそうも、私がその歌を好きになったときのことをいつも思い出しながら聞いている歌です。

音と記憶の結び付きは、極めて強いものなのかもしれないと、リストを作ることで知ることになりました。

 

2. 歌と結びついた記憶は当時の感情を呼び覚まさせる

上に挙げたような記憶は、そのときの自分の状況まで、今の自分の心理状態を連れていきます。

たとえば、サムデイを聞くと体育館の後ろの入口から入ると演奏がもう始まっていて、1年生のとき同じクラスだった〇〇君がボーカルで、ときどきみかける男勝りの美少女もバンドの仲間なのだと知る。そして、聞いたこともなかった歌だったのに、いきなり飲み込まれてしまう。そんな高校時代を思い出します。

こうして感情と結びつくことで、それぞれの出来事は何度でも更新されて古さをなくしているようです。

 

3. 感情との結びつきに危うさがある

音楽が記憶や感情と結びつきやすいのは、私たちの動物としての性質による部分が大きいのかもしれません。

自然界の音は、聞こえるだけの理由があるときに、聞こえるべくして聞こえます。そうして音が記憶や感情と結びつきやすいのは、それが生き残りのために役立ったためであると思われます。以前、匂いは、無意識のうちに感情と強く結びついているという話を読んだことがあります。音も同じように、私たちの心の深い部分に刻み込まれるようです。

こうして、音楽は、記憶や感情と結びつきやすいという性質を持つため、大衆操作に利用するにはもってこいの道具になります。

 

4. 商業音楽とは別の音楽がある

いったんリストに入れた後で外した音楽の中には、昔CMに使われていて好きだった曲があります。リスト化して他の曲とまとめて聞いていくと、こうした音楽は、なぜかうすっぺらく聞こえてきて外していくことになります。

一方、アイヌユーカラや、アボリジニの音楽、パプアニューギニアの先住民の音楽、郡上田植え歌などは、楽器や特徴は違っていても、何か共通するものを感じます。生活の中で歌われている歌であるということでしょうか。

そうした意味では、私がリストに入れた曲の大部分は、商業音楽です。売るために作られて、商品として消費される存在でしかありません。

音楽が商業化された後の世界に生まれた私たちは、生活の中で生まれた歌が生活の中で歌われていたということを知りません。そして、「コンドルは飛んでいく」のように西洋化された音楽を民族音楽として聴いて満足してしまっています。

 

作業用の音楽リストを作ることで、音楽は、言葉と同じように、虚構を作り出す存在なのだと知ることになりました。

 

 2019年6月28日追記

記憶と音楽の結びつきは無文字社会における歴史認識(重要な出来事は新しいものとして記憶される)という特徴と似ていると思い、どこでその話を読んだのか記憶を探っていましたが、これに関連する記述が含まれていた本がわかりました。『「ことば」の課外授業―“ハダシの学者”の言語学1週間』です。次のように記されています。

時間とか空間という非常に重要な二つの要素を見ても、文字社会は書かれた言語資料を基本にして物事を処理していく。ところが文字のない社会では、情動とか価値といったもので序列をつけたり、物を組み立てたりする傾向が強いんです。

音楽と結びついた記憶は、文字のない社会における場合とおなじように、時間と空間を情動や価値によって序列づける機能があるように思います。

 

 

山で出会った動物続報

19日に見かけた動物が気になったので、また行って確認してきました。

結論から言うと、どうやらニホンカモシカだったようです。残念ながらツキノワグマではありませんでした。

 

9時半頃から歩き始めました。

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クモに捕らえられた蛾

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赤い実

蛾や赤く熟した実をみながら、先日動物たちと遭遇した山道へと進みました。

最初に動物の逃げる音を聞いた場所ははっきりとわからず、イノシシによるらしい掘り起こしも見つからないまま通り過ぎてしまいました。

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岩山

そのまま登って、コブの上に出ました。向こうに岩山が見えます。

 

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黒い二頭の動物と出会った場所

動物を目撃した場所は、コブからそんなに下らないところでした。19日には、上の画像の正面に動物たちの姿が見えました。画像の向こうにいくほど道は下っています。距離は30メートルほどしかありませんでした。上の画像では見通しが悪いように思えますが、向こうの山肌まではっきり見通すことができます。

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けもの道の足跡

19日に動物が駆け上った部分まで行ってみたところ、薄いながらけもの道ができていて、足跡が確認できました。真ん中を通っています。急な崖かと思ったのですが、私でも登れるくらいの傾斜しかありませんでした。けもの道は、木の間を抜けたところで向きを変えてジグザグに続いていました。

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足跡の大きさ


 足跡の大きさです。はっきりとした足跡はなく、土のめくれによってわかる程度でした。大きさは10cmほどしかありません。足の大きさはもっと小さいと思われるので、どうやらツキノワグマではなく、ニホンカモシカだったようです。

改めて探してみたところ子を呼ぶ親カモシカの動画が見つかりました。


Japanese serow ニホンカモシカ~子を呼ぶ母~

私が聞いたのは、もっと母音を含む声だったように記憶していますから、声からすればカモシカではありません。ただ、緊急性が高い場合の声は私が聞いたような声なのかもしれません。

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ドクダミと白い花

谷まで下り切ったところに咲いていたドクダミと白い花です。

その後も、クマの生息を示すような痕跡はないかと、谷の石や岸の様子を調べてみましたが、この谷は、上流にマス釣り場やため池があり、農地も広がっていて、人家もある関係で、水は汚れた状態であることもあって、動物がサワガニなどを探した様子はありませんでした。

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水質の悪い本流

ただ、一か所、小さい谷が流れ込んでいる場所があり、そちらの谷は比較的澄んだ水が流れているので、合流点を調べてみました。

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川岸の足跡

するとそこに動物の足跡がありました。長いほうの径が8~9cmほどです。

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足跡の列

この足跡は、川岸に4つ、ほぼ等間隔、ほぼ同じ大きさで続いていました。

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動物が川岸に降りたと思われる場所

足跡は山から谷のほうへ向かっているようでした。逆にたどってみると、この写真の中央部分から谷のほうへ出て来たように思えました。

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比較的清らかな谷

こちらの谷も様子を調べてみましたが、動物が活動した跡は見当たりませんでした。

 

何度も通っている様子ではなく、一度通ったきりのようですので、この川岸に足跡を残したのは、この場所から少し上流にあるキャンプ場に連れてこられたイヌの可能性が強そうです。

 

キャンプ場を通り抜けて駐車場まで戻る途中に、スギの枯れ枝の上にされた動物の糞がありました。写真は掲載しませんが、肉食獣の下痢便のような糞で、量は犬の糞ほどでした。

写真家 宮崎学さんのページを参考にすると、どうやらキツネの糞のようです。

 

19日に出会った動物は、ニホンカモシカであると一応結論は出ましたが、動物の痕跡を探して山を歩く楽しみを得たことでもあるので、また秋にでも行ってみたいと思っています。

 

山中で動物と出会った

昨日2019年6月19日、愛知・岐阜県境の山を歩きました。

 

夕方4時過ぎから広い道を歩き、いったん休憩した後に、5時くらいから山の中の狭い道を歩いて、駐車場まで戻ることにしました。夕方から動物の活動が活発になり、鉢合わせするかもしれないという期待と不安の中で、2度、大きな動物との遭遇がありました。

 

一度目は私の足音に驚いたらしい動物が、茂みの向こうから逃げていく大きな音がしました。キジくらいの鳥の羽音を聞いたような気もしますが、もっと大きい動物が動いたような印象もありました。近くには、イノシシが土を掘り返したような状態になった部分があったので、イノシシだったのかもしれません。

 

二度目は動物の姿を目撃しました。山頂から谷底まで急な斜面をつづら折りになって降りる道が続いた後に、少し傾斜が緩くなって比較的遠くまで同じ方向に進む、見通しのきく場所がありました。この場所を少し進んだところ、行く手から急に大きな声が聞こえ、100メートルほど先、私のいる場所よりも低い場所に黒い獣が2頭、急いで崖をかけ登り、崖上の藪に消えていくのが見えました。

 

2頭は親子で、私の出現に驚いた親が、子どもに向けて警戒の声をかけながら逃げていったような感じでした。ただ、崖の上の藪に入った後そのまま去っていくのではなく、少しの間、同じ声をあげながらとどまっていたのが不思議に感じました。私は、前方に注意しながらリュックサックを下ろし、万一のためにと入れておいた草かきを取り出して手にしたのですが、その間藪の中の声は続いていたので、少なくとも数分間はその場所にいたことになります。

 

鳴き声は、ホワッホワッホワッとも、クワックワックワッとも聞こえたように記憶していますが、あまりはっきり覚えていません。ただし、イヌの声ともサルの声とも違って聞こえました。ニホンカモシカの笛のような声とも違っていたと思います。

 

鳴き声が去っていかないので、こちらからもおい!、おい!と呼びかけているうちに、ようやく鳴き声がやんで動物の気配も消えました。

 

ツキノワグマだとすると、親のように見えた個体は少し小さいような気もしますが、遠くで一瞬見ただけなので、よくわかりません。ただ、その時点ではクマである可能性が強そうだと判断しました。

 

帰ってきて調べてみましたが、ツキノワグマの親が子グマを緊急避難させるときの声というものはネット上で探せませんでした。ただ、私が行った山はクマの生息域からはかなり距離があるので、クマではなかったかもしれません。

 

山で見た瞬間には、動物は横腹を見せていて犬かなと思ったことを覚えています。そのすぐ後に急な崖をまっすぐ上っていく姿は犬とは違って見え、するすると登っていくように見えました。ニホンカモシカには黒い色の強い個体もいるうえ、この山にも生息しているとのことなので、ニホンカモシカだっかかもしれません。ただし、こちらも私が聞いたような声を収録した動画や音声ファイルは見つけることができませんでした。

 

こうして、一人で山を歩いているときに、大きな動物と出会うのは初めての経験でしたので、あわててしまって追い払うことだけしか考えつきませんでした。差し迫った身の危険があるような状況でもなく、スマホも持っていたので、声だけでも録音する余裕があったらと後になって思いました。

 

危険がなければ落ち着いて行動し、万一危険が迫るようであれば、気迫を込めて立ち向かうしかない。それが私が現時点で考えている教訓です。なかなか良い機会を得ました。

 

 

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