眼鏡と入れ歯がくれた命
高校卒業の頃に悪くなった目は、それ以来悪化を続け、眼鏡を作り直すたびに度が進んだ。今では眼鏡がなくては何もできない。
甘い物好きがたたって、右下の歯が親知らずを含め3本欠けたため、部分入れ歯を入れた。
こうして、50代を迎えて見ると、人の活動の最盛期は30代あたりにあり、50歳という年齢はもう、仕舞支度をする年齢であることを実感する。
私は、人の本来の生き方は、狩猟生活であり、人は最大150人程の集団を作りながら、一つの言語集団全体でも1000人に満たないくらいの規模で暮らすべきだと主張している。
そのような世界であれば、眼鏡もなく、入れ歯もない中で、私の肉体は栄養を十分にとれないままもっと早く衰えたかもしれない。
そう考えると私の今の命は眼鏡と入れ歯がくれたものかもしれない。事実、狩猟採集社会には、50歳を超える人は少ない。
しかし、本来の生理にあったライフサイクルが存在するのは、確実に狩猟採集社会のほうだ。文明は長い命をくれても、本来の生活は奪っていくのだ。
文明社会の裏側を知ってみれば、それは人々から本来の生き方を奪うことで成り立った牢獄のような世界だ。
ならば、眼鏡も入れ歯もない世界のほうが、私たちは幸せに生きられるかもしれないのだ。