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ハキリアリが勢力を広げることと、西洋文明が世界を覆うことは本質的に同じ

ハキリアリ 農業を営む奇跡の生物』を読んだ。

 

人類の未来を考える上で多いに有用な情報を得ることができた。

・社会性の昆虫は単独生活を送る昆虫よりも優位である

・農耕に手を染めることで利用できる資源が増える

・葉を運ぶための専用の道を整備することで効率が高まっている

・ハキリアリたちの進化は比較的最近である

・分業制が進んだ社会性昆虫は、個体ではなくコロニー全体で1個体に相当する機能を備える

・高度に分業化が進んだハキリアリにはこのハキリアリの生産するキノコをただで横取りする寄生種のハキリアリがいる

などである。

 

社会性昆虫たちは、分業制の社会を作ることで、単独生活を送る昆虫たちとの競争に打ち勝ち、有利な場所を占めるようになっている。人類史も同じで、大きな集団を作り、統率のとれた側が勝利を収めるようになっている。だから、ヒトの本来の生き方は狩猟採集だといってみても、そして狩猟採集のほうが人々は幸せだったと言ってみても、密度を上げ、定住化によって統制力も上がっている農耕民に勝つことはできず、農耕民も都市を作り上げた人々の前には負けてしまう。

 

ハキリアリたちは延長された巣ともいえる専用の通路を地上に整備している。そうしたほうが、結局効率よく葉を運べるのだという。そのような習性は長い間に身について行ったものなのだろう。しかし、まるで頭で考えて地上にも通路を作っているように見える。それは人の思考によって生み出されるものも、この通路と似たりよったりなものであることを教えてくれる。

 

今のように生の葉を噛み切って利用するハキリアリたちが登場したのは、人類がチンパンジーらと分かれたと推測される800万年前のことである。アリたちも哺乳類と同じ時期に進化の道を進んでいるのだ。

 

こうしたハキリアリたちが単独生活の虫たちよりも幸せなのかといえば、そうでもない。社会性昆虫、中でも分業制の進んだ社会性昆虫らしく、個々の生ではなくコロニーが一匹の昆虫のような機能を果たしているため、一匹で完結している単独性昆虫よりもつまらない生のように私には思える。

 

これを人類に置き換えてみると、まったく同じことが見えてくる。競争に勝って主流となっていくあり方(社会の大規模化、分業化)が進むのは、それが個体の幸せとつながっているからではなく、より優位であるからでしかない。鉄砲を捨て刀に戻した徳川幕府は、さらに武器を強化することを目指した西洋文明の前に敗れてしまう。しかし、西洋文明に覆われた世界で生きることは、分業制が進んだコロニーの中で生きるハキリアリと同様の不幸を私たちにもたらす。

 

世界支配者たちが金融の仕組み、特許制度、貿易協定などを利用して支配を維持する仕組みを作り上げていくことは、極論すればハキリアリたちが換気、ゴミの処理、効率性などを反映した巣を作り上げていくことと大差ない。物理的な問題を物理的に解決していくことで、場所取りに勝ち、より多くの資源を利用して戦いを優位に進める生物が勝っていくにすぎない。知恵の勝利ではなく、生物たちの主体性と見えるものもまた、物理法則の一部なのだ。

 

ハキリアリの女王蟻が決して幸せではないのと同じように世界支配者たちも結局のところは、次々と卵を生む代わりに、さまざまな問題への対策に頭を悩まし続け、地位を失うことを恐怖し続ける存在でしかないのだ。

 

もし、人間に本当に知恵があるとすれば、分業制や大規模な社会へと進もうとする力学に抵抗して、主体的総合的に生きることを実現できるだろう。それは、狩猟採集者たちの作る小規模な社会に生きることである。

 

いずれにせよ、今の文明が表している人間の知恵など、ハキリアリの知恵と大差ないものであることを知ることに、私は大きな意味を感じている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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