毎日出てゐる青い空

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人類延命の鍵は、人は動物なのだと確認することにある


記事:思い出そう―森で生まれた私たち

 

 

 

 

冬の山に一人で登った日、

雪は頂上付近でもせいぜい30cmくらいで

下山だけなら駐車場まで1時間弱の山ではあっても、

私はいつになく緊張しながら足を進めた。

それは、命の確かさを感じた一日だった。

 

 

生きるという事は実はそんな体験の積み重ねだけなのだと、

本来の生き方を続けてきた人々は教えてくれた。

 

 

労働が人と動物を区別したのではなく

労働は本来の人と、労働者とを区別したのだった。

人は計画を立てて生きる存在ではなく、

獲物が来ることを信じて待つような存在だった。

人は協力し合うことに重きを置く存在ではなく、

必要な場合に限って協力したい存在だった。

 

 

人は強く賢いリーダーを欲する存在ではなく、

できるだけ縛られたくない存在であった。

 

人は、他の集団と交流を持つことよりも、

できるだけ同一集団内で充足しようとする存在であった。

 

人は地に満ちることではなく、

環境を維持することを重視しなければならない存在であった。

 

 

人は動物たちと同じように、

命を絶対視などしてはいけない存在であった。

 

何かを成し遂げるために生きるのではなく、

そのときどきを生きていけばよい存在であった。

 

 

私たちが教え込まれていた人間像は、

私たちが動物として生きることで困る立場の者たちが

私たちを動物ではなく労働者にするためにでっちあげた人間像であった。

 

 

 

現代社会の実像は、

そのような人間像に騙されて

人々が労働に勤しみ

協力し合い、

計画を立て

人の命を大切にし、

自然な欲求を否定していく社会であった。

 

人々に虚構を夢見させることで、

寄生者たちが金融、裁判、学問などの制度を作って

人類を支配している社会であった。

 

 

沖縄の住民を弾圧するために使われる私たちの税金はまだわかりやすい。

わかりにくいのは、人を幸せにするかに見せながら

本来の生き方をできなくしていく

「正しさ」「温かさ」「楽しさ」「快適さ」といった

肯定的な概念を装った悪意であった。

 

 

私たちが動物として生きようとしたとき、

私たちは労働者として利用されていたにすぎないことも

本来のヒトは他の動物たちにずっと近い存在であることも、

そのように生きるとき生命が輝くこともわかってきた。

 

人の本来の生き方を知ることは

確かな価値基準を得ることであり、

はかない生の意味を知ることであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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