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ホモサピエンスは進化した動物ではなく逸脱した動物ホモリングア

はだかの起原』は、人がはだかになったのはハダカデバネズミやハダカオヒキコウモリ同様、突然変異が起きたことが原因であり、同時に言葉を話す能力を得たと推測している。その推測が正しいかどうかは別として、人が言葉を話す能力を得たのは、ホモサピエンスになってからであるという重要な事実を教えてくれた本であった。

 

言葉を持つことで、ただ観察するだけでは知ることのできない技術を受け継ぐことができるようになり、人は複雑な道具を作ることができるようになったのであった。

 

人類史のなかの定住革命』で指摘されているように、水産資源の利用が人を定住化させやがて農耕へとつながったとすると、なぜ人は初めて水産資源を利用するようになったのかという疑問が生じる。その背景として考えられるのは、ホモサピエンスが言語を持った初めての人類であったことである。網や舟の製造や利用に言語が欠かせなかったと見ることができるだろう。

 

定住化は、遊動生活ではあきらめるしかなかった、大量の物を所有することを可能にし、技術がさらに発達する背景を作りだした。定住化によって人口的な環境が広い範囲を覆うことで、人は動物から離れていき、抽象的な言語を増やしていった。

 

では、仮に人類史を700万年とし、言葉の獲得を10万年前、定住化を1万2千年前と仮定したとき、この短期間の歴史から、人類の「成功」を判断してよいのだろうか。

 

陰謀論が教えてくれるのは、言葉を持ってしまったがために、法律やカネに縛られ、言葉によって不安をあおられて反抗する術もなく、言葉によって価値観を植え付けられて信じ込み、ただ煽り倒されるままに生きる文明人の姿である。

 

動物たちが教えてくれるのは、言葉を持たないが故に、あいまいさをあいまいさのまま許容できるという事実であり、個体ごとにまったく独自に世界観を作りあげていくことによる柔軟性や多様性であり、言葉を持たないが故に倫理観や義務観を持つ必要のない世界の真実さである。

 

人骨もまた言葉を持ったことによる悪影響を伝えている。ホモサピエンスはネアンデルタール人よりも脳が縮小しているのは言葉という道具に頼りはじめたからであろう。言葉という型にはめることで、思考の効率はあがったのだろうが、脳への負荷はかえって低下したのである。

 

先に示したように、言葉を持つことで可能になったことの一つに農耕があった。農耕を始める前の人々は強くたくましい顎を持っていたが農耕を開始して炭水化物の摂取量が増えるとともに人のあごは退化を始めた。この一事を万事として、人が新しく技術を生みだすたびに、人の肉体は衰えをみせていったのである。

 

生物たちは、肉体そのものの能力によって縛られることで、太陽光や地上の資源を分け合い、互いに影響を与えながら多様な環境を作りあげてきた。肉食獣にとって草食獣の反撃が不都合であってもそれを避ける手立てはなく、草食獣にとって肉食獣の存在が不都合であっても共存していくしなかなったし、そのことによって初めて今あるような姿にまで互いに変化してきたのである。ここに、肉体そのものの能力を越えて他の生物たちに影響を与えることのできるイキモノであるヒトが登場してきた。

 

生物たちは死や苦痛を受け入れるしかないなかでようやく多様性を確保してきたのである。ヒトもまた死を受け入れていくことができるのであれば問題ないだろう。だが、死がある程度まで回避可能である中でヒトはあえて不衛生な環境や、野獣から危害を受けるおそれのある環境を許容できるだろうか。これを想像してみると、私には、人類の未来が暗いと思えてくるのである。

 

言葉には多様な側面がある。

「カラスは黒い」と表現してしまえば、カラスの羽の光沢は消えうせ、カラスをじっくり観察する機会も失われてしまう。カラスのように具体的に目に見える対象であってもこうなのだから、友情や善悪など抽象的な概念になってしまえば、もうお手上げである。言葉は、使う者の都合に合わせて、何の裏付けもないままに産みだされているかもしれないのである。

 

言葉は人を支配する。土地を持つ者が持たない者に土地を貸して、地代を取り立てることができるのは言葉があるからである。土地を持つ者は、土地を守るために手下を雇い、反乱を防ぐだろう。そこにあるのも言葉である。ホロコーストという言葉や権利という言葉、畜生という言葉があることで、人は言葉に支配されていく。

 

言葉は科学技術を進歩させる。新しい発見があり、名付けられることで次の発見へと繋がっていく。しかし、それによって人は更に支配され、人類の肉体は衰え、他の生物たちに対する脅威も増していくのである。

 

こうして見て来ると、私たちはホモサピエンスと呼ぶよりもホモリングアとでも名付けるべき存在であり、進化した動物であると呼ぶよりも、逸脱した動物であると呼ぶべきなのである。

 

 

 

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