毎日出てゐる青い空

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理想と現実

穀物や芋を加工して炭水化物を多く摂取するようになって、人のあごは退化してしまった。日本で言えば、縄文人まではまだ丈夫なあごをしていたのだが、水田耕作が盛んになるとともに、あごが退化し、上の歯が前に飛び出すようになってしまったのだった。私たちはもう、野生の固い動植物を食べることが難しい存在になっている。

 

森の中に住んで、獣を捕り、あるいは植物の新芽やヤマイモ、クリなどを食べて過ごしていた頃、人はアマゾンの先住民やアフリカのピグミーのように、森さえしっかりしていれば幾世代でも暮らしていくことができると確信でき、偉業を達成する必要などなかった。厳しい暮らしの中で人の命が失われていくことが、争いを少なくし、環境破壊を防ぐことにもなっていた。

 

植物を育てることを選んだ農耕民たちは、水や燃料を確保できるギリギリまで森を切り開いていったが、それでもなお増えていこうとする勢いを抑えるために、あるいは部族内での首狩りが行われ、厳しい成人儀礼がおこなわれ、あるいは長子のみによる相続が行われて、「人権」や「平等」は二の次にするしかないことが人々の認識に存在していた。強権を必要としていたのも、当然であった。

 

そんな伝統社会を「野蛮」であると否定し、医療を進歩させて失われる命を減らし、品種改良や遺伝子組み換えまで行って食料生産を増やしている私たちの世界は、どこへ向かおうとしているだろうか。首狩りによる世代交代や、冷や飯食いの一生を送る農家の次男・三男のような調整策を農耕社会が必要としていたことを振り返れば、この先、人類が向かう社会は、もっと過酷な社会になると予想できるだろう。

 

私たちは自然界の厳しさによって淘汰されていくのか、人工環境の厳しさによって淘汰されていくのかを問われているのかもしれない(ただし、人工環境には、決して淘汰される側にならない支配者たちが君臨していることを忘れてはいけない)。

 

こうして、人類史を正しく振り返ってみると、私たちが生きる世界は、理想を追って夢を実現していくことのできる世界ではなく、命の運命に従って生きていくことしか許されない世界なのではないかということが見えてくる。マスコミは決してそんなことを教えず、ほとんどの本もまだまだ理想を追うことを称賛しつづけている。だから、テレビを消し、新聞を捨て、名著と言われている本たちも手放して、この疑問について、じっくり考えてみるべきなのだと、私は考えている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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