毎日出てゐる青い空

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とほ徒歩トホホ

歩くことで

私たちはあっというまに

太古の世界に戻ることができなる。

 

自動車や電車を使って1時間もあれば行けた場所が、

一日を要する遠い場所に変わる。

 

服装や持ち物も考えなくてはいけない。

 

一日歩き続ければ喉も乾けば汗も出る。

腹だって減るだろうし、

足に豆ができるかもしれない。

 

持ち運ぶ荷物も絞り込まなくてはいけない。

食品の腐敗に気を付ける必要もあるだろう。

 

何より、歩いている間は、他にほとんど何もできないという事実がある。

 

移動手段を徒歩だけに変えて見れば、

私たちは本来一日にわずかな行動しかできない存在なのだ

ということがわかってくる。

 

わずかなエネルギーを消費し、

本当に必要なことに絞り込んだ活動に従事し、

大きな荷物を運ぶよりは自分からその場所まで移動する。

 

昔の人たちが足早であった理由も納得がいく。

とにかく、徒歩は遅いのだ。

 

歩くことは、歩く暮らしを思い出させる。

人間にとってスイカとは何か』と問えば、

スイカさえあれば人は生きていけると答えが返る。

 

歩くことは、太古と現在との違いを明らかにする。

 

多くの物を動かす必要のある現在の世界は、

エネルギーの大量消費なしには成り立たない。

エネルギーを大量に作り出すためには、

たくさんの物を動かす必要があり、

たくさんの資源を消費する必要もある。

 

資源の限られた世界に住み続ける限り、

こんなあり方が続かないことは誰の目にも明らかだ。

 

それでも、人はエネルギーの消費を拡大していく。

エコロジカルな暮らしを続けて来た人々は、

文明の支配者たちによって征服されて

殖産興業へ(ロスチャイルドが暗躍した江戸→明治)、

経済発展(ハワイ王国)へと追いやられる

(名目上はよりよい生活のためである)。

 

子どもの遊び場はなくなり、

子どもの遊び時間もなくなり、

家族のだんらんも地域活動もなくなって、

すべてがグローバル企業の商業活動に組み込まれていく。

 

寿命が延びようが、

娯楽が増えようが、

徒歩の暮らしにあった安らぎや

直接的な経験はほとんど失われているのである。

 

これまで手つかずだった資源に手をつけて、

人が一日に可能な経済活動を拡大させることで、

支配者たちの身入りを拡大した世界ができあがったのだ。

 

決して続くはずがなく、

決して幸せでもないが、

地球環境を確実に破壊していく。

 

資源の限られる地上に生きる私たちは、

大量の資源を消費する輸送力に頼ることはできず、

歩くことしかできなはずの存在である。

本来歩くことしかできない私たちにとって可能な生き方は、

極く限られた生き方でしかないはずなのである。

 

 

 

 

 

 

 

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