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毎日出てゐる青い空

日々雑感をつづります。ホームページでは本の紹介などもしています。

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「本能」を野放しにしないためには教育が必要であるという嘘

たまたま、最近読んだ本に同じような内容が記されていた。

一冊は、『光り輝く未来が、沖永良部島にあった!』である。

 

山折哲雄先生の著書『ひとり達人のススメ』(主婦の友社、2012年)に、「人間は飼い馴らさないと野生化する」という内容の文章が載っていました。曰く、スポーツ、宗教、学校、軍隊はそのために存在し、これらが機能を果たさないと、例えばいじめが起こるというのです。『成長と発展の概念を変える』というのは、まさにこのことではないかと思います。「飼い馴らす」という表現は、個人的にはあまり好きではありませんが、ここでは別に「服従させる」という意味で使われているのではないでしょうか。
「野生化する」ということが、本能で行動すること、すなわち最終的には平気で殺戮が起きるような、力だけの世界だとすれば、「飼い馴らす」とは、知を総動員して自分のことを思い、他者のことを思い、自分と他者との関わりを思い、自分と他者と地球のことを思い、そのうえで行動できることを指すのだと思います。(190ページ)

 

 

もう一冊は、『自己暗示』。訳者の河野徹氏の言葉である。

人間は、ホモ・サピエンス(知性的人間)である前にホモ・ビオロギカ(生物的人間)であるといわれている。クーエは意識を騎手、無意識をウマにたとえており、アメリカの脳生理学者マックリンもやはり、大脳皮質と大脳辺縁系の関係を同じ比喩で示しているらしい。ウマは例外なしに荒れウマで、幼時にうまく馴らしておかないと騎手は落馬を免れない。いったん馴らしてあっても、不完全な馴らし方だと、やがてときならぬ時に、手綱さばきのちょっとしたヘマで、たちまち調教前と同じ手のつけられない状態に立ち戻ってしまう。このウマと騎手の比喩は、精神の二重構造をいいえて妙である。騎手とウマとどちらが重要か――こんな考え方は、男女のどちらが重要かという愚問と撰ぶところがない。騎手がウマの習性を無視して思いやりのない調教を施せば、ウマは断乎として騎手に反抗しつづけるにちがいない。しかし騎手がウマの習性を尊重して思いやりのある調教を施せば、ウマは欣然として騎手に協調し、一心同体の実をあげてくれるだろう。(159ページ)

 

いずれにしても、私たちの本来の性質は「荒れウマ」や「野生」と表現せざるをえない、手のつけられない状態であると考えられている。このような本性を持つ存在が、社会生活を営むためには、矯正が必要であるというのである。

 

私が猫の親子と暮らし、学校のない社会での子育てや動物たちの子育てについて本で知識を得て知るのは、まったく逆の事実である。

 

子どもたちに必要なのは安心していられる環境であり、遊ぶことのできる環境である。親に甘えながら、子どもたちは教えられるのではなく自分で少しずつ分別をつけていく。危険な相手なのかどうか。遊び相手になるのかどうか。どう行動すればよいのか。

 

こうして、教育を受けないで育った子どもたちは、個性の豊かな自主性の高い大人になる。『逝きし世の面影』には、子どもの楽園だった江戸時代の日本で、青年たちは手のつけられない存在であると苦言が呈されている。学校のない未開と呼ばれる社会の大人たちは、いうことを利かせるのが困難である。他人のために重い荷物を背負わされれば、とっとと逃げ出して帰ってこない。

 

学校も宗教も国家も裁判所も刑務所もない社会で、どのように人々が秩序を保っているのかを知るには、動物たちの世界を知ればよい。ヒトは言葉を持つために、動物たちとはまるで違う生き物であるかのように感じるかもしれないが、ヒトの本来の暮らし(150人ほどの集団をつくり、農耕も牧畜も行わず、一定の地域内を遊動しながら暮らす)に近づけば近づくほど、動物たちと同じ力学によって秩序が保たれていることがわかる。

 

私たちの体は、体からのメッセージに従うことで、比較的生き残りやすいようにできている。美味しいもの、気持ちのよいもの、よい香りのものは体によく、まずいもの、不快なもの、悪い臭いのものは体に悪い。心もまた同じであり、本来の生き方をしているのであれば、私たちの心が答えを教えてくれるようになっている。

 

ある程度の大きさの集団を作ることが生存に有利に働く世界で生きていた私たちの祖先は、私たちに、集団生活を送ることに適した心の仕組みを残してくれたはずなのである。外から積極的に教育してやらなければならないような心ではないはずなのだ。

 

もし、教育や訓練が必要なのだとすれば、それは私たちの生きている世界が、本来の性質とは相いれない、不自然な状況になっていることの証拠でしかないと、私は感じるのである。

 

元々必要のなかった、スポーツ、宗教、学校、軍隊を必要とするのは、私たちではなく、私たちを資源としか見ていない者たちなのではないだろうか。

 

主婦の友といえば、LIFEと並んで、開戦に向けて女性たちをあおった雑誌であった。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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