オオカミに育てられた少女
教育の重要性を説くために、広く教えられてきた「オオカミに育てられた少女」アマラとカマラ。どうやら、二人は精神障害を抱えたいた子どもたちであり、キリスト教伝道師ジョセフ・シングによる創作がかなり入った話であったらしい。
私も、学生時代にこの話を教えられ、教育は必要だと思い込んでいた。
しかし、動物に関する多くの本*を読み、猫の親子と暮らしてみると、動物たちは決して荒々しいだけの世界に生きているわけではなく、無秩序でもないことがわかってきた。
猫は猫どうしでも、猫と人の間でも、猫と他の動物たち間でも、相手の反応を見ながら生きている。親子や兄弟という関係も、誰に教わるわけでもないのにできあがっていく。猫の子育ては、手抜きのように見えたり、スパルタのように見えたしても、子猫たちはすくすくと育って、いつの間にか卒乳している。
人間は他の動物たちとは違い、大脳新皮質の極端に発達する生き物なのだから、同じように考えることはできないという意見にも私は同意できない。
ピダハン**、ピグミー***、ヘアーインディアン***たちの子育てを知ると、子どものやることをできるだけそのまま見守るという様子はチンパンジーやゴリラの子育てに近く、しかも、子どもたちは理想的な成長をとげていくのである。子どもたちが、他の動物たちのように、自分自身の体験から得ていく処世術は、親や社会が一方的に教え込む教育よりも、本質に近いようなのだ。
伝道師が嘘をついてまで強調しようとした教育の重要性は、本当は、人を理想的な成長から遠ざけている根本原因であるかもしれないのだ。
『イノシシ母ちゃんにドキドキ』
『森の奥の巨神たち』
『15歳の寺子屋 ゴリラは語る』
『人とサルの違いがわかる本 知力から体力、感情力、社会力まで全部比較しました』
****『子どもの文化人類学』