毎日出てゐる青い空

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一歩一歩、歩いてこその命

ホワイトベースというバイク屋さんの動画を見ていたら、「どんなバイクを買えばよいですか」という質問に、どんなバイクでもよいと回答されていました。バイクはライダーが風を受けて乗る二輪車である以上、オフ車だから高速道路を走れないとか、長距離ツーリングできないというのではなく、自分がそうしたいと決めればできるのだというのです。もし快適さを求めるのなら四輪にしなさいと。バイクとは過程を楽しむものであって、移動手段ではないのだと。

 

この話を聞いて、最近ずっと考えていた、科学技術の進歩を否定する根拠をうまく人に伝えるにはどのように表現すればよいのかの答えを得た気がしました。文明社会に暮らす私たちは文明の恩恵をたくさん受けています。生活は快適で、世界中の料理を味わったり、一日中ネットで楽しんだりできます。その変り、昔の人たちと比べると、生きている実感はすっかり失ってしまっています。

 

未開と呼ばれていた人たちの生活を見ると、初潮を迎えたことを社会全体に知らせることになっていたり、誰かが死にかけているとなると皆が集まってよく死ねるように励ましたり、夜になってもなかなか寝ないで話や歌で時間を過ごしていたりと、命の活動そのものと暮らしの結びつきが強くなっています。不便であることこそが人の生を充実させて、命を感じる生き方を実現しているようなのです。

 

科学技術が進歩して快適になっても、それは、私たちに命の実感を与えてはくれません。不便な生活の中で肉体の苦痛を通じて初めて私たちは生きていることを実感でき、命の活動に沿って生きることができる、それが生きている私たちの真実だから、文明の恩恵に目を奪われていてはいけない。これが私の感じる命の姿です。

 

 

 

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