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毎日出てゐる青い空

日々雑感をつづります。ホームページでは本の紹介などもしています。

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アボリジニーの作っていた世界は、福岡伸一氏の説明する生命の世界のようであった

『家畜になった日本人』で複数回にわたって登場してきた研究者、新保満氏の本を入手してみた。『野生と文明―オーストラリア原住民の間で』である。この本の最初の部分に描かれているアボリジニーの暮らしは、福岡伸一氏の本を読んで、「人類の理想的な生き方はこれだ」とピンときた生き方そのものであった。

 

図書館で借りた本であったため書名も正確な表記もはっきりとはわからないが『動的平衡』か『センスオブワンダーを探して』だったと思う。人間の身体には、全体を知っている細胞は一つもないが、総体として問題なく機能しているという意味のことが書いてあった。私たちは単一の脳によって全体を制御していると思い込みがちだが、脳が身体全体を制御しているわけでもなければ、脳全体が一つの細胞であるというわけでもない。それぞれの細胞はそれぞれの機能を果たしているにすぎず、全体のことは知らないにも関わらず、身体全体の機能が正常に実現されるというのである。

 

人類は今、人口増加、環境汚染、種の絶滅、資源の枯渇などの問題を抱えている。この局面を打開できる方法を、私は、この福岡氏の話から思いついたのである。人体は数えきれないほどの細胞で構成されている。これと同じように、地球も世界統一政府とは逆に、極端に小さな部分に分割することでしか問題を解決できないのではないかと発想したのだ。多数の部族に別れてそれぞれ狭い生活圏を持ち、その生活圏だけの存続に努めていけば、人体の機能が保たれるのと同じように、地球全体の環境が保たるだろう。なぜなら、人口増加も環境汚染も資源の枯渇もその地域固有の問題となって、責任を持って対処する以外に生き残りはなくなるからである。

 

前置きが長くなってしまった。では、『野生と文明―オーストラリア原住民の間で』から、アボリジニの暮らしを描いた部分を引用しよう。なお、アボリジニーは単一の言語を持っていたわけではなく、中には、互いに通じあわないほどに異なる言葉を話す人々がたとえばシドニー湾を挟んで住んでいたこともあるくらい言語が多様であったということをあらかじめお伝えしておきたい。

  話の順序として、アボリジニーとはどんな人々かを述べておくべきであろう。ごく特殊な立場にある方々を除き、オーストラリアのアボリジーについて正確な知識をお持ちの日本人は少ないと予想されるからである。

  おそらく南アジアのどこかに起源を持つ一群の人々が、マレー半島、現在のインドネシアとニュー・ギニアを伝って、現在のオーストラリア大陸北端に上陸したのは約四万年前である。彼らはタスマニアタスマニアが大陸と切り離されたのは約一万年前のことである)を含めて全オーストラリアに拡がった。人種的には、コーカソイド(白人種)でもモンゴロイド(黄白人種)でもニグロイド(黒人種)でもない。皮膚の色は褐色から黒色だが、一部のオーストラリア人類学者は彼らをオーストラロイド(オーストラリア人種)と呼んでいる。白人との大規模な接触が始まった一八世紀後葉には、約五〇〇の部族に分れる三〇万人ほどのアボリジニーがいたと推定されている。

  「宗教はその社会の『理論』だ」といわれる。アボリジニーの場合、これは至言なのであって、彼らの「神々の時代」(Eternal Dreamtime)に関する理解なくしては、この人々を理解できない。

  大昔の話である。アボリジニーの先祖と考えられている精霊がこの大陸を縦横に歩き廻っていた。精霊達は休むたびごとに、その場処に魂を持つ生き物を創って行った。この「場処」がその「魂を持つ生き物」(人間を含む)の「属すべき土地」(カントリーという)なのである。故に、各部族は、彼らの先祖が旅をしたことに関する神話と、その先祖に属するカントリーとを所有している。このカントリーは、彼らの先祖の「霊の世界」を含み、その霊の世界は物理的境界(砂漠、岩山、樹木、沼等々)よりもアボリジニーにとって重要な意味を持つのである。各部族のカントリーは、同部族に属する氏族に分族し、各氏族はその土地に対する占有権をもつ。その占有権は、彼らの先祖がここで休んだ、ここで何を造ったという神話によって正当化される。アボリジニーの神話、(宗教的な)歌と舞踊、宗教的儀式は、すべて「神々の時代」の一部と信じられている。故に、「神々の時代」は「大昔(過去)」であるにもかかわらず、「現在の一部」でもある。アボリジニーは、霊的な世界と物理的な世界の両界に同時に生きているのである。この信仰は、彼らの生活のあらゆる面に滲透し、彼らの特殊な文化と社会組織とを作り上げていたのである。

(中略)

  アボリジニー宗教的な人々だった。彼らは、自分達の先祖の霊が、彼らの生存に必要なものをすべて備えてくれると信じて疑わなかった。その意味で、将来について心をわずらわせることをしなかった。だから、将来を考えて計画をたて、その計画遂行に努力を傾注する行動様式――将来志向――はアボリジニーの伝統的文化には欠如していたのである。ただ一つの例外は、先に触れた「約束結婚」の制度である。

(中略)

  要約しよう。白人と接触する以前のアボリジニーは、神々の時代と自由な交流をもつ悠久の世界に生きていた。オーストラリアの全土は、アボリジニーによって寸土もあまさず所有されていた。そして、現在のわれわれからみると決して楽な生活ではなかったが、彼らは充実した生活を送っていたのである。(14-21ページ)

 

 

30万人のアボリジニーがおよそ500の部族に分かれていたいうことは、1部族あたりわずか600人ということになる。これはピダハンやヘアーインディアンの400人程度とさほど変わらない人数である。このそれぞれ少人数で構成された多くの部族がオーストラリアを細かく分割して、神話に従って占領権を有している。そこで営まれる、アボリジニーの生活は、家畜も農耕もなく、やはり他の狩猟採取者たちと同様に、生存に必要なものは必ず与えられると信じる暮らしである。

 

部族どうしは完全に没交渉なのではなく、交易も行っていたようであるが、先に言及したように、長い時の経過とともに互いに言葉が通じなくなるほど、部族ごとの独立性は高かったのである。

 

このアボリジニーの暮らし方は、先に示した、福岡氏の本を読んで得た私の発想と何と近いことだろう。いや、神話によって占有権が定められているという点で、むしろずっと先をいった制度といえるだろう。

 

現実には、白人たちとの不幸な出会いによって、アボリジニーの世界は終わりを告げることになってしまった。仮に、その前に、アボリジニーの一部族が神話を捨てて定住を開始し、農耕や牧畜を始めたとしたらどうだろう。それが、国家の始まりとなり、不幸の始まりとなっていたのではないだろうか。

 

 

 

 

 

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