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毎日出てゐる青い空

日々雑感をつづります。ホームページでは本の紹介などもしています。

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「ことば」について

このまえ『治療という幻想』という本を読んだんだけれど、

言葉の治療について書いてあったんだ。

これが、なかなか深いところを突いた話だったものだから、

自分も、前から考えていたことも併せて書いておきたい

と思ってこれを書いている。

 

昔、布団に入って考えていたのは、この図のようなこと。

 

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一番左にあるのがことばで切り取られていない状態。

真ん中と右は、日本語と英語など、違う言語でこの状態の一部に名前を付けた状態。

 

言葉は、この図みたいに、境目のないところに

境目を付けて、名前を付けることなんだなぁと考えていたんだ。

境目を付けたとたんに、もともとの淡い色合いは消えてしまう。 

 

他の人も当然同じようなことを考えていて、

そういう文章を読んでみると、

人によっても違うということも考えなきゃいけないみたいだよね。

 

それで、言葉って、やっかいだなあぐらいに考えていたんだけれど、

『治療と言う幻想』を読んで、はっとさせられたんだ。

 

アメリカに留学して、英語を聞くのも嫌だと言う気持ちになっていたときに

英語でしゃべっている夢を見て、その夢のことも英語で考えている自分に気づいたとたん、ことば恐怖症がまったく消えてしまったそうなんだ。この体験から次のような考えが続いている。

 

その事件を境に、筆者は自分のなかにいくつかの人格があると感じるようになった。たとえば、日本語で考える自分と英語で考える自分とは、別の人格のように思えるところがある。この最大の原因は、単純に結論付けようとすれば語彙の差、文章力の差という語学力の問題に帰結するのかもしれない。つまり、英語だけで考えて生活していると、単語数も限られているから、考え方やものの感じ方も大ざっぱになるのだといった風に。筆者も初めはそのように納得していたのだが、どうもそればかりではないような気がする。

この体験を、同時通訳のベテランに話したところ、彼女は「同時通訳は、心の中の二つの世界の対話です。決して右から左へ物を整理し、移し換えるということばの置き換えだけではない緊張と分裂を自己の中に生み出す作業です」と語ってくれた。

英語と日本語は、脳内でもことばとしてしまい込まれる場所が異なるのだという説がある。例えば、読字困難症、読字学習障害が欧米に多く、日本に少ないのは、漢字は表形文字であり図形として脳に入るのに、アルファベットは表音文字として脳に入るからだという。今流行の右脳左脳風にいうなら、鈴虫の鳴く音を音楽としてとらえるか雑音としてとらえるかといった文化差と、脳の部位の対応の問題と対比して考えればよいのかもしれない。二つの人格の存在は、こう考えると説明がつく。また、一方では、文法構造の差が論理構造を変え、文化や発想までを変えるのだという説もある。

しかし、関西で生れ育った筆者のなかでは、英語と日本語だけではなく、関西弁と標準語すらが根深い所で別の人格を形成しているように思われる。ことばは、それ自体が思考・体験・思想・文化・感情・意志・情緒をひきずって歩いているとさえ感じられる。(216-217ページ)

 

これを読むと、言葉はただの道具というには危ないものなんだと思えてくるでしょ?自分たちが便利に道具を使っているはずが、逆に道具に使われて、一生を道具に操られているみたいなものだと思えてくる。

 

きっと、その通りなんだよね。自分でも気づかないうちに、ことばを使うことに馴らされてしまって、ことばの前にある状態(図の左端)をほとんど考えなくなって、ことばで切り取られた世界だけが本当だというように思いこんだり、ことばの積み重ねだけでよしとしたりしていってるんだよね。

 

困ったことに、この力関係はぜったいに変わらない関係なんだよね。言葉を使おうとしたとたんに言葉に使われてしまって、伝えようとした内容から遠ざかっていってしまう。水彩と油彩のように、ピアノとギターのように、使う道具に合わせて自分が変わってしまう。

 

見方を変えてみると、言葉に頼ることをやめようとしたときに、やっと本当の世界が見えてくるし、その世界はきっと世界中のだれでもおなじように受け取ることができて、犬や猫やとりたちも同じように受け取っている世界なんだろうね。きっとそこにしか、本当の世界はないんだ。

 

ことばは、便利な道具だけれどやっぱり道具にすぎなくって道具の欠点を同じように持ってる。ことばは、それだけじゃなくて、僕たちの生き方を知らないうちに操作していく。ことばに頼ってはいけないんだ。

 

 

 

治療という幻想―障害の医療からみえること

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