毎日出てゐる青い空

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『ひとの居場所をつくる』メモ書き

ひとの居場所をつくる―ランドスケープ・デザイナー 田瀬理夫さんの話をつうじて』から、メモ書きです。

誰かに言われるままに働いたり生きたり、自分で考えることの出来ない精神状態には陥らずに、心と頭と身体をちゃんと動かしながら、日々の暮らしや仕事を少しでも良くしようとしてゆくことが、”文化的”な営みだと思っている。(013)

狩猟採集生活に着目するようになって、学歴や医療保険住宅ローンの馬鹿らしさを知ってみると、「日々の暮らしや仕事を少しでも良くしよう」という言葉の内容について考えることは本当に難しいと感じるようにもなった。

 

すごく大事な話なんですよ。木曽に天領、つまり幕府の森があった。そこの木は1本でも伐ると死罪になる。

けどその山林の周りには農業を営んでいる人たちがいて、彼らは入会地として下草刈りをして森を維持したり、あわせて薪炭や肥料用の落葉を採取しながら慎ましく暮らしていたわけです。

 

ところが明治維新になって法律も改められ、入会地もすべて取り上げられて「一切まかり成らぬ」という話になってしまう。(060)

狩猟採集社会はいざ知らず、文明社会では絶対的な権力によって自然を管理することがぜひとも必要であったが、明治期にこの国の中枢に入りこんだ勢力は、自然を保護することよりも富国に向かわせるためにこのような政策を盛り込んだのであろう。トンガの王室による自然保護も江戸時代の状況と似ている点に注目したい。

 

明治の地租改正と、戦後のGHQによる左寄りの政策や税制を通じて、この国の土地は細かく分割されてきた。(063)

これは、明治期にそれ以前の日本は完全に滅び、世界の中で植民地的な位置付けを与えられたと見ると説明しやすい。特に陰謀論を初めとするさまざまな視点から描いた歴史書を読んで、学校やメディアの伝える歴史にもほとんど根拠がないことを知ると、このような考え方も受け入れることができるようになる。

 

こうしてだんだん、「自分たちでやらざるを得ないんじゃないか」という流れになっていった。ある頃「もうこれは出来ないね」と話し合ったんです。実現しなかったプロジェクトは、結局のところどれも既成の枠組みの中でクライアント側の事情によって頓挫してゆく。(081)

田瀬さんのやろうとしていることは、日本を植民地として位置付けておきたい側からすると不都合なことばかりです。だから、頓挫せざるを得ない。このことはテレビ報道を見ているとよくわかります。ある企業のバッシング報道が発生する背景、ある法律が通らない不思議。どれも、同じ方向を向いています。

 

でも最近の学生たちには、卒業と同時に学資ローンの返済義務が生じる人が多いんですね。だから自分の学習機会を確保したくても、わずか1年も無収入に耐えられない。(088)

これも同じ事情によると思われます。日本人にエリートになられたり独創性を発揮されたりしたくない人々が日本をこのような国にしていると考えるべきなのです。学習機会を確保することは、衣食住を無償で得る可能性があり、さまざまな形で現金を要求されることのない、かつての生活のほうが簡単だったろうと思われます。

 

20年、50年後の国際ツーリズムを目指すくらいの生業をイメージして、暮らしを取り戻してゆけるといい。人の数が少なくなったって、いい生業をやりながら豊かに暮らしてゆけばいいんですよ。(098)

観光はいけません。観光地になって幸せになった場所はヨーロッパにはあるかもしれませんが、日本にも同じ条件が許されると考えることは大間違いです。なぜなら、日本は、住民の生活を豊かに保った観光地ではなく、外資によって支配された観光用に造られた観光地として位置付けられている国なのでしょうから。

 

生まれたのは市ヶ谷・仲之町というところ。外堀の水はいまは緑色だけど、僕が小さかった頃、昭和20年代後半から30年頃はすごく澄んでいた。水中に藻がたくさん生えていて、戦後の食糧難で入れた魚たちが泳いでいる姿が見えて、それを釣って家の池で飼ったりしてね。(118)

古本を読み始めて気づいたことは、昭和40年代頃までに大きな変化が生じて急に人と環境の健康が失われたことです。砂糖、化学肥料、農薬などの薬品、石油製品、自動車が生活に入り込んで、歯並びを悪くし、腰を締めつけるゴム紐が健康を損なわせ、食べ物の栄養と味が極端に落ち、遊び場がなくなり、川を濁らせていきました。陰謀論を知った今となっては、このすべての出所が一カ所であることにいやでも気づかされます。

 

たとえば、いま東京で人口が急増しているのは汐留や豊洲あたりで、新築の高層マンションに若い人たちが入ってゆく。でもそういう人たちってなにも生みださないでしょう。ゴミを出して、排熱して、「保育園たくさんつくれ」と言っているだけで。(147)

当の住人たちにしてみれば、「こんなに仕事をしてこんなに稼いでいるのに何を言い出すんだ」という感じかもしれません。しかし、実態はこのとおりでしょう。テレビ局のセットの中で生活しているようなもので、そこに住む意味はまるでなく、自分たちがまちの風景を作ることに関わることはできません。

 

たとえば造園のディテール、というか工事の質は、職人さんの気分によってすごく変わるんですよね。来ているのは同じ職人さんでも、棟梁が変わると、「今度の仕事は」という感じでまた変わっていく。(191)

属人性を残すことの大切さを感じます。だれがやっても同じということは、何の楽しみもないということとほとんど同義なのではないでしょうか。

 

誰かが膨大な時間を投じて研究して書いているわけです。いい本からはそのエネルギーが伝わってくるから。僕は『環境保護とイギリス農業』は何度も読んでいるし、座右の書の一つは斎藤一雄さんの『緑化土木』ですよね。もう何度も読んでいる。(198)

やはり、長年の経験を元に書かれた本には、伝わってくるものがあります。それが専門書ではなく、一般向けに書かれた読みやすい本であってもです。そんな本も、やはり1980年くらいまでの本に多いと感じます。

 

 

 

 

 

 

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