唯物論でこそ精霊がよみがえる
かつて、私たちの世界は精霊に守られていました。
死後、私たち自身もあの世に帰るのではなく、地上に留まっていました。
河童ややまびこも精霊であれば、鬼や神も精霊でした。
私たちは世界を支配する存在ではなく、
世界に支配される存在として、
私たちの理解を超える存在を精霊としてとらえて暮らしてきました。
その結果、人の勝手な都合で世界を変えることはできないものとされ、
世界と調和しながら生きることができていました。
つまり、精霊とは、「人は世界に属している」という事実を正しく
認識させる機能を具体化した存在であって、想像の産物や、
無意味な迷信ではなく、どうしても必要な存在であったのです。
だから私たちはその気になりさえすれば、
精霊の存在を感じとることができるように作られています。
以上はあくまでも、世界を物質的にとらえる世界観です。
似たような世界観として精神世界があります。
そこでは霊的な存在が重視されており、
物質的な世界はむしろかりそめとして扱われる傾向があります。
しかし、私の立場とそのような把握の仕方は180度違っています。
唯物論を受け入れ、人間の限界を受け入れるとき、精霊は蘇ります。
一方、物質と精神とを分けて考える把握の仕方は
1万2千年前に始まった文明の産物に他なりません。
そのような在り方は、現実社会がそうであるように、
結局は精霊を滅ぼし、その結果、人の成り立つ基盤である
物質世界を荒廃させてしまいます。
私たちは文明社会に生きて文明の価値観に染まってしまっています。
まずこのことに気が付き、文明否定を受け入れたとき、
ようやく本来の姿が見え始めるのだと
私は思います。