毎日出てゐる青い空

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漁師とMBAと『ゾミア』

以前、漁師とMBAでは、

一生懸命努力した結果得られる暮らしは

すでに実現されている暮らしにすぎないだけでなく、

努力した分だけ周囲に悪影響を与える生き方であると指摘した。

 

ゾミア』を読むことで、もう一つ見えてきたことがある。

 

文明・国家に組み込まれるということは、

前者(漁師)のような暮らしは許されず、

後者(コンサルタント)のようにあくせくと働き、

経済規模を拡大しながら暮らすしかなくなるということを

意味しているのだということである。

 

文明・国家の主導者たちを養い、他の勢力との争いに勝つために、

民は労働に励み、余剰を生むことを要求される。

平等主義に基づくとされるインカ帝国や、

逝きし世の面影』に登場する、素場らしい江戸期日本であっても、

人々は厳重に管理され、労働を課されていた。

現在の世界では、

元々気温が低く降水量も少ない貧しい地域であるヨーロッパが

豊かになった分だけ、他の地域からの略奪が続いている。

通信技術や輸送技術が発達し、インフラが整備されるほど、

この文明からの逃げ場がなくなって

せちがらい世の中になっている。

 

漁師の村が国家・文明に組み込まれる結果、

電気が引かれ、水道ができ、年金制度や健康保険制度ができていく。

裸体を禁じられ、伝統宗教を否定され、教育やワクチン接種が義務化されて、

現金収入が必要になっていく。

収入を上げるために、人々は故郷を離れ、都市に集まっていく。

国家・文明は、地方と都市の格差を高めることで、

効率のよい搾取を目指していく。

 

人々は、便利で快適な暮らしを与えられていると洗脳されているが、

その代償としてすでに家畜化されていることに気付いていない。

つまり、人々が描く夢や、人々の暮らしの在り方は、

文明・国家によって規定された枠組みに収まる必要があるのである。

さらに、この便利で快適な暮らしは、

究極的には幻に過ぎないのだが、文明・国家から与えられる情報は

この事実を人々の目から遠ざけるのである。

 

文明化されていない暮らしには、

長期間にわたる抑圧状態がなく、

したがって体系化された宗教を必要としない。

荘厳な儀式もなければ、立派な墓も家系図もない。

 

私たちは誰ひとり幸せにしない文明の幻から目覚める時期に来ている。

人の本来の暮らしは、平等な分配、秘密を持つことの禁止、私有の制限を前提とし、

全員による話し合いと合意を原則とする、

狩猟採集で暮らす人々のような暮らしであるはずなのである。 

 

 

 

 

ピダハン』によって快適な生き方が非文明社会に存在することを知った私は、

『ゾミア』によって、非文明社会だからこそ

快適な生き方が可能なのだと理解した。

 

他の動物たちと同じようにエゴイスティックな動物の一種であるという

事実から離れることは決してできない人という動物。

この動物(人)にとって大規模な組織や文明社会は、

悪夢のような存在なのであった。

 

 

 

 

 

 

 

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