毎日出てゐる青い空

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八丈小島 『黒潮の瞳とともに―八丈小島は生きていた』

黒潮の瞳とともに―八丈小島は生きていた』という本が

私の手元にあります。現時点では、古本市場に出品されていない本です。

 

八丈島の西7.5kmにある八丈小島には

今から50年弱前の1969年まで村があり、

最盛期には500名余りが住んでいたそうです。

 

村があったとは言っても、電気も水道もなく、

電気は発電機による薄暗い電灯がともるくらい、

水は雨水が頼りで、医者もなく、

八丈島との行き来も数日間にわたって遮断されるような

場所でした。

 

この島に最後まで残った120名余りの人々が

集団離島を選択した背景には、以下の理由が上げられています。

1. 電気、水道、医療の施設がない。

2. 生活水準格差の増大。

3. 人口過疎の傾向が甚大である。

4. 子弟の教育の隘路。

 

いずれも、現在も続く、過疎地域に共通する問題です。

 

私の故郷も、電気、水道こそあるものの

無医村になりかかっており、その他の問題は

そのままあてはまります。

 

ただ、このような状況にあっても、全員離島に反対する人もあり、

中にはみずから命を絶ってしまった人もありました。

 

そして、離島当時小学生だった島の子どもが

二十五年ぶりに島を訪問して言い切りました。

 

「小島に、こうしているだけで、気分がすっきりするんじゃ。小島はいい・・・・・・」

 

著者は次のように続けています。

その後、たしかに日本は急成長し、世界でも指おりの経済大国となりました。しかし、その成長は弱者を吸収していくという、経済原則にのっとった経済大国の姿でもあったのです。外国に豊富な経済援助はできても、自分の内側にある、ちいさな島さえまもってやれないということが、それを証明しているのではないでしょうか。 

本当にその通りです。さらに続きます。 

もし行政が、八丈小島を「わずか百二十余名の島民しか住んでいないから……」と、人口のみで単純に割りきることをせずに、「ちいさな島に、百二十余名の尊い生命と、自然が息づいている」と、援助の手を差しのべ、港湾を整備し、電気、水道などの設置や、医師を派遣することなどを前向きに考えてさえいれば、島民が移住のための陳情書を提出することはなかったと思うのです。 

 

しかし、私は考えます。

港湾、電気、水道、医療などを整備していくこと自体が、小さな島の生活を破壊することにつながっており、さらには、あらゆる人々の生活を破壊することになっているのではないかと。

 

狩猟採集民たちは、運命を受け入れながら幸せに暮らしていて、しかも持続可能性を維持していることを知れば、今とは逆の方向に進むことが正解ではないかと思えてくるのです。

 

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