毎日出てゐる青い空

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老人と子供

ムブティの社会では、人生の最後の数年間がもっとも輝かしい時期になっている。子どもを生む時期がすぎた女性や狩猟活動から引退した男性は、ともに「タタ(祖父母)」という中性的な言葉で呼ばれるようになる。そして紛争のもとになる事柄とは無縁になり、人びとのあいだの媒介者あるいは仲裁者の役割をはたすようになる。 日中に人びとが狩猟に出かけたあとはキャンプに残り、子供と一緒に多くの時間をすごす。子供とともに遊び、いろいろな話を聞かせてやることによって、老人は自分が身につけてきた知恵を子供につたえるのである。「もうひとつの世界」すなわち「エキミ」の世界からやってきたばかりの子供たちと、そこに帰ってゆこうとしている老人たち。子供と同人はどちらも神聖な世界に近接している。人間は人生の終局の段階で、もっとも完璧な幸福に満ちた豊かな世界にもどってゆく。彼らのライフ・サイクルがこのようにめぐりゆくものであれば、ムブティが死を恐れないこともすこしも不思議ではない。死を祝福する儀礼である「モリモマングボ」のときにうたわれる歌は喜びの歌である。これ以上にふさわしいことがあるだろうか。(『豚と精霊―ライフ・サイクルの人類学』(57ページ)

 

 

豚と精霊―ライフ・サイクルの人類学

豚と精霊―ライフ・サイクルの人類学

 

 

こんな次第であるから、一日じゅうもし天候が変わらなければ舳倉の村はなんとなくひっそりとしてしまう。女たちと男ニ、三人の乗っている舟はどれもこれも、この島の周り一帯の海に拡がって、八~十五メートルの海底で仕事をしに出払ってしまっている。子どもらは島に残って、夏休み中ではあるし、一日じゅう水の中で遊んでいる。そして漁夫でない少しばかりの男たち、役所や灯台で働いている人、商人たち、数人の老人とうんと年寄った老婆たちが島に残っている。だがこの老婆たちは、この世界での感慨深い特別なおばあさんたちで、一生涯を海で過ごし、いま陸で役立たずに残っていることはできないのである。彼女たちが腰が曲がっているのを、乾ききって永年の年月と日にやけているのをご覧なさい。だが、しっかりしていて半裸体で岩礁から岩礁へと、彼女らだけが知っている隠れた場所にある食料を探しに、カニ、小魚、一掴みの海草などを岩穴などから採り出しに歩き回っている。よく少年一人を連れていたり、ニ、三人の女こ児と連れだっていることもある。そういうときに老婆は、海の秘密を教えて未来の海女たちを仕込むのでる。子どもたちを見ると、海の水から海女は自然発生するもののように思わせられるのだったが、お婆さんをみていると、その同じ海という自然力のなかに、この人たちの最後の溶解を暗にほのめかしてでもいるように、冗談半分ではあるが、そんな観察をしたりしたものだ。『[新版] 海女の島 舳倉島』(87、88ページ)

 

海女の島 舳倉島 〔新装版〕 (転換期を読む)

海女の島 舳倉島 〔新装版〕 (転換期を読む)

 

 

老人たちは自分の生きてきた人生の最後を子どもたちと過ごしながら、知恵を伝える存在であった。そして、そのまま静かに死んでいく存在であった。

 

 

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