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知的合理性と感情的合理性は異なる。知的合理性では人間社会は生きていけない。


テレフォン人生相談 2014-07-07 月曜日 - YouT

 

知的合理性と感情的合理性は違うが、感情は知識によって左右される。

 

 

 

サン(グウィ)は愛人との間の子でも、

婚姻関係上の父親が妊娠中の妻と何度も性行為を行うことや、

体液(血やつば)をまぜて傷に塗る儀式を行うことで、

愛情を持って育てることができるように世界観を作っている。

 

  

人間の身体は液体で満たされており、個々の人間を繋ぐものもまた、水である。人々は社会関係の「水たまり」に漂っている。婚外性交渉などで繋がった人々に葛藤が生じると、水面は波打ち、ツォリ(汚れ)が拡がる。そこで、人々は儀礼をおこなう。儀礼の焦点は、人と人を繋いでいる「水」、ツォリになった「水」を、実際に人間の身体から出すことにある。儀礼のやり方で「水」を人々が交換することによって、潜在的な世界と実践する世界が一致する。そうすると、波立った水面は以前のように平静になる。 - 『砂漠に生きる女たち カラハリ狩猟採集民の日常と儀礼』185ページ

 

本当は怖い動物の子育て』には、実の子ではない子を育てることが父親にとっていかに難しいのかが示されている。

 

 

科学がどんなに進歩しようと、人間は感情的合理性を優先しなければ生きていけない。だから、正義、愛、権利などさまざまな言葉を作って、誰かを犠牲にすること、自分のエゴを通すことを正当化する。

 

 

精神世界と物質世界が結びついて、西洋文明の世界征服が始まったように、高みを目指せば目指すほど、破壊活動が激しさを増すのは、人間は感情的合理性によって生きる存在であり、何度もツイートしているように、本質的にエサを争うサルと違わない存在だからなのだろう。

 

感情的合理性によって生きる人間という存在が、自分を知的な存在であると誤解して高みを目指せば、暮らしは持続可能でなくなってしまう。人間は感情的な存在であると了解し、グウィやピダハンのように持続可能な暮らしを支える世界観を作っていくことが必要なのだろう。

 

 

人間はやはり、河童が実在する世界に住んでいる。

 

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