私は古代人
テレビをやめ、家人と議論し、本を読むことで、
私の目に古代人の姿が次第に見えてきている。
まだ農耕を知らない古い時代の姿である。
森に入り、食べられるものを集めることにしよう。
現代を生きる私たちにはどこに行けばいいのか、
何を集めればいいのかさっぱりわからない。
古代では、経験・知恵・体力・運のよさがなければ
十分な食糧を得られない。
このことが、ただ食糧を得るだけの作業を
無上の喜びに代えてくれる。
何もすることのない夜、
古代人たちは、焚き火を囲んで歌や語りを楽しんだことだろう。
その歌や語りが、明日を生きる新しい力の源になっている。
鳥の習性、魚の習性、季節のことなどが語られたことだろう。
多くの生と死が身の回りで繰り返され、
運が良くても、おそらく、初老を迎えるころには死が待っている。
しかし、自らの力で生き、感動を味わった日々が
短い人生を豊かにしてくれていただろう。
現代社会のいろいろな場面で、
このような古代人の生活を思い浮かべてみる。
学歴、法律、貨幣経済など、さまざまな不要な仕組みが
人々から生きる力・生きる喜びを奪っている実態が
見えてくる。