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毎日出てゐる青い空

日々雑感をつづります。ホームページでは本の紹介などもしています。

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河童は実在する

河童が空想上の生き物であることは承知していても

今の私は、「河童は実在する」と言いたくなっている。

 

先日読んだ『一万年前 気候大変動による食糧革命、そして文明誕生へ』

 で、小麦栽培と牧畜の文明が自然破壊を引き起こす一方で、

漁撈と稲作の文明は自然と共生する文明であるという解釈を知った。

 

これに関連し、同じく安田義憲氏による『蛇と十字架 東西の風土と宗教』

 

蛇と十字架―東西の風土と宗教

蛇と十字架―東西の風土と宗教

 

 を読み、「日の当たらない森の中」の重要性を知ったためである。

 

かつて、森の中、森の近くで暮らし、多神教の世界で蛇を信仰していた人々。

気候の変動や技術革新によって森が切り開かれていく中、

蛇を退治して天空を統治する唯一神を信じるようになっていく。

かつての信仰の対象であった蛇は逆に邪悪な存在として扱われるようになる。

 

ここに、身近な場所から日の当たらない部分がなくなり、

精霊の住処が失われていく過程が描かれている。

 

元々存在していなかった精霊が、いないと証明されて何が

不都合なのかという考えもあるだろう。

では、元々存在していない神が、いないと証明されると考えたなら

どうなのだろう。

この場合、「神はいない」と述べた私は、

無神論者、倫理観に欠ける人間、利己主義者などと非難されるだろうか。

 

逆に、「河童はいる」と述べることは

非常識なことなのだろうか?

 

実は、人間にとって、河童が物理的に存在するかどうかが

本当の問題なのではないはずだ。

自分自身(または社会)が河童の実在を信じるかどうかだけが重要なはずだ。

 

なぜなら、人間にとっての真実は物理的な真実なのではなく

あくまで、肉体を通して受け入れる事実だからだ。

つまり、物理的事実を受け入れることで、

自分自身の存在が危うくなるのであれば、

物理的事実をさっさと捨て去ってしまわなければならないのが

肉体と分離できない人間という存在であるはずなのだ。

 

今、人間は、物理的事実、合理性、科学ばかりを正当化した結果、

解決策の見つからないいくつもの問題に直面している。

 

問題を解決しようとして、問題を生み出した原因そのものである

科学的手法を用いることで、かえって問題を増やしていく。

 

だとしたら、出発点に立ち返り、ヒトは物理的事実や

合理性だけでは生きられない存在であることを

もっと重視したらどうかと思うのである。

 

 

現代人が重視しているさまざまな概念は最近になって

生み出された概念にすぎない。動物たちも少し前の人間も

そのような概念を一切知らないが、滅びることも、

戦いに明け暮れることもなく生きている。

しかも、現代人のように問題だらけの社会を作ってもいない。

つまり、科学的合理性など重視する必要はないのだと

人間の歴史も動物も証明しているといえる。

 

このように考えたとき、

私には、河童という生き物は実在すべきである、

つまり、河童が実在すると信じる世界にしか人間は

暮らせないという結論にいたるのである。

 

 

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