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毎日出てゐる青い空

日々雑感をつづります。ホームページでは本の紹介などもしています。

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物理的事実と「生物としてのヒト」にとっての事実

48歳をまもなく迎えようとしている今日まで、私は、物理的事実が人間にとっても事実であるという世界観で生きてきました。たとえば、同じ時間が長く感じることもあれば、短く感じることもあるという経験を誰もがしていても、重要な事実は、物理的な時間は一定しているということであると考えてきました。

ところが、結婚後、妻の言動から影響を受け続けた結果、実は、人間にとって大切なことは、主観的な時間の違いであったのだと、本日19:30分頃、私はようやく認識できたのです。

つまり、今が夕方の6時だろうが、ある人にとってそれがまだ日中であれば日中であるし、深夜であれば深夜であり、物理的な時間は、生命自体にとって何の意味も持たないのであることをようやく実感できたのです。動物たちは時計を持たずとも何も困ったことなく、日々を暮らし、生を終えていきます。動物たちにとって、今が何時であるかは無意味であり、本質的には、人間にとっても客観的で物理的な時間は無意味なのです。

このように考えるようになったのは、私の中の命が、世界を命として認識せよと伝えてくるからです。

ある夜中、山中をドライブしていた私のはるか高い空に赤い光が見えました。この光を見たとたん、私はそこにたたずむ巨人を意識しました。もちろん、巨人は存在せず、ただ送電線の鉄塔が立っているだけでした。

別の夜は、峠を越える道で、前方の大型トラックに追いつきました。私が追いついたとき、峠はくだりにかかっており、最初はやはり、トラックの側面の明かりだけが見え、ヘアピンカーブの道に合わせて、ゆっくりと移動していることだけがわかりました。このときもとっさに私は巨大な恐竜がゆっくり動いていると錯覚しました。

また、別の日には、街中のわずかに残された自然の中で、暗がりとなった池を見たときに同じような経験をしました。池の水深はおそらくひざほどであり、10センチ程度の小魚だけが放たれているような池でしたが、暗がりとなった水面下にはずっと大きく不気味な生き物の気配がありました。

つまり、ヒトは世界を命あるものとして認識するようにできており、物理的な事実がどうであれ、ヒトにとっての真実は、命にあふれた世界であると、私は今日理解したのです。

世界を客観的で合理的なものであると見なし続けた結果、現代社会には病が溢れかえっています。生物としてのヒトは、客観的な事実ではなく、私たちの体内に存在する生命が私たちに伝えてくる事実を大切にしなければ、いけなかったのです。

これが今日、私の気付いた大切な事実です。

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