毎日出てゐる青い空

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ジャーナリストや政治家の歪み(怠慢)を暴く、さゆふらっとまうんど/立花孝志/黒川敦彦氏ら。

マスコミも政治家も、本来すべき仕事を全然していない。

いかに仕事をしていないのかを教えてくれるのは、そうした人々があえて不問にしている部分に光をあてて活動し、活動の内容を動画配信してくれている方々だ。

 

さゆふらっとまうんど(平塚氏)は、録音を消さなければ被害届を受理しないなどとあまりにも不条理な発言をする警察官の様子を暴いたり、新聞やテレビが報道する事件の裏に隠された世論誘導の意図を説明して、近代国家の正体に迫ろうとしている。

 

 

こうした平塚氏の活動は、世のジャーナリストやマスメディががいかに怠慢であるのか、あるいはいかに権力におもねっているのかを明らかにしてくれる。

 

立花孝志氏は、NHK受信料や、選挙制度の穴を突く活動によって、当然と思い込んでいる制度が、実は、少しも当然ではないことを明らかにしていく。

たとえば、NHKと契約した後で受信料を支払わなくとも放送を受信できなくはならないが、それは電気料金や水道料金を支払わない場合であれば、電気や水道の供給が止められることと比べてみれば、明らかにおかしいことがわかる。

たとえば、NHKの受信料は設置日から支払うことに決められているが、いつ設置したのかをだれがどうやって確認するのかは定められておらず、現場では、今月からでよいとする違法な契約が訪問員から提案されている。

たとえば、NHKの受信料は1世帯で1人が契約すればよいことになっている。ここをついて、これまで支払いを拒否してきた世帯主による契約から、別の者への契約に切り替えようとした場合、NHKは根拠も示さずに切り替えを拒否している。

たとえば、NHKは訪問員の様子を録音・録画することを拒否している一方で、裁判では、そうした証拠がないのをよいことに、嘘の証言をさせて勝訴を得ていたりもする。

裁判制度についていえば、選挙区内に居住している実態を資格とすることの不合理性を突いたり、被選挙権の年齢制限の不合理性をついたりしている。また、比例代表制の場合、比例代表で当選して国会議員になった者が任期中に辞任すると同じ党で次に票数が多いか順位の高い者が繰り上げ当選するという制度を利用して、次々と辞職していけば、同じ党に元国会議員が多数生まれるという、離れ技を考えだし、実際に参議院議員を辞職してしまったりもしている。こうした立花氏の活動は、世の政治家がいかに怠慢であるのか、もしくはおもねっているのかを暴いてくれている。

 

黒川敦彦氏(オリーブの党)は、国際金融資本に関する知識が豊富で、一時は農業にも参入していたという経歴の人物であり、玉蔵氏に似た位置づけともいえるが、動画を積極的に投稿しており、国政選挙にも挑戦している点に違いがある。

黒川氏の最近の動画では、リーマンショックの10倍以上の規模となる可能性のある金融危機について言及されていることが多い。破綻することが明らかな金融商品を売りつけて利益を得るゴールドマンサックスと、そうした金融商品を押し付けられている年金機構やソフトバンクなどの投資機関や一般投資家、実態のない金融商品の市場規模といった状況をわかりやすく説明してくれている。黒川氏の説明を聞けば、マスメディアがどれほど真実を隠しているのかがおのずと明らかになる。

 

YoutubeGAFAという国際金融資本が提供する場所である以上、いずれはこうした活動も配信できなくなったり、または国際金融資本の利用するところとなったりすることは考えられるが、少なくとも現時点では、こうした人々の活動によって、ジャーナリストや政治家の実態が暴かれていることに拍手を送りたい。

 

「民主化」を進める人々の正体は言語を滅ぼす人々だ

本日もお越しいただきありがとうございます。

今回も、国際金融資本について書いてあります。

 

===

現在のような国家ができたのは国際金融資本が影響力を増して世界を統制しはじめてからだった。それ以前は、地域を治める力を持つ者が作った国家か、国家という枠組みの存在しない社会が広がっていた。

 

国際金融資本は、そうした従来の国家を滅ぼして、国民が主権を持つ民主国家を作った。けれど、日本の明治維新前後を見ればわかるように、国際金融資本が統治する前の社会には共同体があり、住民が参加できる政治があった一方で、民主国家においては中央集権の下で共同体は破壊され、住民は政治に参加できなくなって、国家主導の経済活動がいやおうなく推進されている。

 

国際金融資本が作った国家は、経済活動の妨げとなるとともに、人々の生き生きした生き方を支えるものでもある、方言を話すことを禁じる。おなじように、土着の宗教を禁じて、搾取される労働者のための宗教であるキリスト教を布教する。

 

国際金融資本が作った国家は、地域の人びとが地域のために維持管理してきた山や川を取り上げる。

 

国際金融資本が作った国家は、裁判制度や選挙制度を整えるが、国際金融資本に歯向かう裁判官は罷免され、選挙の透明性は確保されることがない。そして、国際金融資本にとって都合の良い政治だけが行われる。

 

国際金融資本が作った国家は、国際金融資本の意のままに動くメディアのみが大きくなり、特定の勢力を批判する言論は決して許されない。

 

たとえば、こうした現代国家の正体に気づいて新しい国を作ろうとする政治家が出現したとしよう。国際金融資本は、対抗勢力を育て、国際金融資本を打倒しようとする政治家については誹謗中傷を繰り返すようにマスコミに命じ、選挙で落選させることを狙う。それでもうまくいかなければ内紛を起こさせ、軍事介入の果てに奪いとってしまい、「市民の勝利」を描いてみせるのだ。

 

 

国際金融資本は、こうして現代社会を牛耳っている。民主化を言いながら、共同体もなければ、自治もなく、ただただ国際金融資本の許す生き方に従って、一生を生物的に不自然な方法で生きるしかない私たちがいるのである。

 

人が言葉を持ち、富を蓄えることのできる技術力を持ったとたんに、国際金融資本のように、人々を働かせて富を収奪しようとする存在が登場する。それは、生命の利己性を考えれば、当然のことである。

 

明るい明日のために発明に精出すひとも、正義を実現しようと裁判官やジャーナリストになる人も、金持ちになろうとビジネスにいそしむひとも、結局は国際金融資本を利することになり、統制を強める支援をすることになる。

 

 

人類学が明らかにしてみせるのは、利己的な私たちが平等性の高い社会を作ることができるのは、遊動しながら暮らし、保存する術をもたなかった頃だけであることを教えてくれている。

 

定住と貯蔵は平等性を失わせる。農耕などもってのほかである。

 

さて、私たちはどう生きるべきなのだろうか。

 

ライオンキングとか竜馬とか

当時は使われていなかった「鎖国」や「士農工商」という言葉を作ったり、

「戦争責任」を追及して

自虐的な歴史を教え込む人々は、

事実とは相いれない一方で

想像力に富み、

感情を揺るがせる物語を作らせて

広げ、

彼らにとって都合のよい

世界を維持しようとする。

 

芸術の才能を持つ人々が

見いだされ、

協力し、

嘘を広めていく。

 

 

本当の歴史を広めたくても

感情と深く結びつき

繰り返されることで事実であると

信じ込まれた知識によって、

真実のほうが「嘘」と言われてしまう。

 

 

学校教育も

マスコミも、

芸術作品も、

 

だから僕は音楽を止めた。(byヨルシカ)

 

のではなく、

 

だから、言葉について

人はもっと必要がある。

あなたの一生は、経済活動のために終わる。すべては、文明社会を築き上げた資本家たちのために。

私の家の前の道をたくさんの自動車が走る。

いったいどのくらいの車が、本当に必要な活動のために走っているのだろう。

 

もちろん、たくさんの人が勤務先に向かうために、道路も電車もいっぱいだ。

いったい、どのくらいの人が、本当に必要な仕事をしているんだろう。

 

教育も、医療も、銀行も、警察も、工場も、畑も、本当は、ないほうが本来的なものばかりだ。

 

動物たちは、そんなものを持たないで、立派に暮らしている。

 

未開社会の人たちも、そんなものを持たないで暮らしている。そこにあるのは、本当に必要な活動と、自由になるたくさんの時間、そして自立である。

 

未開社会の人びとこそが主権者であり、本来の生を体現している人々であり、人類史上もっとも幸福な人びとである。

 

*************

 

文明社会の私たちは資源として活用される存在になってしまった。

 

*************

文明社会の囚人たる私たちは、

キリスト教を道具として使う者たちの手によって、

本来の生を捨てて

経済活動のための資源として生きるよう

教え込まれる。

 

日本の歴史を見れば

キリスト教を使った

こうした経済資源化は

戦国時代に始まった

 

(余談的話題:

けれど、武力で容易に打ち負かすことも、

大衆をキリスト教徒にすることも難しいと

判断した侵略者たちは別の手段を講じた。

それが、天主をいただく城であり、

ミサを模した茶の湯であり、

封建制度を崩壊させる楽市楽座であった

日本人がこうしたものを日本的であると感じるように

教え込まれたとき、

日本はすでに奴らの手に渡っている)

 

265年間の長い徳川期を経て、

ついにキリスト教徒の前に敗れた地域に

できあがった国家は、

キリスト教を道具として使う人々が

どのような価値観の持ち主であるのかを

はっきりと示している。

 

足尾銅山のような環境破壊

蟹工船野麦峠のような過酷な労働環境

崩壊する地域共同体

 

人を経済活動のための資源としか見ない

文明社会の運営者たち。

 

*********************

 

あなたの一生は、経済活動のために終わる。すべては、文明社会を築き上げた資本家たちのために。

 

 

 

頼みごとをするときは、猫もやさしくトントンする。


暑くて眩しい猫 2019年8月9日

 

この子はハナちゃん。オス。8月2日で5歳になりました。
 
猫に心はあるのかと問う人があります。
キリスト教では動物には魂がないことになっているから、心もないと思い込んでしまうのでしょうか。
 
子どもの頃から身近に多くの動物がいた私にとって、動物に心がないと想定することは、まるで現実を知らない人の言葉のように聞こえます。
 
たとえば、この動画に撮影した行動は、暑いけれどもクーラーの涼しさは気に入らないので、タイルの上に寝て体温を放出しつつ、眩しいので顔を手(前足)で覆っている様子です。そうした行動も心があればこそのものでしょう。
 
もっと、心を感じるのは、猫が頼みごとをするために、私たちを前足でとんとんと軽くたたく仕草をするときです。そんなとき、猫は力を加減して、相手が痛くないようにしています。強く叩けば相手が怒り、頼みごとを聞いてもらえなくなると知っているようです。
 
夜、一匹で寝ていることに気づいて、寂しくなったのか、危険を感じるからなのか、皆のいる他の近くに来たり、オス猫は母猫に対してはグルーミングを行わないのに、別のメス猫に対しては、母猫が自分にしてくれるようなやさしいグルーミングをしてやっていたりと、猫たちの心は、私たちの心と変わるところがないようです。
 
最近は、人間は言葉を持ってしまったばかりに、元々わかっていたこうした事実をどんどん忘れていって、その上、自分が動物だということまでうっかり忘れて、困り始めているんだなと思うようになりました。
 
家畜は、愚かだから食べてもいいのだというのではなく、心を持つから食べてはいけないというのでもなく、家畜や他の動物にも同じような心があることを知っているけれど、私たちは生きるために殺して食べるのだと認識することのほうが、生命の世界をより正確に理解することになるように私には思えます。

猫は猫語を知らない

うちの猫は何をいいたいのかさっぱりわからない。
寝ている私を起こして、鳴き続けるのだが、どうしたいのかヒントになる仕草をまったくしてくれない。
 
おなかがすいたから起こしたのかというとそうでもないようだ。
ふみふみをして安心したいのかと、ふみやすいように薄い布団や毛布を広げてやっても違うらしい。
ただ撫でて欲しいのかとも思うだが、撫でてやっても満足はしない。
 
 
猫を多頭飼いする前、猫同士は十分に意思疎通できるのだろうと思っていたが、多頭飼いしてわかったのは、猫同士でも、同じようなものだということである。子猫は親猫が呼んでもまったく無視して遊んでいるし、呼ばれている理由もわからない。
 
*
 
もちろん、人間以外の動物でも、遠くにいる仲間を呼ぶカラスやスズメの声だったり、縄張りを主張するサエズリの声だったり、怒っているかどうかや、甘えている声など、意思疎通は可能である。
 
 
けれど、考えてみれば当たり前だけれども、他の動物たちにしても、言葉がないために、相手に考えを伝えることができなかったり、相手の考えを読み取ることができなかったりすることは、しょっちゅうあるのだろう。
 
世の中には、動物と話ができるという人もいるが、そもそも言葉を持っていない動物と話すなどということは、できやしないのである。
 

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寝る子

子供たちを学校に入れて、伝統文化を否定する教育を与えよう

これは、日本でいえば明治維新の後で行われたことです。
アフリカ最後の裸族ヒデ族でいえば、1968-69年、カメルーン政府による「はだか狩り」が進む中で行われたことです。
多くの未開地域では、宣教師が入り込んで教会をたて、学校を作って教え始めたときに行われてきたことです。
時には、先住民の子供たちを親から強制的に引き離して行われました。カナダでもオーストラリアでも、同化政策という名前で、差別や虐待よりも大きい、伝統文化の否定という教育が押し付けられ、子どもと親は価値観を断絶させられました。
 
いや。本当に伝統社会はひどかったのだから、正しいことをしたのだという人もいるかもしれません。
 
そうした人には、ぜひ、そのような教育によって壊される前の社会についてと、今の世界の本当の姿について知って欲しいと思います。たとえば、地方自治という点でいえば、かつての自治体は共同体でしたが、今の自治体は単なる行政のコマにすぎず自主性を発揮する余地はほとんどありません。たとえば、環境保護についていえば、かつての社会には、環境を保護するにはときには人命が犠牲になってもしょうがないという価値観があったと思われます。そのために厳しい掟が定められ、破った者は命を落とすようなこともしばしばあったのです。たとえば、暮らしの生物性という点でも、かつてのほうがずっと生物らしい生き方が可能でした。身近な世界に生物たちの姿が多く、人のライフサイクルも生物としての成長や成熟、衰退に会ったものでした。
 
地球上のどの地域でも同じように学校教育を強制し、伝統文化を否定する教育を与えるという政策が繰り返されるのは、一貫した目的で、同じ人々が指導しているためであると思われます。これが行われるタイミングは、日本でいえば、『世界システム論講義にあるように日本が世界システムに組み込まれることになった明治維新後でした。他の場所でも、すでに世界システムに組み込まれている国の中で、未開部族を世界システムに組み込みタイミングでこれが行われています。
 
つまるところ、世界システムにとって動きやすい中央集権国家を作ったり、この国家の強制力によって資源開発を行ったり、工業化を推進したりするには、伝統社会を否定して破壊する必要や、生産性の低い動物的な生き方ではなく生産性が高い経済的な生き方をするように価値観を組み替えさせる必要があったことから、こうした教育が実施されてきたのでしょう。
 
今も、マスコミと学校教育はこの延長線上にあって、世界システム(国際金融資本)の活動を支援するために、せっせと活動していることが、いったん、この視点を持ったなら、いやというほど見えてくるのです。
 
 
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