毎日出てゐる青い空

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2019年7月13日 自然農の畑と周辺の自然

 
 
妻が参加している自然農の畑に同行して、野菜の様子や、動植物を撮影してきました。
・バジルは元気に育っています。その横に、トウモロコシのような植物がありますが、これは自然に生えたものです。近くに同じ植物がたくさん生えているので、去年この畑を借りていた人の名残りなのかもしれません。トウモロコシなのかどうかはもう少ししないとわかりません。
・ピーマンは最初になった実を本日収穫しました。
・トウガラシはたくさんなっていますが、まだ小さいので収穫は先になります。
・トマトは花が咲いてるだけで実はまだなっていません。
・キュウリは二本ありますが、こちらも花だけです。
・イモカタバミかムラサキカタバミらしい雑草が咲いていました。
・キュウリの葉にハチが停まりずっと動かないでいました。寝ているのか、疲れているのか?
 
・自然農の先生の畑にはイチジクなども植えてあります。一枚の葉だけきれいに虫に食われていました。
・アオスジアゲハがヤブカラシの蜜を吸っています。スズメバチも蜜を吸いたいように攻撃をしかけていましたが、アオスジアゲハのほうが強いようです。昆虫エクスプローラアオスジアゲハのページによると、「南方系のチョウで、西南日本では極めて普通に見られるが、本州中部以北ではあまり多くなく、秋田県あたりが北限となる。」とありますが、畑で見るアゲハチョウはアオスジアゲハが多いように思います。
・草むらの中でムラサキツユクサが長く伸びていました。
・今日は、畑にあまり虫がいなかったのですが、畑の周りにはトンボ、クモ、カマキリの姿がありました。バッタ、シジミチョウなどは結構食べられてしまったのかもしれません。これであなたもカマキリ博士〜飼育録〜を見ると、オオカマキリの脱皮回数は決まっておらず、6齢までの個体もいれば8齢までの個体もいます。7/13日頃には、5齢か6齢になっていることが多いようです。
 
・水田にトノサマガエルがいました。もしかするとナゴヤダルマガエルかもしれません。家の近くではめったにカエルをみないのでうらやましく思います。
・まだほんの小さいカエルもいました。色と形からヒキガエルだと思ったのですが、動きが素早かったのでアマガエルだったかもしれません。
・用水路に透明なゼリー状の塊の中にたくさんの黒い粒が入った卵塊が浮いていました。MNP PHOTO LINRARYに同じような卵塊の写真があるのでニホンアマガエルの卵である可能性が高そうです。ただし、この季節に産むものなのかどうか不明です。
 
・昔あったような大きなヒマワリの花が咲いていました。遺伝子組み換えや品種改良?によってあまり見ることのできなくなった夏らしい花です。
・地面に小さい団子でできた塚のようなm、おのがいくつもありました。ミミズが糞をすることでできるミミズの糞塚のようです。
アシナガバチが餌を探しまわっていました。以前見かけたときは、飛びながら葉の裏を覗いてアオムシなどを探す様子を見て、ハチでもアオムシなどが葉っぱの裏に隠れていることを知っているように行動していることに感心したものです。今回は、ハチが飛び回るだけでなく、こうして歩いて獲物を探すこともあるのだということに気づきました。また、餌探しの途中なのか非番なのかは不明ですが、身繕いに忙しい様子もありました。

レジ袋有料化に関する考察

中部大学教授武田邦彦氏のサイトにレジ袋追放の科学的意味という投稿があります。レジ袋が登場した背景(ダイエーの万引き対策、安価な原料を使った低品質な製品の製造)と、レジ袋追放の背景(技術の進歩により、元々安価だった原料の使い道が増えて値上がりしたことで、スーパーの負担が上がった)、レジ袋追放による影響(買い物用の袋に対する石油消費が2倍に増えるうえ、レジ袋の原料よりも貴重な石油成分が使われる、家計に年間5000円の負担が増える)が考察してあります。レジ袋を使わないほうがよいと考えておられる方は一読をお勧めします。

私は、別のところに着目してみたいと思います。

レジ袋追放は日本だけの動きではなく、諸外国でも行われています。そこで、レジ袋追放によってどのような影響が出ているのかを調べてみました。

 環境特集:世界各国のレジ袋規制一覧という記事がありました。
 ・アフリカ─ルワンダエリトリアソマリランドが使用を全面的に禁止している。南アフリカウガンダケニア袋の厚さに関する最低基準を設けており、エチオピア、ガーナ、レソトタンザニアも同じような措置を検討している。 
 ・オーストラリア─タスマニアのコールズベイが、2003年4月にオーストラリア初の「レジ袋のない町」となった。多くの都市もそれに続き、2008年1月には環境相がスーパーに対し、年末までに国全体でレジ袋の使用をやめるよう求めた。 
 ・バングラデシュ─2002年にレジ袋を禁止した。バングラデシュは、1988年に国土の大半が水没した大洪水は、投げ捨てられた大量のビニール袋が排水管を詰まらせたことが一因になったとみている。 
 ・ブータン─2007年に「グロース・ナショナル・ハピネス(国家全体の幸福)」政策の一環として、レジ袋や街頭広告などを禁止した。
 ・中国─国務院は、6月1日から実施された厚さが非常に薄いレジ袋の使用禁止措置が、環境汚染を改善し、貴重な石油資源の節約につながると考えている。香港は2007年5月に、レジ袋に対する50セントの「汚染者費用」を課すことを提案している。 
 ・英イングランド─2007年にデボン州南部のモドベリーが、欧州で初めてレジ袋を廃止し、再利用可能で分解性のある袋を販売した。ロンドンの33地区は2009年から非常に薄いレジ袋の使用を禁止する計画。 
 ・フランス─議会は2005年に、2010年までに非分解性のレジ袋を禁止する法案を成立させた。フランス領のコルシカ島は1999年に大規模店舗でのレジ袋使用を禁止した。 
 ・インド─西部のマハラシュトラ州は、レジ袋がモンスーン期に排水溝を詰まらせているとして、2005年8月に製造、販売、使用を禁止した。他の州も、環境汚染の改善と、ヒンズー教徒にとって神聖な存在である牛がレジ袋を食べて死亡するのを防ぐため、非常に薄いレジ袋の使用を禁止した。 
 ・アイルランド─2002年にレジ袋に課税する法案が成立した。その結果、使用量が90%減少したが、その後が再び緩やかに使用量が増えている。 
 ・イタリア─2010年に全面的な使用禁止措置が導入される予定。
 ・台湾─2003年に導入された部分的な使用禁止措置により、デパートやスーパーが無料の袋を提供しなくなったほか、ファストフード店からは使い捨てのプラスチック皿、カップ、食器が姿を消した。自分でそれらを持ってこない客は、1台湾ドル(0.03米ドル)を支払う必要が生じた。 
 ・米国─サンフランシスコは全米で唯一、2008年4月にレジ袋を禁止した。禁止されたのは大型スーパーのみ。ニュージャージー州は、2010年までにそれらを禁止することを検討している。ニューヨークのブルームバーグ市長は2008年1月に、大規模小売店に対し、レジ袋のリサイクル・プログラム実施を義務付ける法案に署名した。
 

さて、レジ袋を目の敵にする一方で、ペットボトルは、その普及開始当初から反対運動がありました。また、武田教授の指摘によればペットボトルをリサイクルするほうがペットボトルを焼却処分するより資源を多く無駄にするそうです。消費する石油の量はレジ袋100枚で500mlペットボトル2.5本分らしく、環境への影響を考えるならばペットボトルを禁止するほうが先のように思えます。なぜ、ペットボトルの追放運動は、レジ袋ほど盛んに報道されないのでしょうか。しかも、レジ袋を禁止する理由を調べてみると、驚いたことに、はっきりした理由は特定できませんでした。先にレジ袋禁止があって、後で理由をつけているかのように多種多様な理由が挙げられています。

現代社会のあらゆる要素は、最終的には、現代文明の支配者である国際金融資本を中心に考えなくてはいけません。もちろん石油メジャーもその配下に抑えている国際金融資本にとって、レジ袋追放運動がマイナスの影響を持つものであればこれほど大きく報道されることも、規制が実施されていくこともないでしょう。国際金融資本に悪影響を与えないか、利益をもたらすからこそ、このように報道や規制が行われていると見なければなりません。

当初は、そろそろ石油の枯渇が見えてきて、これに変わるバイオ燃料生分解性プラスチックの利権を国際金融資本が握ったことで、このような動きになってきているのかと推測してみました。調べてみたところ、1973年にあと30年で枯渇すると言われていた石油は、それから46年たった今年2019年でも、まだ50年は枯渇しないと言われているようです。バイオ燃料生分解性プラスチックも、当初の目論見ほど普及は進んでいかず、産業としての将来性も不透明のようです。ただ、ロックフェラーなど米大手資本が化石燃料投資から撤退という記事がありますから、そうした方向への転換は想定されているのかもしれません。

こうして考えていくと、どうやら、武田教授が指摘している点(原油の消費が増える、供給価格は下がらない、他の製品に波及していない)が国際金融資本と利害対立していないという要素が大きいようです。ある程度の厚みを持つレジ袋は禁止対象でない国が多いことも、そのような背景を思わせます。さらに、現実から目をそらしながら善人でありたい人々のエネルギーを受け止め、真に大きな問題から目をそらす目的もあってレジ袋追放運動が利用されているのかもしれません。

この動きに関しては何かがおかしいとしか言えず、はっきりした背景は指摘できませんでした。しかし、現代社会のあらゆる出来事は、国際金融資本による経済活動という点を踏まえてみるべきだと私は思います。

 

音は記憶と結びつき、感情をよみがえらせ、人を動かす

作業をしているときに聞くための音楽をYoutubeで再生リストにしてみました。

最近の曲から昔の曲まで、プロの歌から素人の歌まで、洋楽や民族音楽も含めて、ただ雑多に集めたリストです。

リストに追加する曲を探しているときに見つけて、なつかしく思い追加したものの、再生してみると、しっくりこなくてリストから外した曲などもあります。

 

こうしてリストを作ったことでいくつか見えてきたことがありました。今日は、それについて記したいと思います。なお、私は現在50代前半の男性です。ここに記したことは私の心理的な特性の故であるかもしれません。

 

1. 歌の多くが記憶と結びついている

文化祭で学生が演奏しているのを聞いてすっかり好きになった曲があります。佐野元春のサムデイとイルカのなごり雪です。高校生のときに聞いたサムデイは今も大好きな歌の一つです。なごり雪は好きですが、時の経過とともに色あせました。

Men At Work の Down Under は、FM ラジオを聞くようになった頃に流行していた曲です。

倉木麻衣Secret of My Heart は会社で部署を移動したときによく聞いていました。

EGO-WRAPPIN のくちびるにチェリーは、飲み屋の女の子から知りました。

nokko の人魚は入社から数年の間、カラオケでよく歌っていた曲です。

最近知った曲は、ヨルシカのヒッチコックや、Acid Blue Cherryのこの青空の向こうなどです。いずれも、ギターの弾き語りを探しているうちに良いと思った若い人たちを通じて知りました。

松田聖子赤いスイートピーや、夏川りみ涙そうそうも、私がその歌を好きになったときのことをいつも思い出しながら聞いている歌です。

音と記憶の結び付きは、極めて強いものなのかもしれないと、リストを作ることで知ることになりました。

 

2. 歌と結びついた記憶は当時の感情を呼び覚まさせる

上に挙げたような記憶は、そのときの自分の状況まで、今の自分の心理状態を連れていきます。

たとえば、サムデイを聞くと体育館の後ろの入口から入ると演奏がもう始まっていて、1年生のとき同じクラスだった〇〇君がボーカルで、ときどきみかける男勝りの美少女もバンドの仲間なのだと知る。そして、聞いたこともなかった歌だったのに、いきなり飲み込まれてしまう。そんな高校時代を思い出します。

こうして感情と結びつくことで、それぞれの出来事は何度でも更新されて古さをなくしているようです。

 

3. 感情との結びつきに危うさがある

音楽が記憶や感情と結びつきやすいのは、私たちの動物としての性質による部分が大きいのかもしれません。

自然界の音は、聞こえるだけの理由があるときに、聞こえるべくして聞こえます。そうして音が記憶や感情と結びつきやすいのは、それが生き残りのために役立ったためであると思われます。以前、匂いは、無意識のうちに感情と強く結びついているという話を読んだことがあります。音も同じように、私たちの心の深い部分に刻み込まれるようです。

こうして、音楽は、記憶や感情と結びつきやすいという性質を持つため、大衆操作に利用するにはもってこいの道具になります。

 

4. 商業音楽とは別の音楽がある

いったんリストに入れた後で外した音楽の中には、昔CMに使われていて好きだった曲があります。リスト化して他の曲とまとめて聞いていくと、こうした音楽は、なぜかうすっぺらく聞こえてきて外していくことになります。

一方、アイヌユーカラや、アボリジニの音楽、パプアニューギニアの先住民の音楽、郡上田植え歌などは、楽器や特徴は違っていても、何か共通するものを感じます。生活の中で歌われている歌であるということでしょうか。

そうした意味では、私がリストに入れた曲の大部分は、商業音楽です。売るために作られて、商品として消費される存在でしかありません。

音楽が商業化された後の世界に生まれた私たちは、生活の中で生まれた歌が生活の中で歌われていたということを知りません。そして、「コンドルは飛んでいく」のように西洋化された音楽を民族音楽として聴いて満足してしまっています。

 

作業用の音楽リストを作ることで、音楽は、言葉と同じように、虚構を作り出す存在なのだと知ることになりました。

 

 2019年6月28日追記

記憶と音楽の結びつきは無文字社会における歴史認識(重要な出来事は新しいものとして記憶される)という特徴と似ていると思い、どこでその話を読んだのか記憶を探っていましたが、これに関連する記述が含まれていた本がわかりました。『「ことば」の課外授業―“ハダシの学者”の言語学1週間』です。次のように記されています。

時間とか空間という非常に重要な二つの要素を見ても、文字社会は書かれた言語資料を基本にして物事を処理していく。ところが文字のない社会では、情動とか価値といったもので序列をつけたり、物を組み立てたりする傾向が強いんです。

音楽と結びついた記憶は、文字のない社会における場合とおなじように、時間と空間を情動や価値によって序列づける機能があるように思います。

 

 

山で出会った動物続報

19日に見かけた動物が気になったので、また行って確認してきました。

結論から言うと、どうやらニホンカモシカだったようです。残念ながらツキノワグマではありませんでした。

 

9時半頃から歩き始めました。

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クモに捕らえられた蛾

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赤い実

蛾や赤く熟した実をみながら、先日動物たちと遭遇した山道へと進みました。

最初に動物の逃げる音を聞いた場所ははっきりとわからず、イノシシによるらしい掘り起こしも見つからないまま通り過ぎてしまいました。

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岩山

そのまま登って、コブの上に出ました。向こうに岩山が見えます。

 

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黒い二頭の動物と出会った場所

動物を目撃した場所は、コブからそんなに下らないところでした。19日には、上の画像の正面に動物たちの姿が見えました。画像の向こうにいくほど道は下っています。距離は30メートルほどしかありませんでした。上の画像では見通しが悪いように思えますが、向こうの山肌まではっきり見通すことができます。

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けもの道の足跡

19日に動物が駆け上った部分まで行ってみたところ、薄いながらけもの道ができていて、足跡が確認できました。真ん中を通っています。急な崖かと思ったのですが、私でも登れるくらいの傾斜しかありませんでした。けもの道は、木の間を抜けたところで向きを変えてジグザグに続いていました。

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足跡の大きさ


 足跡の大きさです。はっきりとした足跡はなく、土のめくれによってわかる程度でした。大きさは10cmほどしかありません。足の大きさはもっと小さいと思われるので、どうやらツキノワグマではなく、ニホンカモシカだったようです。

改めて探してみたところ子を呼ぶ親カモシカの動画が見つかりました。


Japanese serow ニホンカモシカ~子を呼ぶ母~

私が聞いたのは、もっと母音を含む声だったように記憶していますから、声からすればカモシカではありません。ただ、緊急性が高い場合の声は私が聞いたような声なのかもしれません。

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ドクダミと白い花

谷まで下り切ったところに咲いていたドクダミと白い花です。

その後も、クマの生息を示すような痕跡はないかと、谷の石や岸の様子を調べてみましたが、この谷は、上流にマス釣り場やため池があり、農地も広がっていて、人家もある関係で、水は汚れた状態であることもあって、動物がサワガニなどを探した様子はありませんでした。

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水質の悪い本流

ただ、一か所、小さい谷が流れ込んでいる場所があり、そちらの谷は比較的澄んだ水が流れているので、合流点を調べてみました。

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川岸の足跡

するとそこに動物の足跡がありました。長いほうの径が8~9cmほどです。

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足跡の列

この足跡は、川岸に4つ、ほぼ等間隔、ほぼ同じ大きさで続いていました。

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動物が川岸に降りたと思われる場所

足跡は山から谷のほうへ向かっているようでした。逆にたどってみると、この写真の中央部分から谷のほうへ出て来たように思えました。

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比較的清らかな谷

こちらの谷も様子を調べてみましたが、動物が活動した跡は見当たりませんでした。

 

何度も通っている様子ではなく、一度通ったきりのようですので、この川岸に足跡を残したのは、この場所から少し上流にあるキャンプ場に連れてこられたイヌの可能性が強そうです。

 

キャンプ場を通り抜けて駐車場まで戻る途中に、スギの枯れ枝の上にされた動物の糞がありました。写真は掲載しませんが、肉食獣の下痢便のような糞で、量は犬の糞ほどでした。

写真家 宮崎学さんのページを参考にすると、どうやらキツネの糞のようです。

 

19日に出会った動物は、ニホンカモシカであると一応結論は出ましたが、動物の痕跡を探して山を歩く楽しみを得たことでもあるので、また秋にでも行ってみたいと思っています。

 

山中で動物と出会った

昨日2019年6月19日、愛知・岐阜県境の山を歩きました。

 

夕方4時過ぎから広い道を歩き、いったん休憩した後に、5時くらいから山の中の狭い道を歩いて、駐車場まで戻ることにしました。夕方から動物の活動が活発になり、鉢合わせするかもしれないという期待と不安の中で、2度、大きな動物との遭遇がありました。

 

一度目は私の足音に驚いたらしい動物が、茂みの向こうから逃げていく大きな音がしました。キジくらいの鳥の羽音を聞いたような気もしますが、もっと大きい動物が動いたような印象もありました。近くには、イノシシが土を掘り返したような状態になった部分があったので、イノシシだったのかもしれません。

 

二度目は動物の姿を目撃しました。山頂から谷底まで急な斜面をつづら折りになって降りる道が続いた後に、少し傾斜が緩くなって比較的遠くまで同じ方向に進む、見通しのきく場所がありました。この場所を少し進んだところ、行く手から急に大きな声が聞こえ、100メートルほど先、私のいる場所よりも低い場所に黒い獣が2頭、急いで崖をかけ登り、崖上の藪に消えていくのが見えました。

 

2頭は親子で、私の出現に驚いた親が、子どもに向けて警戒の声をかけながら逃げていったような感じでした。ただ、崖の上の藪に入った後そのまま去っていくのではなく、少しの間、同じ声をあげながらとどまっていたのが不思議に感じました。私は、前方に注意しながらリュックサックを下ろし、万一のためにと入れておいた草かきを取り出して手にしたのですが、その間藪の中の声は続いていたので、少なくとも数分間はその場所にいたことになります。

 

鳴き声は、ホワッホワッホワッとも、クワックワックワッとも聞こえたように記憶していますが、あまりはっきり覚えていません。ただし、イヌの声ともサルの声とも違って聞こえました。ニホンカモシカの笛のような声とも違っていたと思います。

 

鳴き声が去っていかないので、こちらからもおい!、おい!と呼びかけているうちに、ようやく鳴き声がやんで動物の気配も消えました。

 

ツキノワグマだとすると、親のように見えた個体は少し小さいような気もしますが、遠くで一瞬見ただけなので、よくわかりません。ただ、その時点ではクマである可能性が強そうだと判断しました。

 

帰ってきて調べてみましたが、ツキノワグマの親が子グマを緊急避難させるときの声というものはネット上で探せませんでした。ただ、私が行った山はクマの生息域からはかなり距離があるので、クマではなかったかもしれません。

 

山で見た瞬間には、動物は横腹を見せていて犬かなと思ったことを覚えています。そのすぐ後に急な崖をまっすぐ上っていく姿は犬とは違って見え、するすると登っていくように見えました。ニホンカモシカには黒い色の強い個体もいるうえ、この山にも生息しているとのことなので、ニホンカモシカだっかかもしれません。ただし、こちらも私が聞いたような声を収録した動画や音声ファイルは見つけることができませんでした。

 

こうして、一人で山を歩いているときに、大きな動物と出会うのは初めての経験でしたので、あわててしまって追い払うことだけしか考えつきませんでした。差し迫った身の危険があるような状況でもなく、スマホも持っていたので、声だけでも録音する余裕があったらと後になって思いました。

 

危険がなければ落ち着いて行動し、万一危険が迫るようであれば、気迫を込めて立ち向かうしかない。それが私が現時点で考えている教訓です。なかなか良い機会を得ました。

 

 

自然農の畑と自然生態園

自然農の畑には、たくさんの虫がいる。チョウ、トンボ、バッタ、カマキリ、クモ、テントウムシ。自然農の畑には、トカゲやカタツムリも住んでいる。

 

自然生体園には、親に連れられた小さい子どもたちや、アメリカザリガニ釣りを目的とした大人たちが思い思いにやってきてタモや釣竿を使って楽しんでいる。手入れをしすぎていないおかげで、いろいろな植物が生えている。

 

自分の家で消費しきるくらいの少量の野菜を自然農の畑で作りたいと考えたり、自然の林に近い状態の山からイモやクリを収穫するようにしたいと考えたりしたとき、すぐにぶつかるのが法律と金の壁である。

 

農地を購入するには本格的に農業を営んでいなければならない。広大な農地を所有する必要があり、しかも、その農地は荒れた状態にしてはならず、手入れを怠っていてはならない。利益の出ない自然農の畑など、所有させないと言わんばかりである。

 

山を畑のように使いたいと思っても、南向きの山が売り出されることはほとんどなく、売りに出されるとしても広大かつ高額であるため、やはり庶民が手を出すのはむずかしい。

 

街の公園の多くが自然生態園として活用されていれば、人々が自然と親しむ機会が増え、虫を毛嫌いするのではなく、虫が住んでいる環境のすがすがしさを感じることができるだろう。

 

土地を経済活動に活用しなければならない世界ではなく、生態系を壊してでも経済活動や人道的な選択をしなければならない世界でもない。そんな世界でなければ、自然を守ることなんてできやしない。

 

 

 

 

 

故郷の川を破壊したのは、明治維新を強行した西洋文明だった

学校やテレビや新聞から得た知識を信じ込んでいた以前の私。

 

30年以上前、高校の下宿先から実家に帰るたびに乗るバスから見る故郷の川は、いつも工事が繰り返されて茶色く濁っていた。なぜ、そんなにも工事が繰り返されるのかは知らなかったが、新聞も教科書も公害問題を取り上げ、自然保護をうたい、西洋の進んだ自然保護の在り方を伝えて、民主主義の成熟が、こうした乱暴な工事を次第に修正していってくれるものと、私は思いこんでいた。

 

あれから、ずいぶん時が過ぎ、私はようやく、真実を知った。

 

幕末に西洋文明の配下に入れられたトタンに、この日本列島で自然破壊が激しくなり、経済最優先の道を歩むことを余儀なくされてきたのだということを。

 

西洋文明が長州藩出身者たちに作らせた政府は、重税を取り、労働者を教育し、土地を私有化し、貿易を拡大し、多くの兵器を購入し、鉄道を敷設して、西洋文明の要請にこたえていった。中央集権化を進め、銀行を作り、新聞を作り、電信・郵便制度を整えることも経済のためであった。

 

私が子どもの頃、まだ家は薪で飯を炊き、風呂を沸かしていた。家電製品といえば、電灯とアイロンくらいであった。それから扇風機、洗濯機、冷蔵庫、ラジカセ、テレビと電気製品が増えていき、 子どもたちを高校までやるためにと父は山仕事をやめて自動車免許をとり、プロパンガス会社に就職してボンベを担いだ。母もすぐに月曜から土曜まで働きに出るようになった。

 

地方自治をうたいながら、実際には地方から自治を取り上げて強化された中央集権は、地方を周辺化し、地方の文化の芽を枯らし、ただ中央の巨大企業の下請けとして、中央の決めた事業を請け負うだけの場所にした(テレビの伝えるニューズで地方のニュースといえば犯罪や事故がほとんどだ)。

 

かつての選挙権を持たなかった人々はしかし、会社に縛られることなく、勤務時間を管理されることも、勤務日を管理されることもない人々であった。平日に祭りを執り行い、地域のもろもろを話し合いによって解決できる人々であった。

 

現実の世界は、学校やマスコミが伝えるのとは逆に進んでいっている。民主化を謳いながらカネと正しさとで縛り付け、本当の意味での選択肢はなくなっている。地方自治を唱えてはいても中央すなわち国際金融資本が進める経済開発を拒むことは決してできない。誰もが英語を話し、グローバル企業に縛られて一生を過ごす。かつてあった、自由はすべて失われてしまった。

 

この文明社会は、経済活動を最優先させて富を築きたい人々がマスコミと教育を操って作り上げた世界である。だから、山も川も破壊され、水も空気も汚れ、生物は死んでいく。西洋文明が自然を守ったのではなく、西洋文明が自然を破壊することを強制して、世界はこうなったのだ。

 

私の50年の経験は、そう告げている。

 

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